心のままに

心のままに

ゆっくり、のんびり、思い出づくり

ひるがの高原を通って、富山県高岡市へ行ったのはもう何年前だったでしょう。

富山県・高岡市というと、大伴家持が国司として5年間も赴任した所で、家持の第二の故郷と言われています。

実際、この北陸の地で詠んだ和歌223首の多くが万葉集中の名歌とされています。

最初に訪れたのは、やはり「高岡万葉歴史館」

※敷地内には「万葉集」所縁の花木を植えた「四季の庭」があり、館内には上代文学に関する図書・研究論文約85,000冊や、貴重な「万葉集」の断簡(途中で切れている不完全な文書)・注釈書・古写本などが保存されています。

 

正面には二上山(ふたがみやま)を詠んだ、とても大きな歌碑が建っています。

※奈良にある二上山は(にじょうざん)と読みます。

展示品も様々ですが、訪れる人も限られているのでゆっくりと見学できる。

遣唐使船、漏刻での役人の仕事、当時の貴族や庶民の食事、平山画伯・作の「藤原京」、家持の詠んだ歌の映像展示など、時間を忘れます。

 

 

(プラスチック容器入りなので見難いですね)

貴族の食事

庶民の食事

 

 

庭には、こんな所にと思う場所に歌碑が建っています。

 

今日のためと 思ひて標(し)めし あしひきの 峰(を)の上の桜 かく咲きにけり

                       (巻19ー4151

 

次に訪れたのは、越中一宮「気多神社」

拝殿   (写真はありませんが、本殿は重文指定)

 

 

境内には大伴家持を顕彰して、地元有志が昭和60年に創建した「大伴神社」

ここにも歌碑が建っています。

馬並(な)めて いざ打ち行かな 渋谿(しぶたに)の 清き磯廻(いそみ)に 寄する波見に

                           (巻17-3954)

 

 

 

青龍山・松永寺 愛知県豊川市市田町中之島57

先日、渥美半島辺りへ行ったとき、寄り道してきた所です。

ここには、鳥居強右衛門勝商(とりいすねえもんかつあき)が磔にされた像があります。

 

※1575年、徳川領の長篠城は武田軍に包囲され落城寸前の時、城主・奥平信昌の家臣(足軽)だった強右衛門は、家康に援軍を求める使いとして危険を顧みず、狼煙(のろし)役の鈴木金七郎と共に夜中に城の下水口から脱出、走って岡崎城に向かいました。

家康は早急に救援に行くことを決め、一緒に行こうと言いましたが、早く仲間を安心させたいと思った強右衛門はすぐに引き返し(往復135キロ)、長篠城を目前にして武田軍に捕らえられてしまいます。

勝頼は「援軍は来ないから、早く城を明け渡せ」と、仲間達に叫ぶことを命令しましたが、彼は「援軍が来てくれる、あと少しの辛抱を」と大声で伝えたため、城内の味方が見守る中で磔にされ、享年36歳の生涯を終えました。

彼の命がけの報告を聞いた仲間たちは、援軍が到着するまでの約2日間必死で城を守り、織田・徳川連合軍を大勝に導いたのです。

この時の戦いが、馬防柵と3千丁の火縄銃を使い、武田の騎馬軍を破ったとして有名な「長篠・設楽原の戦い」です。

 

この話は大河ドラマにも登場しましたね。

刀剣ワールドHPより拝借

※強右衛門の辞世と伝わる一首

「我が君の 命に代わる 玉の緒の 何いとひけむ 武士の道」

 

上から

山門、石仏、鐘楼、本堂、庫裡

珍しく、芝生が美しいお寺です。

 

 

 

 

 

 

 

ここは強右衛門の木像がある弘法堂

 

磔の像(顔まではっきり見えないのがちょっと残念)

 

※設楽原歴史資料館に展示されている「強右衛門の磔」画

 

これは長篠城の模型かな?

 

大河ドラマ「どうする家康」のポスターがまだ貼ってあります。

 

改築前の本堂の鬼瓦。

 

暑い日だったので、白い百日紅が涼しそうに見える。

 

お寺の隣には強右衛門の生家があった。今は石碑が立っています。

 

強右衛門のお墓(首塚)は新城市の甘泉寺というお寺にありますが、そこまで行けなかったので(ネットから拝借)

 

※他に、新城市の新昌寺には胴塚もあるそうです。

 

奈良県立万葉文化館

「万葉集」を中心とした古代文化に関するミュージアム。

 

 

飛鳥池工房遺跡・・平成3年の発掘調査で見つかった(文化館敷地内)7世紀後半~8世紀初めにかけての工房跡。

当時は金、銀、銅、鉄、ガラス、漆などを使って様々な物が作られ、日本最古の銅銭・富本銭も鋳造されていた。

 

明日香(飛鳥)の景観との調和に配慮した外観で、館内では「万葉歌」を題材にした日本画をはじめ、映像や音楽を使ったさまざまな展示が行われている。

 

 

 

 

※歌垣とは・・男女が橋の袂や海辺に集まって歌舞飲食し、自由な性的交わりの許される場で、古代における求婚の一方式でもあり、多くは春と秋に行われた。

 

石敷井戸復元模型

平成11年の発掘調査で見つかった石敷井戸の実物大復元模型。

 

万葉歌碑も多い庭、晴れていたら紅葉も綺麗だったのに残念!

天橋(あまはし)も 長くもがも 高山も高くもがも 月夜見(つくよみ)の 持てる越水(をちみず) い取り来て 君に奉りて をち得てしかも  (巻13-3245 作者未詳)

 

 

亀形石造物

1999年に発見された、亀形の謎の石造物は、全長2.4m、幅2m、斉明天皇の時代に造られ、ここで何らかの祭祀が行われたと考えられている。

※斉明天皇は土木工事を度々行い、庶民が疲弊しました。

 

酒船石

亀形石造物からすぐ近くの竹林の中の階段を上った所にあり、石の長さは5m、幅2.3m、厚さ1mの花崗岩でできている

何に使ったのか様々な説があるが、実際のところはまだ謎のまま。

 

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