僕らジジイには経験がある!
なんてよく言いそうになるけどさ、
振り返ってみると、
少なくとも僕は、
あんまり大した経験がないなあって感じる。
そりゃあ若い人たちより、
トータルすると、
米の飯は多く食ってるだろうし、
アルコール摂取量だって、
トータルすれば多く体に入れているだろう。
趣味の音楽や映画とかだって、
僕の好みのものはかなりの情報が詰め込まれているけど、
選り好みがハッキリしているから、
音楽や映画だって、
好みのジャンルにばかり精通していて、
例えば日本民謡なんかほぼ知らないし、
大作映画の知識なんかほとんどない。
そう言う趣味の世界だけじゃなく、
実生活の面でもさ、
女の人と手を繋いで脂下がって歩いた経験もそれほどないし、
映画やドラマで観るような、
路上で白昼堂々とキスをしたこともない。
しかし、
マジで路上でキスする奴らって、
そんなにいるのかな?
上の写真なんかさ、
どんな男女がキスしているかなんて気にしている場合じゃなくてさ、
『野郎寿司』とか、
『スナック早乙女』なんてなテナントが入っているマヌケなビルが、
すご〜く喜劇性を高めちゃってて、
路上キスの是非を語る以前に、
すでに路上でキスをすることを街に拒絶されてるって一枚なんだけどなあ。
街に拒絶されても、
「僕(私)らの自由じゃん」
なんて感じで、
路上キスをするようなカップルこそ、
TPOをわきまえていないボンクラってことになると思うんだけどね。
「僕(私)らの自由じゃん」
でなんでも躊躇なくやられてるとさ、
そのうち路上でタンポンを交換するような女の人だって現れるだろう。
僕はいささか外国人コンプレックスが強いのかもしれないけど、
僕らは日本人は、
出るとこ出たら一目置かれる国民かもしれないけど、
顔は全くもってアジア人のそれなんだよ。
目は飛び出てるし、
メリハリがない顔をしているわけじゃん。
欧米のイケメンや別嬪さんなんかと、
根本的に造形が違うって言うか、
デッサンが違うんだよね。
そんな日本人が路上で欧米の男女よろしくキスをするってのは、
短足胴長の日本の役者が、
「ジェームズ! あなただったのね」
なんて、
外国原作の芝居をそのまんま演じているような違和感を覚えるんだよなあ。
まあ、
路上キスの経験がない人間、
しかもちょっと気持ち悪いジジイのひがみって言ったら、
それまでの話なのかもしれないけどね……。
でもさ、
一部の変わり者を除いてさ、
日本での路上キスの歴史なんて、
それほど長いものじゃないでしょう?
「恥ずかしい」
って気持ちが、
日本人から希薄になっちゃった、
ここ10年ぐらいのものでしょう?
やっぱ、
今のところ路上キスは、
欧米の美男美女、
時折欧米の醜男醜女の専売特許なわけじゃん。
そんな路上キスが違和感なく、
日本でも風景の一部になるのは、
随分時間がかかっちゃうはずなんだよね。
まあ、
気づかずにこれからも、
恥さらしが路上キスをし続けて、
日本人の路上キスに違和感がなくなるまで、
どれぐらいかかるかな〜?
先日さNHKのEテレで、
『幕末維新メシ』って言う番組を観ていたんだよ。
この番組は、
幕末維新の立役者たちが、
どんな食を愛したかって言うのがテーマの8回シリーズなんだよ。
で、
先週が7回目で『徳川慶喜』にスポットが当てられていたんだよ。
それまではスポットが当てられた主人公が、
どんな食べ物を愛したかって言うのが紹介されていたんだけど、
徳川慶喜の回に関しては、
彼が米英蘭の要人を、
どのような食事でもてなしたのかって言う内容になっていたんだよ。
で、
その時に将軍徳川慶喜は、
フランス料理で要人をもてなしたって言うんだよ。
ってことは、
徳川慶喜はさ、
150年前ぐらいから、
フランス料理の知識があったことになるわけだよね。
そうは言っても徳川慶喜といえば、
当時の日本の最高権力者だったわけだし、
長く鎖国を続けていたとしても、
フランス料理ぐらいの知識があったのかもしれないけど、
それよりも、
徳川慶喜の命を受けて本格フランス料理を再現できる料理人が、
当時の日本にいたってことに驚いたんだよ。
すごいよね、
そのパイオニアっぷりは。
徳川慶喜が接待をする少し前、
同じ外国の要人が、
薩摩に招かれて料理で接待を受けていたんだって。
征夷大将軍よりも薩摩の殿様島津との会談を先にするってところに、
当時の幕府の衰退っぷりが感じられる面白い話だよね。
で、
薩摩藩はさ、
外国人要人を招いて、
本格的な和食でおもてなしをしたそうだ。
和食と言えば、
今やユネスコが認めた世界遺産じゃん。
テレビなんかで外国人にインタビューすると、
「日本で本物の和食を食べてみたい」
なんて答えが返ってくることって案外多いよね。
「誰がお前に食わせるか!」
なんて、
テレビに突っ込んでいるのは、
僕だけじゃないだろう。
ところが、
150年前の外国の要人には、
薩摩藩が用意した刺身をはじめとする和食は、
大変評判が悪く、
徳川慶喜が用意したフランス料理は、
大変好評だったらしい。
路上キスから何の話をしてんだって思うかもしれないけど、
僕は、
世界が和食に熱狂するまでに、
その時から150年かかっちゃったってことが、
路上キスのキーワードだって言いたいの。
そこに行くまで和食は色々馬鹿にされたりしたんだよ。
僕でも以前は、
「日本料理は前菜ばかりで料理が貧相」
なんて外国人が言っていたのを記憶している。
で、
ここで路上キスだよ。
ここ最近日本でも路上でキスをする男女が現れたけど、
それが形になって、
世界のどこの国の人が見ても、
「あ、日本の街の風物詩だね」
なんて感じになるまで、
違和感がなくなるのには、
150年ぐらいはかかるって思っていた方がいいんじゃないのかな?
路上キスが台頭して10年ぐらいだとしても、
違和感がなくなるのに、
あと140年は時が必要ってことになる。
路上キスを絶やさずに続けて140年だよ。
つまり、
僕らや、
僕らの子や孫の世代が、
ずっと路上キスをして、
ようやく140年後に路上キスに違和感がなくなるってわけだよ。
ってことは、
今から140年間絶やすことなく、
路上キスを子孫に受け継がせても、
結局140年後の日本人にたどり着くまでは、
我々の路上キスは捨て石っていうか、
踏み石みたいなもんだってことになっちゃうよね。
未来のために現在の人間が踏み石になるのは、
ある種義務みたいなものなのかもしれないけど、
顔も知性もわからない未来の日本人のために、
路上キスの踏み石になるって言うのはどうなのかな?
生きているうちには完成しなかった、
がん細胞を完全に駆逐する薬品開発だけど、
遮二無二研究を続け、
志半ばで倒れた博士の意思を受け継いだ後世の研究者たちが、
140年後に薬品開発に成功したってな踏み石なら、
踏み石冥利に尽きるだろうけど、
路上キスごときにそこまで頑張っちゃっていいのかしら?
ただ僕は、
日頃から200歳まで生きるって公言しているから、
140年後って言えば、
実は生きているはずなんだよなあ。
その時に路上キスを経験するのも、
なんか感慨一入なのかもしれないけどね。
でも、
僕が尊敬するアンディ・ウォーホルは、
25歳を過ぎた男女のセックスほど見苦しいものはないってい言ってたしなあ……。
200歳のジジイのキスなんて、
犬もクソ以下かもしれんな。
結局僕は、
いろんなことを経験していないクソジジイのまま死んで行くんだろ。
BGMはトミー・ローで『セイヴ・ユア・キスズ』をどうぞ。
この人は本当にバディ・ホリーが好きだったんだろうなあ。