納豆、おいしいですよね。

 

嫌いな人もいらっしゃいますが、ボク大好きです。

 

納豆ほど好みが分かれ、その嗜好分布が東西で分かれる食べ物はありません。

岐阜県は東西の間ですがボクは食べる方です。

味覚に関する嗜好が東日本的なんでしょうか。

 

仕事の関係で、東京に住んでた時期があるんですけど、山手線とかの立ち食いそば屋さんへ行った時。東京出身の同僚は納豆そばを頼みました。ボクも「同じでいいか」と思い納豆そばを頼みました。

 

彼は不思議そうにボクを見ながら、「納豆食べれるの?」ときいてきました。

 

その同僚のみならず、関東の人の「名古屋辺りから西にある地域」の認識は西日本なんだろうな…って思いました。

 

それはボクにも分かります。

 

実際(前述の)名古屋辺りから西にある地域である岐阜の出身なら、ボクを西日本人認定するのも理解できます。納豆だけで言うならば(この事は日本全国普通な事かもしれませんが)岐阜市あたりでさえ、納豆を好きな人と嫌いな人の割合はどんな時でもほぼ半分です。

 

そんな納豆ですけど、最近は海外でも食べられてるらしいですね。

 

 

こういうのを見るにつけ隔世の感があると感じます。かつては外国人にとって納豆なんてのは単なる腐った豆でしかありませんでした。それが食べられ始めているんですよ。

 

 

太平洋戦争終結後、オーストラリア兵の証言「日本兵は木の根を食べさせて虐待した」てな感じで日本が非難されました。日本側がその件を調べてみると、それは木の根じゃなくて、ゴボウだったって話があります。

 

それほどまでに(地域間における)食べ物の(ともすれば、排他性までも感じさせてしまう)味覚の違いは強いのです。

 

もし日本兵がオーストラリア兵に納豆を勧めたならば、「日本兵は腐った豆を食べさせて虐待した」なる証言を出てきそうです。

 

紙一重の差で、日本は納豆は関する見解を「戦時捕虜問題」から「食文化の多様性」へと切り替えたのです。

 

取りあえずボクの課題は、冷蔵庫に眠っている納豆パック三個分、これを今週中に(お腹の中に)片付けたいと思ってます。