7月7日の七夕の日、柳ケ瀬の高島屋前特設ステージにて美川憲一ショーが開催されました。
美川憲一といったら柳ケ瀬ブルース。
美川憲一の柳ケ瀬ブルースか、柳ケ瀬ブルースの美川憲一かと言う勢いです。
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岐阜県においては。
数少ない岐阜県の(わりかしヒットした)ご当地ソングとして後世に伝えられるであろうこの曲は、岐阜市民の心を捉え、すでにご存じ岐阜高島屋撤退という惜別の意味を込めて、柳ケ瀬は美川憲一色に染まったそうです。話では(高齢者様を中心に)五千人ほどの動員との事です。
ボクは行けませんでした。
それにしてもこの柳ケ瀬ブルース、リリースされたのが1966年。今から58年前です。もはや懐メロです。今の若い衆の間では「昭和」がひとつの流行り事になり、当時の大衆文化も再注目されてます。
そんな中、われらが誇る繁華街柳ケ瀬には、高島屋撤退よりももっと深刻で切実な問題があります。シャッター街化が止まらない事です。
ボクが小さい頃の柳ケ瀬は、土日や祝日はまるでお祭りやってるかのような賑わいでした。
ひとつの家族で繰り出して、買い物して、映画観て、食事して一日を過ごす。そんな過ごし方を子供の頃に覚えて、やがて家族から離れて、友達やカノジョ(or カレ氏)と行くようになる。そして結婚して子供が生まれ、また家族で繰り出す。
その繰り返しが孫子の代まで続くであろうと誰もが予想できた、典型的な地方都市の繁華街でした。
しかし、そうした従来型の繁栄スタイルが通用しなくなり、県下一の繁華街の存続が危ぶまれている状況なんです。地方における「盛り場」(これも今では聞かない言葉です)やその界隈の大衆文化の脈流の分断が懸念される状況なんです。
遅ればせながらボクもその事に気が付きました。
こうした気づきから、ボクは(以前よりも)柳ケ瀬へ出向くようになりました。それまでは車に乗って郊外にある大規模商業施設ばかりで買い物してたのに。
こうした行動が少しでもやながせの今後の発展に寄与すればと思います。
柳ケ瀬のさらなる発展を祈念します。