○三日目の感想
期待度・・・★★★★★
衝撃度・・・★★★★★
ハプニング度・・・★★★★
満足度・・・★★★★★
○ルート
サリナホテル→アンコールワット(日の出鑑賞)→タプローム→サリナホテル(朝飯)→ベンメリア途中の小さな村(昼飯)→ベンメリア→オールドマーケット(カフェ&夕飯)→サリナホテル
今、自分が働く会社に尊敬する先輩がひとりいる。
同氏は以前、カンボジアを含む世界一周の旅を3年ほど続けた過去がある。さまざまな遺跡・旧跡を見てきたと思うが、その中でも「アンコールワット以上」、「ラピュタ(『パズー!』『シーター』なジブリ作品)」、「冒険心をくすぐられる」と紹介していた遺跡がカンボジアにあった。
遺跡の名はベンメリア。シェムリアップから東へおよそ80km。乗り合いバスやらトゥクトゥクやらで片道2時間ほど。昨年、道路が舗装される前までは強烈なデコボコ田舎道が続き、地雷もまだまだたくさんある難儀な場所である。正直、面倒くさかったけれども、ラピュタだ。尊敬する同氏がオススメしているわけだ。冒険心なぞもう何年も感じていない。だから行くことにしたカンボジア二日目の夜。なんか行かないとすっげぇ後悔する、わけのわからん義務感が働いていたのを覚えている。
前回のタプローム訪問を終えて昼飯も食わずに正午出発。シェムリアップ中心地を抜けてしばらくすると、まさにルート66のごとく荒野に走る一本道になる。周りはもう水田や草原が広がり、水牛や馬なんかがあくびをしているようなのどかさ。点在する家々もシェムリアップでは見かけられない、あばら家ばかり。映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」で見ることができる、ローカルなカンボジアの風景が目の前に広がり、カンボジアにやってきた、そんな気持ちにさせられる。もう三日も滞在しているのにね。
トゥクトゥクを走らせて1時間ほど経ったころ、休憩のため小さな小さな村に止まった。人口、100人もいるの? と思うくらい小さな村だ。ほぼ裸の子どもたちが、きゃーきゃー言いながらスコールでたまった水溜りをバシャバシャしていて、大人たちはハンモックでゆらゆらしている。のんびりとした空気、遠くに来たなぁと思う。
さて村の甘味屋(デザートを中心にビールや簡単なツマミが置いてある)でしばしの休憩をとる。連れはお汁粉のようなものを食し、ぼくはビールを二杯。トゥクトゥクの兄ちゃんはなんか不思議なものを食っている。卵? でもクチバシや毛らしきものが見えるような・・・。何それ? 実はこれホビロンと呼ばれる「孵化しかけているガチョウのゆで卵」で二日酔いにピッタリな代物。トゥクトゥクの兄ちゃんは昨晩僕らと飲んだ後も3件ほど飲みに行き、朝5時に迎えに来てくれたわけで、精力増強のため食ってるんだろう。物珍しそうに眺めていると、兄ちゃんが「お前も食いなさい、こんなにうまいもんはない」と言う。断れなそうなので勇気を出して注文、そのお味は・・・
うまい! 意外に普通のゆで卵の味で塩の代わりに振り掛けるライム+胡椒が実にマッチ。コリコリとした食感もよい。昨日の酒で腐敗し切った胃が癒されるのがわかる。うーむ、こんなにうまいもんがあったとは。
大満足のなか、ビールの酔いもあって、兄ちゃんやお店の姉ちゃんといろいろと身振り手振りで話す。過去の内戦時このあたりは戦場だったこと、地雷もまだまだあること、兄ちゃんは家族10人(長男らしい)を養うべく一番儲かるガイドをやっていること、その中でも英語、日本語を学べばもっと儲かること、ベトナム人はやっぱり嫌い、なんかを話してくれた。
過去の内戦の話について、事前にカンボジアの歴史は勉強していたけれども、シェムリアップではあまり実感が湧かなかった。唯一の観光資源であるアンコールワットを柱に、急速な観光化を進めているのだからそりゃ一観光客の己にはわかるはずもないだろう。でも、過去は過去で確実に残り、そこからカンボジアは立ち上がってきている。すさまじい過去を背負いながら、たとえのんびりしていても前に進む強さ。ぼくらの前で微笑みを絶やさず、値段交渉もタイとかに比べれば甘いけれども、そんな強さはすてきだ。強い笑顔がすてきだ。
さて休憩を終えて再びベンメリアを目指す。道路が突然デコボコ道になり、遺跡が近いことを知らせる。上下強烈な縦ゆれを我慢し、ついに到着。入館料は5ドル。唯一のトイレはレストラン併設のあばら家で有料1500リエルなり。入り口を通りちょっと歩くと遺跡が木の隙間から見えてきた。
ベンメリアはく深い森の中で息絶えていた。終わりの残響も聞こえてこないくらいに「もう終わっていた」。自然とともに風景のひとつになっていた。苔がびっしりと遺跡を覆い、木々はまるではじめからそこにあったかのように壁をぶち抜いている。レリーフが刻まれた柱は倒壊し、そこらに無造作に置かれている、それも苔がびっしりだ。
これが昇華か退化かはわからないが、しばらく歩いていると遺跡に来た想いは失せ、「ただ風景を歩いている」気持ちになってくる。自分もまた風景に溶け込んでしまったのだろうか。アンコール遺跡群でたまに感じていた「時間が止まる」感覚が体中を駆け巡り、言葉も発することを忘れ、心も真っ白になる。
遺跡内に道はない。瓦礫の山をよじ登り、回廊内の苔や木を踏み越えながら進む。すでに遺跡の中にも自然は入り込んでおり、遺跡と森の境界線は曖昧であるが、こういった無造作さが確かに冒険している気分にさせられる。段々と興奮してくる。
自分が一番最初に発見したような好奇心、確かにラピュタな感じだ。この先はどうなっているんだろう?って、子どもんとき以来かな、久々に感じた。
ベンメリアはとても広く、道も当然悪路だからひどく疲れる。でも、瓦礫であろうが、崩壊して辛うじて人一人通れそうな穴が開いていればそこに行ってみる。中には祭壇があったり、亀や仏のレリーフが足元に落ちていたりと、必ず何かが待っていて、ぼくに何かを与えてくれる。神だかなんだか知らないが、よくわからんポジティブな力だ。ぼくは無宗教であるが、何かがいるなぁと感じてしまう。それを求めて遺跡内をあっちやこっちへ動き回った。
遺跡内はとても静かで野鳥の声も聞こえない。ほぼ無音の世界のなか、自分の呼吸がやけに大きく響く。上を見れば天井の隙間から大きな木がこちらを見下ろす。
写真下、遺跡内に入ったすぐにある凹状の回廊。ここから覗ける中庭は絶品のひとこと。苔とレリーフの絨毯が引かれ、ツタの隙間から真っ白な日光が隙間から差込む。動くものもなく、音もない空間、まるで宇宙にいるような感覚。自分がここにいるのも忘れてしまうような空っぽさが美しい。これを音にするにはどうしたらいいのだろう? 文字にするにはどうすればいいのだろう? そんなん無理だろうね。
下写真はベンメリアを案内してくれたおじいちゃん。遺跡を歩いていると知らずのうちにピッタリ寄り添っていた。無口だけれどもなぜかやさしいひとなんだなぁと思わせるオーラがあるひとだった。ベンメリア内は時に歩行困難な場所があり、このひとの助けがなければけっこう危険と思う。1ドル渡してお礼。
アンコールワット、タプローム、バイヨン・・・、いろいろと遺跡を見てきたけれども、ぼくはここベンメリアが一番気に入った。それは観光客ががまったくいなかったことも大きいが、何より空っぽな気持ちになれたからだ。いろいろと余計なことを考えたりせかせか動いたりする日々の中で、何にも考えずただ目の前にある冒険心と好奇心だけで動けた、ぼけーっとできた、それが新鮮でうれしいのである。
時間が止まり、僕自身の存在も失われ遺跡の一部になる、そんな気持ちはそうは味わえない。もちろんせかせかするのもすごい大事なことだけれども、たまには立ち止まる勇気、いいことも悪いことも平等に全体を見ること、それも大切なことだね。
夕飯を食べるべくシェムリアップへ戻る途中、トゥクトゥクのなかで、すごい気持ちのよい昼寝をした。すっごい安らかな気分でござった。何かに取り付かれたかな、まぁそれもよしだな。

































