大神神社(おおみわじんじゃ)・・奈良県桜井市三輪1422
本殿を設けず、拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山(大物主大神が鎮まる神の山)を拝するという古い神祀りの様を伝える我が国最古の神社。
御祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
重要文化財の拝殿。
摂社の「狭井神社 (さいじんじゃ)」・・強力なご神威から病気平癒の神様として信仰が篤い。
拝殿の奥にある「薬井戸」の水は万病に効くと言われている。
(飲んできましたが、斑ボケにはあまり効かないみたい)
橘寺(奈良県高市郡明日香村)辺りから見える三輪山。
※橘寺・・奈良県高市郡明日香村大字橘
聖徳太子生誕の地と言われ、飛鳥時代に推古天皇の命により、太子が創建した。
山門と本堂
味酒(うまさけ) 三輪の山 青丹よし 奈良の山の
山の際(ま)に い隠るまで 道の隈(くま) い積もるまで
に つばらにも 見つつ行かむを しばしばも
見放(みさ)けむ山を 心なし雲の 隠そうべしや
(反歌)
三輪山を しかも隠すか 雲だにも
心あらなも 隠さふべしや
額田王 万葉集 (巻)1-17、18
〈意味〉
三輪の山は、奈良の山々の山間に隠れるまでも、道の曲り角が幾重にも重なるまで、しっかりとよく見ながら行きたいのに、何度も振り向きたい山なのに、無情にも雲が隠すなんてことがあってよいものだろうか。
(反歌)
三輪山を、そのように隠すのか、せめて雲だけでも思いやりがあってほしい。
雲が隠すことがあってよいだろうか。
白村江で唐・新羅連合軍に大敗した中大兄皇子は、両国による報復と侵攻に備えるため、九州北部と対馬に防人を配備し、北九州地方や中国地方には水城(みずき)や山城などをいくつも築きました。
そして、667年3月には、都を大津宮(近江)に遷し、天智天皇として即位しましたが、この遷都には重税などを不満に思う民衆が多く、日夜不審火が続いたと言われています。
遷都の時は旧都を守る役人を除き、全員が従わなければなりません。
その行列は三輪山の西で止まり、今後は見られなくなる三輪山を何度も眺めて見るのですが、雲に隠れて見えない事を嘆き、天智天皇に代わり詠んだ歌。
※三輪山は恐ろしい力を持って都を守る神の鎮まる山なので、遷都にあたり神の心を慰める必要があった。
※672年、大海人皇子(おおあまのみこ)と天智天皇の息子の大友皇子(おおとものみこ)との間で起きた皇位継承闘争「壬申の乱」後は、また都は明日香に戻され、近江大津宮はたった5年余りで廃都となりました。