世の中には、人間はよく善と悪で存在を実感するのではないか。昨今、妻は多肉植物が意外に好んでいるのである。

僕は好奇心を持って、彼女に「多肉植物がなぜ好きですか」と聞きましたが、「可愛いでしょう」と返事しました。

多肉植物があまり水をやりませんので、生きやすいものと思いきや、失敗の例が多すぎだと言っても過言ではない。

 多肉植物の成長に伴って、僕も大好きですが、特に多肉植物に花が咲いているのです。充実感と満足感が心に増えつつある。すなわち、善の芽が人間の心の奥に生えされたが、何だか世間にどんな物事も好感を持って、幸せな実感を溢れているのではないか。

 しかし、善に対して、人間の悪も存在するでしょう。悪の芽は悪口や不正な行為なんか人間の姿勢も影響されている。例えば、昨日、妻の肩に虫が飛んできた。僕はそれが扇ぎ立ているのに、虫が地に落ちちゃった。ところが、僕は足でその虫に踏み殺しました。後、自分で反省するので、なぜ殺したんだ。踏み殺すことより、虫を吹きかけてほうがいいと思いますけど、後悔してしまいました。

 つまり、善と悪は一線が隔たるのではないでしょう。普段、悪の芽を押さえつけるわけですけど、時々一時の衝動を駆られた途端に、悪い事をやってしまう。だが、善は本来の心境だったけど、一時の衝動を駆られても、すぐに善の本調子に戻ると、悪を抑制することができると思います。両面性は、矛盾して調和することが繰り返し、人間の根を鍛える機会かもしれますと思います。