なんだか夏みたいに暑い。

散歩をしていてもジットリと汗ばんできてしまう。
散歩をしながらも水分補給を考えなくてはならない。

とはいえ夏ではない。
要するに夏もどき、フェイク夏なのだ。

夏本番はこれからなので、
今からビーサン履いてかき氷を喰うわけにもいかない。
そんなことを今時分にやっていると、
夏本番をどうやってやり過ごせばいいのか分からなくなり、
夏に負けてしまうのである。

フェイクに騙されないためには、
物事を何もかも俯瞰で見る必要がある。
しかし人間には客観を凌駕する主観があるので、
なかなか俯瞰でものを見るのが難しい。

そんな人間にあって全身俯瞰観察とでもいえるミュージシャンがいる。
今となってはディズニー系のサントラを担当する作曲家のイメージが強い、
ランディ・ニューマンがそれである。

ランディ・ニューマンの1968年のデビュー作『デビュー・アルバム』がいい。

日本よりもさらにフェイクが多いアメリカ。
そんなアメリカのショービジネス界には、
まったくインチキ野郎が跋扈している。

そしてショービジネス界の恩恵に預かると、
いつしかフェイクを嫌っていた人間までが、
フェイクな存在になっていってしまう。

そんなフェイクな国や野郎共を、
「なんなんだよ、こいつらはよ!」
と常に気味悪く思っているのがランディ・ニューマンである。

ただ嫌いなものを嫌うのは単純なことだが、
その人間がいかにいやな奴なのかということまで理解したほうが、
より嫌いな奴を嫌いになることができる。

そのためには物事を客観的、俯瞰で見る必要がある。

ランディ・ニューマンはフェイク野郎が、
どうしてそこまでいやな奴なのか徹底的に暴ききるために、
全てを俯瞰で見てしまうのである。

そうして俯瞰で見ていると、
いやな奴のことがよく分かると共に、
テメーもいやな奴だったということに気付いてしまい、
なんだかパラノイア状態になりそうな気分を味わうのだ。

したがってランディ・ニューマンのアイロニーは、
多くのアメリカに向けられているかのようであるが、
実は強烈な自己批判でもあるのだ。

いや~、物事を全部俯瞰で見るというのは、
極めて大変でトンチンカンなものである。

そうしてこのデビュー作を聴いてみると、
どの曲もどの曲も醒めた視線は結局己自身に向けられているのが分かる。

そこまでテメーを苦しめなくてもと僕などは思うのだが、
テメーを傷つけないとやりきれないほど、
ランディ・ニューマンはアメリカのフェイクと、
自己欺瞞が交錯していることを知っているのだ。

ストリングスを流麗に使い、
ランディ・ニューマンがピアノを弾きながら歌うサウンドは、
美しくもあるが、
同時に痛々しくもあるのだ。

いずれにしても面倒臭い人なのだろう。
スパリゾート井上の魔性の火山