五衣唐衣裳 | 心のままに

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俗に言う十二単の着付け披露が名古屋城本丸御殿・孔雀の間でありました。(3年前)

※「十二単」というのは俗な名称で、正式には「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」といいます。

着付け中は撮影禁止なので残念ですが、作法に則って厳かな空気の中で行われます。

 

出来上がりました(最初から終わるまで、40分くらいかかっています)この姿は江戸時代以降の女性の正式な五衣唐衣裳です。

※全重量は約20キロ。

 

歩いて後姿も見せて頂きます。

この衣装を着ると後ろへ下がることが困難なので、廊下などで人とすれ違う時は、年下の人が端に寄って相手が通り過ぎるのを待った。

※年齢で衣装の色の合わせ方が決まっているので、お互いの年齢がほぼ分かるのだそうです。(昔は誤魔化せなかった!)

 

これは平安時代の五衣唐衣裳です。

顔を隠すための檜扇を持ち、前髪に釵子(さいし)がありません。


この状態の衣装を「空蝉(うつせみ)」といいます。

 

細かい名称などが書いてあります(これは借りてきました)

 

 

 

韓衣(からころも) 裾に取り付き 泣く子らを

 

置きてぞ来のや  母(おも)なしにして

 

      他田舎人大嶋 万葉集(巻)20-4401

 

<意味>

韓衣の裾にすがりついて「行かないで」と泣いていた子ども達を置き去りにしてしまった。あの子らにはもう母親もいないというのに。

 

※韓衣・・外国(中国や朝鮮半島の国)ふうの衣服のこと。

この時、防人として仕えるために、旅に出る作者の外出着。

 

防人として任地へ行くようにとの命を受けた者にとって、親、妻、子供との別れは言葉では言い表せない悲しみがあったと思いますが、世の中の事情も分からない幼い子には、何と言って別れたのでしょう。

しかも、この子らの母親はもう亡くなってしまっています。

断腸の思いで旅立つ作者の心を思うと切なくなります。

 

この時代の庶民は、明日への命を繋ぐだけで必死の毎日です。

例え作者の親や兄弟がいたとしても、残された子らを親代わりになって育ててやれるような余裕はないと思います。

衣の裾にしがみつき「行かないで」と泣き叫ぶ子らが哀れです。

 

その後の作者や子供たちの事は万葉集には載っていませんが、置き去りにされた子らが、お互いに助け合い、励まし合って辛さを乗り越え、成長してくれていてほしいと願わずにはいられません。

国の有事の時なども、辛い思いをするのはいつも庶民ですね。