アルプスというからには山かと思ったら、最近のアルプスとはALPS処理水を示すんですね。そのALPSをなんであるかというと「Advanced Liquid Processing System」ですね。

 

その処理を行った処理水を放出するか否かでずいぶんと意見が分かれているそうですね。

 

何でもそっち方面を研究してる国際的な機関によって処理後の安全性は「懸念なし」との判定をもらった経緯なんですけど、まだまだ心配な人はいるんですよね。

 

ボクは放射能とかの科学的な知識については疎いですから、そっち方面のスペシャリスト様方(前述の国際的な機関所属)の知識や情報に基づいて得られた判定に従うほかはありません。

 

多くの、ほとんどの、全世界的と言っていい総数の諸外国も特に異論を唱えるようではないみたいな感じです。

 

まぁ、上記がおおまかな、エエ加減な、当て推量まがいのボクの見解ですが、それに至るまでにいろいろなご意見を聞かせていただきました。

 

なかでもおもしろかったのが、どっかの政党さんの地方選出の議員さんの見解を踏まえた( or 踏まえなければならなくなった成り行きの)当該政党の中央統括セクション御中の見解の相違ってやつですか。

 

汚染魚はないけど汚染水はある。

 

どういう事なんでしょうか?

 

お魚って(ボク等に食べられるくらいの)健康な状態で水の中を泳いでます。そのお魚が食べられなくなり、その原因が泳いでいる水の水質にあるのならば、その時点でお魚が泳いでいる水は「汚染水」です。

 

でもお魚は「汚染魚」じゃないんですよね。であるならばお魚を「汚染魚」にする原因が見当たらないんです。

 

であるならば、前述した政党さんの中央統括セクション御中があると主張してる「汚染水」ってなんなんでしょうか。

 

その中(処理水、放出水)で泳いでいる(なかにはジッとしてるのもいますが)海洋生物が汚染の危機にさらされるに十分な含有物が認められて有毒性が認められる。であるならば放出した処理水は「汚染水」です。

 

でも、その中で泳いでるお魚さんは食べられるんですよね。

 

そうだと認めたんですよね。

 

そういう見解なんですよね。

 

であるならばそのお魚さんは食べるに安全で、それ故に「汚染魚」じゃないんですよね。

 

だったら「汚染水」もないじゃないですか。

 

あるとしたら「処理水」か「放出を待ちわびた水」ぐらいでしょうか。

 

もう一度整理しましょうか。別の言い回しで。

 

◇◇◇◇◇

 

「汚染魚」はないが「汚染水」はある。

だったら何を以て汚染水なのか?

 

放射線が観測されるのなら「汚染水」であり放射線水。

その放射線が例えば海産物に害毒をもたらすから。食べられなくなる魚になるから。

従って、食べられなくなるから「汚染魚」でその魚が泳いでる水は「汚染水」。

 

でも党見解は「汚染魚」はない。

であるならば、魚を汚染しない水ならば汚染水ではない。

 

◇◇◇◇◇

 

こう考えると、どうも科学的意味合いよりも、政治的意味合いも入ってきてるみたいに思えるんです。

 

こんなお話ご存じでしょうか。

 

ソ連(現在のロシア)にルイセンコという科学者がいました。小麦の種の扱い(秋まきものから春まきものへ)について、科学的な見解二の次で新学説をブチ上げたんですけど、後で大騒動になったって件の主人公さんです。

 

詳しいサイト貼っときますね。

 

 

イデオロギーが自然科学に介入した笑える悲劇を創作した一件ではありますが、今般の汚染水 / 汚染魚騒動も(イデオロギーとまでは言いませんですけど)何かしら政策とか政治的主張とか政局なんかを感じます。

 

一日も早い明確な指針に基づく騒動終結を期待します。

 

 

 

追伸:「汚染魚」と出そうと思い「おせんぎょ」とタイプして変換したら「お鮮魚」と出ました。

 

日本語変換システムも知ってるんですよ。

 

やはりお魚は新鮮に限ると。