仏教の経文に於いて最も問題になるのは発音の問題です。
漢字の音訓読みや中国人の発音の違い。弟子の名前にしても阿難がアーナンダ 羅睺羅がラーフラ 目連がモッガラーナ
舎利弗がシャーリープトラもはや別人。インドの原典を保存しない。
釈迦牟尼仏陀はシャーキャムニブッダと名前の音が違うと分からない。
もし人の名前を間違えて言っても分からないし失礼極まりない。まして文字がないのであれば音が頼りだ。
例えば天台小止観の六種の妙音など日本人の発音では禅定=内気功が出来ない。
日蓮の天台の一部の解もないのは無理もない事だが、これをクリアするのが本化上行菩薩の法華経を広める使命であり禅定も悟りも持ち、人を助ける外気功も当然あるはず。
