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気になる言葉 <第210回>

先日、久しぶりに半田市の新美南吉記念館に行ってきました。

そこにある図書室で、南吉の日記を見つけました。その中の、子供のころの日記の一部に親友だった南吉が私の父と遊んだり、本を読んだりしたという記述がありましたが、なんとなく、むかしの父にまた会えたような懐かしさを感じました。


ふと横を見ると、その日記の隣に尊敬する東井義雄の本が並んでいました。

その中にあったのが、非行少年の歌です。

父への懐かしさに浸っていましたので、この歌が気になってメモしたものです。




1.どうにもならんことまで、どうにかしようとしちょる。それが疲るる原因よ。

-齋藤 正明 ネクストスタンダード代表-


齋藤正明さんという人がいます。彼は民間企業の研究員として 「マグロの鮮度保存剤」 の開発をしていましたが、上司から突然 「マグロ船で勉強してこい」 と命令され、そこでの強烈な経験から仕事観が代わり、それを活かしてコンサルタントへ転進したという面白い経歴の持ち主です。


マグロ船は一度出港したら40日以上戻れず、一人に与えられる空間は一畳ほどの寝床だけ。1日17時間9人が船の中で共同生活するのです。さぞトラブルや揉(も)め事が多く大変なことが起きそうだと思うのですが、実は彼ら独自のすばらしい仕事術を持って過酷な環境を楽しい職場に変えていたのです。そのいくつかを紹介します。


(1)ミスをすれば 『何しようるか、ボケッ!』と怒号が飛び交いますが、皆カラッとしており、厳しい叱責や陰湿ないじめなどありません。すぐに笑い話にして、皆で大笑いします。決して後を引くようなことは
しないのです。


(2)お互い実によく褒め合います。とくにベテラン達が若手に対して 『お前もだいぶ作業がうまくなったな』という上からの物言いではなく、『おまえがうまくなりよるおかげで、マグロが前より多く獲れるように なったど』 と自分の存在がこの場に貢献していると感じられるような褒め方をするのです。


(3)『できることをすべてしよったら、あとは海に聞け。陸の人たちは人間ではどうにもならんことまでどうにかしようとしちょる。それが疲るる原因よ』 例えば船長が舵を切る時、どちらにマグロがいるかの確率は 五分五分。それは人間の努力でどうにかできることではないのです。起こったことに運がいいも悪いもないと受け止め、少しでも早く次の決断をすればいいのです。


(4)『マグロはマグロ、クラゲはクラゲだ』 マグロは160/Kmで泳いでいないとすぐ死ぬが、クラゲはただ浮いているだけで寿命というものがない。だから自分の短所を補おうとするのではなく、長所を活かしていければいいんだ。真似ても自分が辛いだけだから。


どうですが、たかがマグロ船と言うなかれ。私たちの抱えているいろんな職場の問題が凝縮されていると思いませんか。人間が集まって共同で同じ仕事をしようとするならば必ず出てくる問題なんですね。

しかし彼らはそれを実に上手く、しかも人間の本質を突いた解決策で乗り切っているんです。驚きです。

昨今不景気の中で元気を失いがちですが、彼らの逞(たくま)しさを我々も見習おうではありませんか。



2.友は母さんとつぶやきにけり   

  -東井 義雄 児童教育者-


「子供のいのちを育(はぐく)む教育」 を実践された東井義雄先生が、ある本の中で紹介していた“非行少年の短歌” という話です。これから紹介する短歌は、ある少年院に収容されている少年達が作ったもので、稚拙ではありますが、そこには心の底から出た本当の気持が表れているような気がします。

とくに母親について歌った二首には心を動かされました。


・いれずみの 太き腕して 眠りいる  友は母さんと つぶやきにけり

ごつい腕にいれずみまでしている悪タレが寝言で 「母さん」 とつぶやきました。この少年もみんなからどうしようもない子だと指差され、不良だと烙印を押されて、やけを起こし、意地になっていれずみを入れ悪者がっていたのです。しかし、一人になり寝入ってしまって意地も何も消え去った時、ただ一人何があったとしても受け入れてくれる母のことが夢の中に浮んできたのです。
それを横で見て詠(よ)んだこの少年も友達の寝言を聞いて触発され、母のことを思い出して、しみじみとした気持ちになったのです。
この気持がやけを起こしていた気持を鎮め、立ち直らせていくのです。


・われのみに わかつるたなき 母の文字  友いねたれば しみじみと読む

汚いお母さんの字は、人には読めない稚拙な字なのかもしれません。でも、そんな字を人に見られるのが恥かしいのではなく、誰にもじゃまされず、お母さんの心にしみじみと対面したいのです。そして自分はこのままでいいのか静かに振り返り、内省したいのです。お母さんからの手紙はしみじみと心に触れてくるものがあるのです。そんな存在はこの世にありません。それができるのが唯一「母」 という存在なのです。


「お母さん」 というのは本当にすごいものですね。皆さんも子供の頃に、お母さんの 「大丈夫よ!」 の一言で勇気付けられ、「偉かったね!」 の言葉でどんなことにも耐えられた経験はありませんか。母親というのはまさにその子にとって生きる道標(みちしるべ)なんです。だからこそ、何か苦しい時とか悩んだ時にフッと頭に浮んだり、つぶやいたりするのですね。


東井義雄先生の詩に ≪最後の人≫ というのがあります。


世界中何億のすべての人が / 「あの子はだめだ」 と見放し / 見捨ててしまっても /

見放すことも / 見捨てることもしない最後の人 / それがお母さん


お母さんとは最後の最後まで見捨てない、観音さまのような存在なんですね。だからいまだこの歳になってもそのありがたさが時に思い出されることがあります。皆さんはどうですか。


それではまた来週・・・