ウェブとジャーナリズムと新しい時代 | 小笠原まさやオフィシャルブログ「ヒーリングと占い・金魚堂」Powered by Ameba

ウェブとジャーナリズムと新しい時代

こんばんは、高橋です。
今日小笠原が書いたTwitterを見て、関連していろいろ考えたことを
書きたいなと思っているうちに宮迫さんと亮さんの会見が始まり、
さらに考える材料が増えて...

ここ数日娘の大学の課題の関係でジャーナリズムについて話す中で
(違う学科ですが同じ大学で私は中退してます)ひとつ出た結論は、
「私が学んできたようなジャーナリズムは死んでいた」ということでした。

中立性を必要とする云々といった理由もありますが、歴史的に
「権力を監視する」役割も持っていたはずのもの自体が、いつのまにか
権力を持ってそれを振りかざすようになっていたと理解したからです。

権力というのは政治だけではなく、大きな社会の枠組みも含んでいます。
ジャーナリズムを標榜することといかに利益を生み出し、維持するかは
両立しない部分のはずなのに、動き方が政治的になっているという。

話はそれますが、投票率が低いのは当たり前だと思います。
現在の選挙は結局「誰が権力を手に入れてそれを行使するか」を
選ぶためだけのもので、だからなんだって話なんですよね。
どんな綺麗な公約を言われても、結局は大した変化はないという。

もうひとつは、自分の意見をジャーナリストに代弁してもらうのではなく
直接発表できる場としてのウェブという存在です(見せ掛けの匿名性に
安心して誹謗中傷を書き込むというのはまた別の話ですが)。

私自身はほとんど何も発信していませんがTwitterは初期から、FBは
英語版しかない頃からアカウントだけは持ってたり、GREEが日記だけ
だった頃はランキング常連たちでチャットをしたり実際会って飲んだり、
わりと古い時代からのSNSユーザーです。

十年以上前にウェブメディアで記事配信の仕事をしていたこともあって
ウェブの使われ方の変化を見てきましたが、初期のただ単純に日記を
書く、自分の思っていることを呟くといったところから徐々に乖離していき
いつのまにか宣伝ツールになり、承認欲求を満たすツール、自分と
考え方が違う人間、気に入らない人間を蹴落とすためのツールとして
使われるケースが増えていって...

ネットを媒介とした事件、偽りの情報、掲示板などでの自作自演、
価値のないものをあるかのように見せるただの「数」だけの論理など、
娘との会話の中でマイナス面ばかり出てきていた中で、今日やっと
私にとって前向きなウェブの位置づけがわかったような気がしました。

「弱者が自分より大きな力を持ったものに立ち向かう」

ためのツールとして、ウェブはポジティブな意味を持つんだな、と。

日本では令和という新しい時代が始まり、私がずっと言ってきた
「嘘がつけない、隠し事ができない時代」が来たと感じています。

今年に入ってからNGTの一連の出来事、今日の会見での内容など
今までなら出なかったことがウェブを通じて明るみに出ています。
古い枠組みに捉われない、新しい社会ができていくのかもしれないと
少しの怖さと大きな期待を抱いています。

小笠原がTwitterに書いた通り、「誰かの涙を自己承認欲求で満たす
ために利用する人間は占い師、ヒーラーではない」。
これは私たちが金魚堂を始めた頃からの哲学でもあります。
「また来週電話をしてください」「プレゼントが当たったら使い方を
説明するので電話してください」などという鑑定師とは一緒に仕事を
することはできない、と金魚堂を離れてもらってきました。

占いが古代から残っているのは、人間が精神性やメタフィジックスと
切り離せない存在だからだと思います。
逆に言えば各個人が本来の力を取り戻したら、今私たちがやっている
仕事はなくなっていくと思いますし、いつかそうなってほしいと思います。

昔、私にウェブについて叩き込んでくれたとんでもない経歴の女性が
「画面の向こうに人がいることを忘れたら終わり」だと教えてくれました。
それは電話占いという仕事をしている今でも心に留めている言葉です。

改めていろいろ考えた一日でした。