絵本 | 気まぐれ戦隊・徒然ンジャー改☆オ~ソレ観ぃヨ☆

気まぐれ戦隊・徒然ンジャー改☆オ~ソレ観ぃヨ☆

某市小学校教師の、映画大好き気まぐれヒーロー物語

初等図画工作科教育法で絵本を作った。
最初のページだけ指定されており、残り3ページを考えて描くという実践だ。



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このページから始まる(ある程度の)物語を考えていくわけだが、紙が配り終わる前に「パッ」とアイデアが出て、10分程度で描き上げた。
シンプルなものだが、深みも一応与えてね。


(↓2ページ目)

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(↓3ページ目)

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(↓4ページ目)

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いろいろと解説していくと、3ページまでは黒の単色で、どこかさびしい人の心模様を描いている。
何かに悩んで悩んで、その悩みが大きくなって膨らんでいき、突然パンッ!と弾ける。
すると、色んなカラーが弾けた中から出てくるという物語。
一人で本当に思い悩んでいるときは、ただ一人ぼっちな気がするけれど、思いのほか心には実はいろんな人がいて自分を支えてくれているんだよ(ポコッと出てくる)、っていう意味を持たせている。
だから最後のページの中心の黒丸には、何も音声表現を使わずに、元いた自分(の悩み)が、周りの色を見てどう感じているか、少し戸惑っているような、何かそんなようにも見えなくはない。
そんな意味を持たせた絵本にした。


話は変わるが、日記の意味について考えてみる。
教師になった時、子どもには絶対書いてもらいたいのが日記である。
教師が子どもに日記を書かせる理由は2つ考えている。
一つは、子どもが学校にいるとき、あるいは学校から帰った後、何を思ってその日一日を過ごしていたか、教師が知るためのきっかけになる。
ある授業の取り組みについて書く児童もいるだろう。
放課後友達と遊んだことを書く子が多いかもしれない。
あるいは塾通いや習い事ばかりの児童は、その話が中心になるのだろうか。
教師は毎日毎時間、子どもと関わっているが、全ての児童の心模様を何も情報なしで探ることは無理に近い。
それは友達関係でも家族関係でもいえることで、相手が何を想って今を生きているかなんて、例え想像はできても、根拠のある事実としてとらえることは無理である。
少しでも子どもの心模様を知る術として日記は機能するだろう。
もう一つの理由について話す。
これは今日車で学校に行くときに考えていた内容である。
人はその日あった出来事をその日のうちは意識しているにしても、それが毎日続くと過去の些細な日常は記憶の中に埋もれてしまい、いつしか意識しなくなる。
おそらくそれは完全に忘れることはないだろう。
ふとしたことが、あるいは風景が、友達との会話が、きっかけとなっていつか見たある日の情景が思い出される時があるのは、きっと頭の片隅で記憶しているからである。
日記を毎日書くことで、その意識しなくなった過去を思い出すためのきっかけとしてのツールにできはしないか。
また、日記を書いて想い出を積み重ねていくことで、自分が築いてきた過去を、土台を、礎を視覚的に残すことができる。
あるとき、辛い出来事があったとする。
心がかなり傷ついて、立ち直れないかもしれないような状況に陥ったとする。
そんなときに過去の日記を読み、自分の土台なり礎を確認することで、過去の想い出が自分を少し勇気づけるときがある。
何か特別な経験をしなくても、何か礎となるような自分がいれば、凹んだ時に崩れることはそうそうない。
過去の想い出はいつの日にかの自分を支えてくれる土台となってくれる、日記に残すことでそんな役割も持たせるんじゃないかとふと思った。
昨日は映画の感想記事を載せただけで、出来事のふりかえり日記をあげる時間がなかった。
今日の日記は1時間かけて書き、また改めて日記の重要性を自分に言い聞かせるようなものにしたかったのである。