戦うというマトリックス | 小笠原まさやオフィシャルブログ「ヒーリングと占い・金魚堂」Powered by Ameba

戦うというマトリックス

ご無沙汰しております、風邪っぴき高橋です。
外に出られないので将棋の結果をチェックするか囲碁を打ってるかしています。
もうすぐ名人戦が始まるので佐藤天彦名人こと貴族(?)とプロになったばかりの
本田奎四段(竜王戦を勝ち進んでいる)をひたすら追っているいい年の人。

元ダンナさんが囲碁の院生だった過去があってそっち系の人脈が豊富だったので、
なぜかその頃ひたすら教わってた→何これ面白い→将棋...そういえば子供の頃
おじいちゃんやってたな→動物将棋にはまる→やだこれ面白い→今に至る。

"ヒント"で出た最善手を最初から最後まで打って棋譜再生、何度も見て覚えるとか
今更私が強くなっても何にも意味はないだろうにそんなことばっかりやってたら
この一週間で目がすごく悪くなったような( ◜◡◝ )

さて前振りが長くなりましたが、勝負の世界って大変ですよね。
囲碁将棋に限らず、会社では同期との出世争いやら、営業だったら競合他社との
争いやら、いろいろ"戦い"的なことをする羽目に陥ったりするでしょうし、恋愛なら
ライバルがいたりすることもあったりします。

でも、本当にその争いに勝たなくてはならないんでしょうか。
だとしたらなぜ勝たなくてはならないんでしょう。

もちろん勝負の世界に生きている人にとってはそれが日常だと思うんですが、例えば
詰将棋選手権の藤井聡太七段の様子なんかを見ていると、楽しんでいる部分が
すごく見えてきて、おばちゃんはほっこりしたりします。
もちろん優勝することも目標だと思いますが、それよりも出される問題をどれだけ
正解できるかだったりに比重を置いてるんじゃないかな、なんて思います。

結局、意味のある戦いって自分との戦いだけなんじゃないかなあ。

例えば私は毎日自分でやると決めている一通りの瞑想手順があります。
今回風邪があまりにも辛くて何日か休んでしまいましたが、少しよくなってきてから
すぐに再開して、ハートが変わらず震えて感情がこみ上げることに安堵しました。
(ちなみにひとつの課題を終えた!と実感したときは頭全体がボコボコ動いて形が
変わったり、なにかのキーワードに反応して勝手に涙が出てきたりするので
きちんと繋がれているかそうでないかははっきりわかります)

私にとって日々の瞑想は自分との戦いでもあって、忙しい中でもう寝たい、という時も
時間を取るのは、瞑想の中で自分を正確に見極めることが自分の世界をいい感じに
キープするための&正直者が報われる世界を作るための鍵だからです。
それと同時に"自分が決めたことをやり続ける"ことが、自分はけっこうイケてる!と
思うために大切なんじゃないかな、と思っているからでもあります。

結局、自分が今の自分に満足することが大切なんだと思います。
そうなっていれば他人との勝負という間違ったマトリックスに嵌らずにいられます。
全意識を自分の中に収めることで他者がだんだん気にならなくなりますし、それは
自分を癒すことでもあります。そして、自分が癒されれば無意味な他者との勝負とは
社会が生んだ歪みでしかないことがわかります。

これは、私がずっと"私が一番って言ってるとか、必要以上に自撮りを載せてる
(=人からの賞賛を浴びようとしている)ヒーラーはダメ"と言っている理由です。

勝ち負けってそれこそ競技などで決められたルールの中でしかつかないもので、
心の中で誰かと自分を比較し続けるのってしんどいですよね。
比較することでコンプレックスが生まれて、必要以上に威圧的になってしまったり
その逆に周りの様子を伺いすぎたりしてしまいます。

まあ相変わらず高橋哲学的なわけのわからない文章になってしまいましたが、
自分が幸せになる、幸せでいるためには自分が自分をこんなもんでいいかな、と
思える状態を作ることがまず最初なんじゃないかなというお話でした(⋈・◡・)