「挙手動足、皆なこれ密印、舌相言説
皆なこれ真言、自然(じねん)の仏也。何ぞ作仏(さぶつ)あらんや。」
◎手を動かし足を動かすこと、身体の動き其のものが、既に秘密の印なのです。
口に述べる言葉は、全て真言なのです。
私達(行者)は、その当体が其のまま自然の仏なのです。
(だからこそ、私達は 責任ある行者なのだから)
どうしてこれから仏になる必要があるのでしょうか。
修験道の行者は、この教えを信じ
勇猛果敢に入峰し、修行を行います。
これが「信を本覚におき、行を始覚にとる」
(本来的に仏であると信じながら、修行に励む)という事の意味です。
『南無修験高祖 神変大菩薩』
合掌。孔雀丸拝、