心のままに

心のままに

ゆっくり、のんびり、思い出づくり

愛知県は信長・秀吉・家康の三英傑を始め多くの武将を輩出していることから「武将のふるさと」と呼ばれています。

江戸時代の殿様の7割は愛知県をルーツとする大名で占められ、さらに、日本のお城の大半は愛知県ゆかりの大名が築いています。

 

その内、何名かを以前写した生誕地や所縁の地などの写真でご紹介します。

 

◎源 頼 朝・・・名古屋市熱田区旗屋

頼朝は意外だったのでは?愛知県民でも知らない人が多いです。

※頼朝の母、由良御前の実家は熱田大宮司家だった為、親元へ帰って出産した。

※尾張徳川家が保護したので、扉には葵の紋が入っています。

誓願寺と産湯の井戸

 

◎織 田 信 長・・・名古屋市中区

※勝幡城という説もある。

那古屋城跡(現・名古屋城ニ之丸)と桶狭間古戦場公園の像

 

◎豊 臣 秀 吉・・・名古屋市中村区中村町(現・常泉寺)

太閤山・常泉寺と 産湯の井戸、像

 

◎徳 川 家 康・・・岡崎市康生町(現・岡崎公園)

岡崎城と浜松城

 

一時的でも天下人となった武将の内、4名が愛知県生まれです。

 

◎前 田 利 家・・・名古屋市中川区荒子町(現・富士権現社)

金沢城(石川県)と富士権現社

 

◎加 藤 清 正・・・名古屋市中村区中村町(現・妙行寺)

正悦山・妙行寺と名古屋能楽堂近くの大きな像

※秀吉の母と清正の母が従姉妹という説があります。

(秀吉と清正、二人の生誕地はすぐ近く)

 

◎柴 田 勝 家・・・名古屋市名東区陸前町

柴田神社(福井県)・鳥居と勝家像

 

◎山 内 一 豊・・・一宮市木曽川町(現・黒田城跡)

※岩倉市という説もある

高知城(高知県)と一豊・千代像(郡上八幡市)

 

◎本 多 忠 勝・・・岡崎市西蔵前町

忠勝像(三重県桑名市)と家康と共に祀られている龍城神社(岡崎市)

 

◎酒 井 忠 次西尾市

吉田城(豊橋市)

◎加 藤 嘉 明・・・(三河・詳細は不明)

松山城(愛媛県)

 

◎石 川 数 正・・・安城市

松本城

 

保存した写真はまだありますが、長くなるので・・

◎福 島 正 則・・・あま市二ツ寺屋敷 ◎織 田 信 雄・・清須市 

◎池 田 輝 政・・・清須市      ◎本 多 正 信・・安城市

◎安 藤 重 信・・岡崎市       ◎水 野 信 元・・東浦町

◎浅 野 長 政・・北名古屋市     ◎榊 原 康 正・・豊田市

◎蜂 須 賀 正 勝(小六)あま市   ◎丹 羽 長 秀名古屋市

◎佐 々 成 政・・名古屋市               ◎板 倉 勝 重・・岡崎市

◎大 久 保 忠 教(彦左衛門)岡崎市  ◎佐 久 間 盛 政・・名古屋市

◎山 本 勘 助・・豊橋市    ◎前 田 利 益(慶次)名古屋市 

◎池 田 恒 興・・名古屋市         ◎長 束 正 家・・稲沢市

◎服 部 正 成(半蔵)・・岡崎市      ◎生 駒 親 正・・江南市

◎堀 尾 吉 晴・・大口町             ◎鳥 居 忠 吉・・岡崎市 

 ◎溝 口 秀 勝・・稲沢市                ◎鳥 居 強 右 衛 門・・豊川市

 ◎清 水 一 学・・西尾市  ◎片 岡 高 房(源五右衛門)名古屋市

◎平 岩 親 吉・・幸田町 

※◎森 の 石 松・・新城市 ◎吉 良 の 仁 吉・・西尾市吉良町 

他、多数

 

※なかなか思うような行動ができないので、5年近く前の記事をリメイクしました。

 

長い記事になったついでに・・

我が家の先祖は今の神奈川県西部にあった山城の城主でした。(私の先祖ではなく)

訪れたことはないですが、土塁や空堀などの遺構も少しあるようです。

現在、一族は総本家を始め、分家も入れて全ての家系図が残っていて、320ページもある1冊の立派な書籍になっています。

このように全ての家系図が残っている一族は、近衛家や九条家などの公家以外では大変珍しいそうで、国会図書館や全国いくつかの大きな図書館に所蔵されています。(私の名前も載っていますよ)

 

おはようございます。

猛暑の夏が嘘だったように、師走らしい寒い日が続きますね。

 

ブログを開設した2008年の9月から、皆様にはいろんな事を教えていただきました。

今まで興味がなかった事にも眼が向き、ブログには自分らしい事を綴ろうと、あちこちへ出掛けて充実した日々を過ごせた事はブロ友さんや家族のお陰、長い間ありがとうございました。

 

 

 

 

コメ欄非表示の時でも前記事やメッセージでコメントをくださった方もありました。

 

 

 

忙しい時、当日は無理でも翌日や翌々日になっても忘れずにコメントをくださった方、体調が悪くて寝込みがちの時でもコメントをくださった方、興味のない記事でも、自分なりに考えてコメントをくださった方など・・・

お互いにコメントをして会話を楽しむために開設したブログとしては大変嬉しく、遣り甲斐を感じる事でした。

 

 

 

来月の20日は夫と私の52回目の結婚記念日です。

幸いなことに、二人とも定期的に病院へ通いながらも看病や介護の必要はなく、日々楽しく暮らしています(相性は良いようです)

しかし、コロナ禍での長かった自粛生活で、最近は特に夫が以前より体力が落ち、遠出もあまりできなくなりました。

 

 

 

手話ボランティアはもう引退しましたが、コロナ禍で自粛していた「万葉集を読む会」も再開され、またボケ防止に役立てようと、仲間達と脱線しながら頑張っています。

これからは身近な所で楽しみを見付けて少しのんびりしたいと思いますので、ブログは今日で一旦休止したいと思います。

 

 

 

再開は未定ですが、気が向けば新記事を更新するかも・・・

皆様のブログには時々お邪魔させて頂きますね。

 

では、少し早いですが、お元気で新しい年をお迎えください。

そして、これからもブログ生活をお楽しみください。

 

 

 

見所がたくさんあり、載せたい写真がいっぱいありますが、きりがないので・・

※天守は早く当時のままの姿に木造で復元されますように・・

当時のままに復元できるのは、全国でも唯一、国宝第1号だった名古屋城だけなのですから。

 

リコメなど、遅くなります。

因幡国庁跡・・鳥取県鳥取市国府町中郷

※昭和53年に国の史跡に指定された。

上から

正殿跡(国司が政務や儀式を執り行う所)

後殿跡(国守が政務を執り行う所)

模型

 

 

 

※国司とは、長官の「守」、次官の「介」、三等官の「掾(じょう)」、四等官の「目(さかん)」など地方の国のお役人の総称。(説明板より)

 

大伴家持の歌碑・・鳥取市国府町庁(今日ご紹介の歌)

 

近くにある、在原行平の 歌碑(855年、因幡守に就く)

「たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」

※この歌は百人一首にありますね。

 

 

新(あらた)しき  年の始めの  初春の

 

今日降る雪の  いや重(し)け吉事(よごと)

 

          大伴家持(万葉集)巻20-4516

 

<意味>

新しい年の初めの今日降る雪のように、いっそう重なれ、良いことよ。

この一年、めでたい出来事が重なりますようにとの願いを込めて詠まれた歌。

4516首ある万葉集の最後は、編者という説が有力な大伴家持の歌で終わっています。

天平宝字3年(759)、42歳の家持は因幡に赴任して初めてのお正月を迎えました。

※家持はこの前年、事件(橘奈良麻呂の変)に巻き込まれ因幡に左遷された。

 

特にこの年はとても珍しいことに元日と立春が重なり、さらに豊年の瑞兆と考えられていた積雪もありました。

当時、元日は役所に役人を集めて宴を開く習慣があり、その宴で詠まれた歌です。

立春と旧正月が重なる、すなわち旧元日が立春だと「朔旦立春」と呼ばれ、めでたさが2倍になります。

 

藤原氏の勢力が拡大していく中で、大伴家の凋落に心痛めていた作者の心が想像され、おめでたい歌で最後を締めくくることで、大伴家一族の末長い繁栄と編者としての万葉集全体を祝福したかったのでしょうか。

彼の当時の辛い思いや願いが込められているように思います。

 

彼はこの後26年間生きますが、正式な歌はこれが最後となっています。

その後も謀叛事件に連座、薩摩守に左遷されたのをはじめ、さまざまな苦難に遭いつつ、延暦4年(785)多賀城(陸奥国府・今の宮城県)で亡くなります。

しかし、死後20日の後、まだ葬られていない内に再び謀叛(藤原種継暗殺計画)に関わったと除名され、息子の永主らは隠岐に流罪となっています。

こうして名門・大伴本家は歴史の中から消えて行きましたが、万葉集は時を超えて現代まで多くの人に読み継がれ、彼も天国でホッとしていることでしょう。