スピリチュアル・宗教とこれから | 小笠原まさやオフィシャルブログ「ヒーリングと占い・金魚堂」Powered by Ameba

スピリチュアル・宗教とこれから

こんばんは、高橋ハナです(⋈・◡・)
先週末は娘を連れて厳島神社に行ってきました。

整備で飛行機が遅れて広島に着いたのが21時近く、市内到着は22時。
次の日の夕方には新幹線で東京に戻るというスケジュールだったので
大急ぎで参拝してまた市内に戻らなければならなかったんですが、
厳島神社は凛として静かにそこに佇んで、地域を見守っていました。

前回書いたオウム真理教とスピリチュアル に関連する内容になりますが
スピリチュアルについて書いてみたいと思います。

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スピリチュアルなことをしていると標榜する人の中には、スピリチュアルは
よくて宗教はよくないと教えたり考えたりしている方もいらっしゃるようです。
例えば「スピリチュアルは自分の中にある神を呼び覚ますからOK」という
ようなことを言う方は多いんですが、私自身は崇める対象が異なるだけで
本質的には同じじゃないかなあ、と思ってきました。

スピリチュアル系の方でも、教祖と信者みたいなノリの方もいたりしますし
私は特別だ、というような言葉をブログ等に書いている方もたくさんいます。
やり方を知って愚直に実践すれば誰にでもできるはずのものなのに、
なぜ私!私!ってなっちゃうんだろうというのは、スピリチュアルについて
学び始めた初期の段階で疑問に思っていたことです。

なんとなくもにょっとしたまま過ごしてきたんですが、最近になって何となく
ああこういうことだったのかと気づきました。

その人個人の自由を尊重しているかどうか。
その人の意思、思いに対してコントロールするようなことがないかどうか。

これができていないということは、その人はまだ三次元・四次元の枠...
善悪がある二元論の世界に囚われているということで、どこかの時点で
癒しが起きるとしてもある程度の時間が必要だということになります。

また、宗教ならその神なりその神を利用する側の人間、スピリチュアルなら
教える側が正しいと思う枠組みに人を当てはめようとするものになります。

例えば結婚がうまくいかなかったヒーラーが結婚なんてよくない制度だとか、
自分はずっといじわるをされてきたから人間というものは弱くて悪を心の中に
持っているものだ、などと思ってしまっている人...のセッションを受けたり
話を聞いて影響を受けることは、つまりは自分もそういう思い込みを無意識の
中に入れてしまうということなんですよね。

心あるヒーラーなら自分の思い込みを投影しないように注意をするはずだと
思うんですが、そこに気づく前段階の人もヒーラーとしての活動をしてたりも
ありますし、基準がない上に目に見えない業界は難しい...

いずれにせよ、宗教家でもヒーラーでも自分を見つめることをやめてしまうと
見えない罠みたいなマトリックスに嵌ってしまうんだろうと思います。

偉そうにこんなことを書いていますが、私の中にもまだまだ解消しなければ
ならない何かは日々浮かび上がってきますし、人間として生きている限り
まったく何も葛藤がない状態...悟りの状態で日常を送るのは難しい、でも
人間として生まれたんだからそれが在るべき形、自然なのかなと思います。
ただ、少なくともプロだと名乗る以上は日々自分を見つめることは最低限
必要なことだと思いますし、自分の傷や思い込みを人様に投影しないように
細心の注意を払わなければと思っています。

仕事柄、どんなヒーラーのところに行けばいいかと聞かれることがよくあって
私は昔から「ブログかサイトを見て、私こんなにキラキラ!私こんなにすごい
ことができます!って書いてない人のところに行ってください」と答えてきたん
ですが、自分に傷が少ない人は誇張しないしすごく普通なんですよね。

オウム真理教は麻原が例え間違ったことを言ってもすべて受け入れろという
教えがあったそうで、破壊と創造の神とも言われるシヴァを崇めていたことも
あって今に至るまで"麻原は破壊の後の救済"を目指したのではないかとも
思ってしまう、という元信者さんの言葉が本に掲載されていました。
宗教的には筋が通ってしまうけれど、社会的にはとんでもないことだったと。

違いますよね。
一人の人間...オウムなら麻原...がいくら宗教的に正しいと感じていても
それを正しいと思わない人間にとってそれは真理ではないわけですから、
正しいからこの道を歩め!と言われるのはただのエゴの押し付けです。
「私はあなたとは違う」という分離を促すだけの方法論であり、その宗教を
信じていない人間にとって宗教的に筋が通っているはずがありません。

考え方や性格、表現の仕方などそれぞれの個性、違いを尊重できなければ、
「この形だけが正しい」というひとつの枠に人を押し込めることになります。
その形で癒やしや目覚めを促すのが宗教で、それは今まで一部の人間に
よる権力主義に利用されたりしつつも機能してきたんだと思います。
だったら、スピリチュアルがその形を目指す必要はないですし、新しい情報や
エネルギーを広げていくのがスピリチュアルの存在価値ではないでしょうか。

ネットなどの普及で大きなヒット曲も出ない、テレビの視聴率も大きく下がった
ひとつの方向に人々が向かわない個人主義の時代、ちょうどいい距離感で
人間関係を作り、ちょうどいい形で仕事をして、プライベートも楽しむ。
それは充分にできることですし、そんな世界線を作るために動いている人は
大勢いて、私もその一人としてがんばっている最中です。

...えらいこと長くなってしまった(´ε`;)

まあ端的に言ってしまうと、それぞれに合った形があると思うので、選択肢が
どんどん増えたらいいなという話でした٩(╹౪╹๑)۶