近畿聾史研究グループ

近畿聾史研究グループ

主として近畿地区(大阪、京都、奈良、滋賀、兵庫)に居住する、聾唖者の歴史に関心のある人たちの集まりで、ほとんどが聾(聴覚障害者)である。

 2024(令和6)年8月25日(日)、大阪府立中央図書館で『聾唖学友会誌』第15回目の輪読会を行った。参加者は4名であった。

 この日は、第4号の18ページから36ページまで進めた。名誉会員の大阪市立盲唖学校教員で佐々木研之亮、稻村勝の聾唖教育についての投稿に続き、正会員の経堂生より史伝「あゝ五代翁」の話と続いた。そして名誉会員の濱野白水の「運動の利益」を挟んで、正会員の默山生の「基礎」の話、吉田政雄先生が「朋友」を選ぶときにどうすればいいかの話に至り、最後に名誉会員で高医学士である山田有時の「耳に就いて」で途中で終わった。特に史伝「あゝ五代翁」で経堂生こと福島彦次郎先生が五代五兵衛氏の回想で鉄拳一下畳を打ち〜のエピソードが特に強烈な内容だった。(松田)

 2024(令和6)年8月18日(日)、大阪府立中央図書館で第33回くずし字勉強会を行った。参加者は5名。

 今回読んだのは時間の都合により石川倉次日記の明治31年8月10日のみ。この日には、山の井氏から手紙が来たこと、奥村氏から土産物をもらったこと、そして当時欧米視察に出かけていた小西信八校長が8月11日「欧州ヨリ帰航ノ神奈川丸」に乗り込むことなどが書かれている。また、この時期石川倉次は「新国字」の考案に力を入れていたが、「此夜新国字略成セリ」と書き、最後も「予ハ国字ヲ考定セリ」と締めくくるなど、この日の成果に対する喜びがうかがえる。(西野)

 

 2024(令和6)年9月23日に行われる第30回研究報告会について、統一テーマにそって予稿募集をしたところ、研究発表の応募が2名あり、協議の結果、午後からの研究発表での研究発表者及びテーマが確定しました。午前の講義もあわせて研究発表者、テーマ、要約(あらすじ)をアナウンスします。興味ある方は是非参加頂ければ幸いです。

 

【午前の部 講義】 

10:15-11:45 

明治時代における京都市盲唖院唖生同窓会

 ―発足から消滅までの経緯を探る―

   新谷 嘉浩

 京都で初めての聾唖団体は明治26(1893)年に発足した京都市盲唖院唖生同窓会である。

その存在を示す資料は東京盲唖学校唖生同窓会の雑誌『唖生同窓会報告』から知ることが出来る。後に聾唖院友会、京都聾唖倶楽部、日本聾唖協会京都部会へと続いた。その原点と経緯を探る。

 

【午後の部 研究発表】

13:10-14:10 水澤 学                                                      

日本聾啞協會神戸部會と神戸聾啞健歩會 

-「覺醒」「改造」「革新改造」、社會的地歩の進展-

   水澤 学

 戦前の日本聾啞協會『聾啞界』の神戸部會報によれば神戸聾啞健歩會があった。

丁寧にみていくと大正、昭和前期の神戸部會々員が登山、ハイキング、キヤンピング、スキー、寫眞術に並々ならぬ情熱を持っていた。それだけでなく、神戸部會々員が遺したアルバムに収められた多くの写真と照らし合わせると、部會々員の生涯が浮かび上がり、私立神戸聾啞學校、神戸部會といった「場」「集団」が立体感を持って立ち現れ、神戸部會報や写真からは「言葉」以外にも「情報」を読み解くことができ、当時の聾啞者が生きていた背景、社会情勢にまで及ぶ。戦前の聾啞界が「覚醒」「改造」「革新改造」、社會的地歩の向上を目指しており、それが一体どういうことであったかを見出せる。

 

14:15‐15:15 松田 悠・小川 廉

 日本聾唖協会/社団法人日本聾唖協会総会の開催地部会としての大阪部会の特徴と変遷 -大正期から昭和戦前期-

  松田 悠

  小川 廉

戦前の大正6年2月に設立した日本聾唖協会大阪部会、後の財団法人日本聾唖協会大阪部会は大阪市立盲唖学校の教員や卒業生・生徒たちを中心にして進められ、戦前に三度聾唖大会を大阪で開催するときの中心となった。東京京都に次ぐ場所の開催候補としてどの様に進められたかを見ていく。

 

参加希望される方は事務局までお知らせください。『予稿集』を送ります

※会場、参加費、参加申込先は案内ビラを参照ください。