オウム真理教とスピリチュアル | 小笠原まさやオフィシャルブログ「ヒーリングと占い・金魚堂」Powered by Ameba

オウム真理教とスピリチュアル

こんばんは、金魚堂の高橋ハナです。
ちょうど数日前に書いた 師をみつけたスピオタクの話  をアップしなきゃと
思っていたところだったんですが、オウム真理教の事件での死刑囚7名が
死刑執行されたというニュースについて、私なりに書きたいと思います。

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オウム真理教の"尊師"麻原彰晃こと松本智津夫がメディアに出たりなど、
まだこんな事件を起こす組織だと思われていなかった頃、私は東京で
ライブハウスに通ったり友達と遊んだりしている高校生でした。

選挙活動だったのか日常的な何かの運動だったのかはわかりませんが、
杉並区の友達の家でたむろしていると街宣でオウムの歌が流れてきて、
アホな高校生だった私たちでも「これが当選したら日本終わる笑」などと
言っていて、正直オウム真理教はネタ的な存在でしかありませんでした。

坂本弁護士一家事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件が発生し、その
全貌が明らかになるにつれ、私はなぜこれが起きてしまったのか、元は
世界をよくしたいと思う...善意の人たちだったはずがなぜこんな結末を
迎えることになったのか知りたくて、本やサイトを調べるようになりました。

今日の死刑執行にショックを受けている自分に驚いた数時間というのが
あって、これはなぜなんだと突き詰めたときに出てきたのは
「オウムを信じた人たちは師を間違えた、ある意味それだけなんだ」でした。

もちろん疑いを持って逃げ出した人もいたようですが、どんな目に遭ったか
間近で見ていた人間...しかもそれまでの社会生活を全て投げ出してきた
人間が、そこから「麻原はおかしい、じゃあやめよう」とならなかったことは
想像できますし、そこに人間の弱さ、哀しさを感じます。

事実ベースとして多くの方が証言しているように、麻原にもちょっとした
超能力のような力はあったようです。
でも人の考えていることを読むとか、スプーンを曲げるとか、体外離脱を
するとか...をできる人はこの現代に於いてはけっこういると思いますし、
それらができるからといってその人が人格的に優れているわけではなく、
その人が必ずしも幸せに毎日を過ごしているというわけでもありません。

表面的なオカルトにはまって「超能力めいたことをできるようになることを
目的にすると、オウム信者だった人たちの多くが当初望んでいたはずの
「世界を救う」ということからはかけ離れていってしまうんだと思います。

「特別なことをできる自分になりたい」というエゴが活発化するからです。

理想を体現するために修行をしていたはずが、どんどん自分を見つめる
作業から逸脱して麻原と取り巻きの機嫌を損ねないための偽物になった。
それは偏に誰しもが持っている人間としての弱さであって、自分が彼らの
立場だったとしたら同じことをしたんだろうかという疑問は捨てきれない、
これが私の感じたショックの一因だったんだろうと思っています。

そして、これと似たような構図というのは、宗教団体にもスピリチュアルの
世界にも存在してしまうというのは事実だと思います。
一部のまたは一人の教える側が多大な影響力を持ってしまうのは当然と
いえば当然ではあるんですが、じゃあその人たちは果たして体験したこと、
自分が100%真実だと感じたことを伝えているのかどうか。
私としてはそうでないことを教えてしまうかもしれないことが本当に怖くて、
今度の練習生さんへのセミナーもビクビクしながら考えています(´ε`;)

前回書いた「師」はイギリス人で、セミナーやパネルなどのために世界中を
駆け回っている人ですが(17時半にセミナー終了後イギリスに戻ると聞いた
時はぶっ飛びました)、常に本物であれ、私はイミテーションには厳しいわよ
とお尻をバシッと叩いてくれますし、自分に依存するのは許さない、自分で
進むしかないんだとおっしゃる言葉が信用できると思っています。

それに対して麻原が自分への依存を促していたことを考えたときに、オウム
真理教は本来の意味で宗教ではなかったんだと思います。
ただ耳に心地のいいお題目を掲げ、自分が特別な人間であるというエゴ、
自意識ばかりを肥大させていってしまったグロテスクな集団だと思います。

それと同時に、私みたいに不思議な世界大好き!オカルト大好き!で
育ってきた人間にとって、例えば井上嘉浩と私を分けるもの(オウムを信じた
者と信じなかった者)は紙一重でしかなかったことも知っています。
むしろ、自分さえ頑張れば世界がもっとよくなる、と信じたというところまでは
私は彼とまったく同じコンテクストで行動しているわけです。
(師と仲良くなりたい、そばにいたいっていうのは私にはまったくないですが)

師を間違えただけで、後戻りできなくなって最終的に死に至った人たち。
罪の大きさ、他者につけた深い傷は死でしか贖えないと判断された人たち。

改めて今日、犠牲となった方たちや犯罪に巻き込まれた方たち、ご遺族と
ご家族に平穏が訪れるようにと願います。

そして、これを書いていいのかどうかは正直迷いましたが...
ある時点までは自分と同じだったかもしれない元オウム信者たちにも
今日だけは祈りを捧げたいと思います。

宗教やスピリチュアルに名を借りた犯罪がこれ以上起きませんように。