徳島散策・・・・1 一宮城跡・一宮神社 | 蒼空さんとわっち。ときどきToちゃん

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2013.4.3、宮崎から徳島に移動
楽しい事あるかな?




一宮神社(いちのみやじんじゃ)

大宜都比売命・天石門別八倉比売命を祭神とする



神社の前には四国八十八箇所十三番札所の大日寺があり

神仏習合の時代には一体化していた



元々は上一宮大粟神社(名西郡神山町)が阿波国一宮であったが

参拝に不便であるため平安時代後期に国府の近くに分祠が作られ

こちらが一宮となったと伝えられる





本殿 - 寛永7年(1630年)建立

三間社流造、正面千鳥破風付、銅板葺

向拝は一間、唐破風造


拝殿





石灯篭



太鼓橋




一宮城跡登山口





ちょっと散策のつもりできたのに

この階段の長さに

じぇじぇじぇぇ~~~~Σ(=°ω°=;ノ)ノ




湧水跡





門跡

左に行くと本丸跡、右に行くと明神丸へ






一宮城本丸跡



一宮城は延元3年(1338年)、小笠原長宗が構築したもので

自然の地形を利用した城として知られる

また、阿波山岳武士の根拠地として

さらには戦国時代の一宮氏の拠点として活躍した名城であった


 今日残っている本丸の城壁、明神丸、才蔵丸等の跡は、この頃のものであろう

その後、長宗我部氏の侵入、豊臣秀吉の四国統一の際、攻防場となり

天正13年、蜂須賀家政が入国のときにも、徳島城に移るまで居城となっていたものである

阿波九城の一つとして徳島城の重要な支城に位置づけられていたが

一国一城令によって寛永15年(1638年)に一宮城は廃城となった




標高144mに位置する本丸跡の石垣は、結晶片岩の野面積み









本丸跡



一宮城は本丸を中心に、東西800m、南北500mの範囲で才蔵丸や明神丸

小倉丸などの曲輪が配置されている他

倉庫跡、畑跡、貯水池跡や、尾根筋には堀切、横堀、竪堀、小曲輪を配し、強固な防御としている

蜂須賀家政時代と思われる本丸部分の石垣

徳島には産出例が多い結晶片岩野面積み

角石には立石を用いるなど近世城郭の初期時代と思われる

これらの石垣は、徳島県下では、池田城と同規模で、徳島城に次ぐ大規模なものとなっている






上りよりは楽だけれど

下りも結構きつかった(+_+)






カメラマン気取りの影





次は十三番札所

大日寺へ