神君・母と再会する | 心のままに

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坂部城・・愛知県阿久比町大字卯坂字栗之木谷32-1

ここは、家康(当時は松平元康)が桶狭間の戦いの前、永禄3年(1560)5月、母・於大の方と16年ぶりに感激の再会を果たした所。

 

※兄の信元が織田信長と結んで今川氏と対立したため、松平広忠に離縁された於大の方が、当時3歳の家康と別れ、坂部城の城主・久松俊勝と再婚し15年間暮らした所。

その間も熱田や駿府で人質だった家康に、励ましの手紙や衣類などを送り続け、後に家康の運命や人間形成に大きな影響を与えたと言われています。

 

今は城山公園となっている所へ・・途中には何体もの石仏がいらっしゃいますが、石仏の後ろ辺りが一部の土塁の跡らしい。

 

 

 

当時の本丸だった所には何も残っていませんが、ここで母子が感激の再会を果たしたと思うと、感慨深いものがあります。

※母と再会したとき、元康は自らの異父弟である3人の男子にも会い、松平氏を名乗らせ、葵紋を授け、江戸時代にはいずれの家系も大名に取り立てた。

 

綿の畑・・於大の方は里人に綿の栽培を教え、自らも栽培に励んだそうです。

 

阿久比(あぐい)古城跡の石碑と久松定武公や久松勝成公のお手植えの梅や松の木。

 

 

こんな石碑もありました。(松平定知氏 御来山記念)

※松平定知氏は久松松平氏の子孫でもあるNHKの元アナウンサー

ネットから拝借

 

松平定知氏の従兄弟でNHKの元ニュースキャスター磯村尚徳氏の「多く苦しむもの 多く学ぶ」と彫られた石碑も建っています。

ネットから拝借

 

この後、近くにある龍渓山・久松寺洞雲院へ。

菅原道真の孫である菅原雅則の開基とされる古刹で久松氏は道真の子孫。(久松氏は大変寛容な人物で、於大が家康に手紙や物を送ったり、再会するすることを許した)

山門、本堂、鐘楼。

 

 

 

 

境内の墓地には於大の方の遺髪塚があります。

 

岡崎市中町の大泉寺にある於大の方の遺髪塚。(過去写真)

(遺骨は江戸小石川の傳通院に埋葬された)