【責任を持つとは、どういうことなんだろうか?】 | 土木技術者(もどき?)のブレイクタイム

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土木技術者(的な)人物のブログです。ブレイクタイムを過ごしているような気分で書いています。個人でも仕事ができるように、ただいま準備中(やるかどうかはまだ未定)


 

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「責任を持って仕事に取り組もう!」
ときおり聞く言葉だ。いろんな場所でこの言葉は飛び交っているのだろう。
 
あるいは、
「責任持ってやって欲しいなぁ」
と言われたことがある方もいらっしゃるのではないだろうか。
 
他ならぬ私(金山)も、よく?言われる言葉である。責任持ってやり抜こう!とか、ちゃんと責任感持てよ!とか。社会人になりたての頃はもちろん、40近くになっても、である。
 
もっとも、派遣社員歴がとても長い私(金山)にとって、責任を取るなんて考えたことが無かった。なぜかというと、派遣社員は責任を取れないからだ。派遣先という雇用契約主がおり、そこに派遣されてる人間であって、派遣先からみれば外注だからだ。業務を外注している会社はたくさんあると思われるが、何か問題が発生したり間違いがあった場合、全責任が外注先に問われるわけではなく、仕事を発注した場所がまずは責任を取ることになる。その後、その責任の一部が外注先にも押し寄せてくることになる。
 
多少影響はあるが、全責任を外注先が負い、発注主は無罪放免、ということは無い(金山の知る限り)。
 
なので、派遣社員としての勤務歴が長い金山にとって、「責任を持つ」とか「責任を取る」とはどういうことなのか、どんな意味を持つのか、姿形が今一つイメージできなかった。
 
 
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答えは、ある有名人の著書にあった。
ピーター・ドラッカーの「非営利組織の経営」である。
この本の中にある言葉を引用する。
責任をもつということは、仕事にふさわしく成長したいといえるところまで真剣に仕事に取り組むことである。
 
また、このような言葉もある。
責になる存在になるということは自らの総力を発揮する決心をすることである。「違いを生み出すために、何を学び、何をなすべきか」を問う。
 
めちゃくちゃ大雑把にいうと、こういうことだろう。
 
『責任を持つということは、真剣に、本気で仕事に取り組む』
ことである、と。
 
 
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私(金山)がよく読んでいるブログ「Books & apps」には、このタイトルの記事がある。
 
この中には、あるマネージャーが「自分の納得感」を原点に、思うように成績が伸びない営業部の中で孤軍奮闘していることを描いている記事がある。大きな成果は得られなかったが、彼の行動によって会社の雰囲気が大きく変わっていることや、いがみあっていた営業部と製品開発部門および経営者とが冷静に話し合いを持てるようになったことが示されている。
 
このマネージャーはこのように述べている。
やれるだけやってみて、それでダメなら、相応の評価を受けます。それでいいです。だって、力を尽くしたんですから。
責任をもって仕事に取り組むとは、こういう姿勢を現すのだろう、と記事を読んだ瞬間に感じたことだ。
 
誰かの評価をあてにすることなく、自分が納得いくまで仕事に取り組む。その結果がどうであれ、結果を受け止め認める。これが責任を持つ姿なのではないか、と。
 
こういう姿を示し続けているのなら、どこからか手を差し伸べてくれる人が出てくるだろうし、陰ながら支援をしてくれる方もいらっしゃるだろう。
 
上司がどうとか、部下がどうとか、社長がどうとかいう前に、まずは自分が責任をもって仕事に取り組んでみる。ここが大事なところなのかもしれない。
 
コロナ禍で喚く人々の姿とも重なるところでもあるし、私(金山)自身の振る舞いを改めなくてはいけないことを嫌がおうにも認めざるを得ない。
 
上述のマネージャーの姿は模範にして仕事に取り組んでいきたい。
 

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