チャーチルといったら第二次世界大戦時代の英国の総理大臣です。いささかブラックな部分もあるものの(下記張り付けサイト)その事実は否定されるものではありません。
しかし、チャーチルを語る際には、(今のわれわれの歴史感覚では)以外と思うものがいくつかあります。
ココ・シャネルはブランド ”シャネル” の創設者としてもはや知らない人はいないであろうし、その活躍や発表したアイテムに関してボクが言及することもないでしょう。ボクもそっち方面は不勉強ですし。
それにも増して「チャーチルの話を始めたのに何でココ・シャネルなんや?」と思う向きもあるでしょう。分かります、とてもよく分かります。
実を言うと、第二次大戦中のココ・シャネルは「ナチス占領下のパリでドイツ人将校ハンス・ギュンター・フォン・ディンクラーゲの愛人だった」ことはほぼ確実だと言われているんです。
そして、この部分はボクが与太話を鵜吞みにしたって事もあるんですが、ナチスドイツに協力した多くのフランス人反逆者として、ドゴールがシャネkルココ・シャネルを処刑しようとした際に、英国首相のチャーチルがシャネルをかばったという事なんです。チャッピー(ChatGPT)によって伝説逸話判定されましたが。
戦後、シャネルは逮捕はされたものの、すぐに解放されてるんです。(この措置こそが上記のようなチャーチルの介在があったとうわさされる所以なのです。)その後はスイスに亡命しその間はファッション業界から遠ざかっていました。
そして10年間の亡命生活を終え、ココ・シャネルは1954年にパリへ戻りファッション業界へカムバックを果たしたのです。
チャーチルの半生と戦争との兼ね合いを書きてるつもりが、いつの間にかココ・シャネルの戦中戦後激動史になってしまいました。前回の貼り付けブログ「ロンドン市民を疎開させなかった」チャーチルの黒歴史との整合性がなくなりましたね。
前回のボクなりのまとめは「勝ったら多少の犠牲は大目に見てくれる」で、それはチャーチルに当てはまったでしょうか。そういった意味からすれば「敵国のスパイやっても勝った国の国民だから大目に見てくれる」なのがココ・シャネルなのでしょうか。
ドゴールが(ココ・シャネルを)逮捕しようと思うも、それが叶わなかったという点は、ボクにとってはどうも疑問でありまして、なんでも、一度は逮捕されたもののすぐに解放されたんですが、その「すぐ」とは数時間なんです。
結構英国上流階級筋にも丁重に扱われたそうですね。そうやってシャネルを口止めしとかないとマズイみたいな。政界や貴族界隈にも親独派はいたみたいですし。
なにしろ元はといえばウィンザー朝はハーノーバー朝(初代のジョージ1世はドイツ人)でしたし。
そんなこんだで、歴史というのはやはり勝った方が作るんでしょうかねぇ。

