ペットに葬儀は必要か | 小笠原まさやオフィシャルブログ「ヒーリングと占い・金魚堂」Powered by Ameba

ペットに葬儀は必要か

こんばんは、金魚堂の高橋です。
この間インタビュー記事で金魚堂について語ったのはいいんですが...
 
写真、でかくね?
 
と記事を確認して驚いております。どアップじゃないか笑
 
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最近、ペットの葬儀についての話になりました。
私も若い頃から家にはインコが何羽もいたり、隣の家のワンちゃんが
隙あらば我が家のリビングで遊んでいたり、上海では仲良くなっていた
韓国スーパーの店員の男の子に泣きつかれて捨て猫を飼うことに
なったりと、動物はわりと好きなほうなのかなと思います。
 
一言で「ペット」と呼ばれますが、私にとって家にいるオカメインコたちは
やっぱり「家族」ですし、おうちに動物がいる方たちもそうだと思います。
だから彼らが亡くなったとき、人間と同じように送ってあげたいと思うのは
気持ちとしてはすごくよくわかるんですよね。
 
でも...
 
ピュアなエネルギーが強い動物たちは、葬儀を必要としません。
その瞬間向こうの世界...生きている人間には目に見えない世界、
苦しいとか辛いとかがない世界に行くのを観てきて、そう思っています。
この仕事を始めた頃、ペットロスの方のお宅に行くことが何度かあって、
その子は「ママ」と一緒にいて、でも同時に目に見えない幸せな世界にも
いるところを観てきました。
 
最近ペット業界が葬儀を売りにしていたりしますが、私はお金のために
それをやっている人たちには断固反対を表明したいです。
仏教の中には、「動物は極楽には行けない」と開祖が言っていた宗派も
ありますが、そういう宗派では動物が極楽に行けるかが議論になって
答えは出ていない(目に見えない世界だから当然ですが)のに、どうして
その宗派の中で僧侶を名乗る人がペット葬儀をしてるのかなと思います。
 
私は慰霊碑的な場所を観て、怒りに震えたことがあります。
 
「どうしてこの子たちはどこにも行けなくてこんな塊になってるの!!」
 
形だけの"供養"、お経を読むだけの儀式をしたんだと思います。
飼い主さんたちは自分の子に安らかにいてほしいから高いお金を払って
供養をお願いしているのに、その子たちはその場所から動けなくなっていて
その供養会を開いた人間と僧侶に腹が立つわ悲しいわで涙が出ました。
 

亡くなってからも、自分のおうちで大好きだった人たちに会いたいだろうに

動けなくなっている状態で、それすら観えていない人間が何してんだ、と。
小笠原は密教の阿闍梨で、人間も動物も全てを救おうとする宗派なので
それを観た晩に話をして、次の日のお経のときに上げてもらいました。
 
愛情があれば、葬儀や毎年の供養は必要ないと思います。
手元にいてもらうのに火葬をお願いするとか、家に写真コーナーを作るとか
家族がその子たちの可愛さや愛情を思い出すことが何よりの供養です。
 
ご供養をお願いするなら、その人がお金儲けのためにやっているのか、
それとも本当に動物が好きでやっているのかを見てほしいな、と思います。
動物と飼い主のためにやっている人であれば、その子は私が見たような
悲しい時間を過ごさずに幸せな世界に行けるはずだからです。
 
私は自分が飼っていた子たちの葬儀をしたことはありませんが、彼らが
おかしなところに行ったりはしていないと知っています。
学生の頃よく一緒にお昼寝をしていた黄色いインコのピーちゃんのことを
思い出すときに、近くでほわっと温かい場所ができるのも知っています。
 
言葉でコミュニケーションを取れない分、もっとこうしてあげればよかった
という後悔は人との別れより多くなってしまうかもしれません。
でも、私が見てきた子たちはみんな軽やかに動いて、むしろ「ママ」や
「パパ」のことを心配したり、大好き!って伝えてくれました。
 
私も向こうに行ったら、またピーちゃんたちと過ごしたいと思っています。