Panavision 3
カメラボディー、レンズなどのチェックが終わったら
フィルムを入れてのチェックである。
まあ、もちろんフィルムをカメラにセットしてきちんと稼働するかどうかは
当たり前の事なのですがここでは更に撮影した時にフィルムに
傷が付いていないかもチェックしていきます。

フィルムが取り付けられる前の状態。

フィルムが入ったケースが取り付けられた状態。
この状態でカメラを作動させるとフィルムに映像が焼き付けられていく。

このライトを使ってフィルムを回した後、傷などが付いていないかをチェックする。

ライトを使いフィルムをチェックした後、横にあるゴミ箱に捨てていく。
フィルムに傷?まあ、僕も写真は撮影するのだが基本的には動画ではないので
普通にフィルムを入れてシャッターを押す。そこまで ”フィルムに傷がー、やってしまった
せっかくの写真が。” と落ち込んだ記憶は無い。
映画のフィルムの傷がどういう影響をするのだろう?と聞いた所、よく昔の古い映画などで
(僕の中では時代劇がパッと頭に浮かんだのだが)画像の両脇に縦線が入ってしまう
という様な影響がでてしまうとの事。
言われれば当たり前の事だったのだが気づかなかった。
正直、あれは場の臨場感を演出するためのエフェクト効果として編集している
ものだと思っていた。ただ単にカメラ自体の性能の問題だったみたいです。


この他にも細かいチェックを行い、約3時間程のチェックが終わるとプロダクションに
雇われたPA(Production Assistant)が機材をPick Upをするために通称、Qube Track
というでっかいトラックで現れ、後日撮影現場まで機材を持って来てくれるというような
形になっている。
今回、僕を連れて来てくれたAC(カメラアスシタント)の方は当たり前の様に
平然と仕事をこなしていたが、やはり責任は重大である。撮影をしていく上で
やはり心臓部分と言っても過言ではない機材をチェックするわけである。
そこに、普段とは違う表情を垣間みた様な気がする。
プロフェッショナル。
多分、プロと呼ばれる人はお金を使い切れない程、稼げる人という様な
イメージを抱いていた。単純に身近なところだとプロ野球選手や、俳優、
歌手など。だからこそ、僕の様な小市民の発想は “プロなんだから、ちゃんとやれよ。
給料いくらもらってるんだよ。”とか、貧相な考え方しか出来なかったのを覚えている。
日本で会社に働いていた事があったが、やはり最初の1年間はほどほどに働いて
という感覚しか無かったが、次第に意識は変わり、特にアメリカに来てからは
プロ意識というものが確実に植え込まれたのを認識が出来る。


日本に比べると個々の意識が強いというか、良くも悪くも自己主張がしっかりしている。
好き嫌いがはっきりしている。レールに乗っかるのが嫌いなので
自分の好きな様に生きていく。でもそれはつまり、”自分の事は自分でやりなさい”
という事であり、最終的に自己責任という状況に行き着く訳である。
(教育制度の大きな違いも1つの理由だと思われる。また、次回に)
それはもちろん社会的生活に反映されていており、巨大ないわゆる、一流企業と
呼ばれる場所に所属されているのは別にして、普通の会社に所属している
人達は常にいつ首を切られるのかわからない状況で仕事をしている人も
かなり多いらしい。
特に映像関連事業に関しては、このHollywoodには一体、どれだけの人達が
携わって生きているのだろう。
言い換えれば少しでもミスをすれば代わりはいくらでもいるのである。
いろんな人にこの業界で会って来たが、40歳になろうが50歳になろうが
常に向上心を持ち勉強している。
もちろん、10代、20代のこれからという人達もお金が安かろうが関係なく
自分を向上させるために磨き続けている。
ただ、その危機感を怖がっているというよりかは楽しんでいる様な気がする。
そこはまた、文化や人種の違いなのであろう。
プロ意識。これは社会の中で生きている以上、サラーリマン、OL,職人さんであろうが
誰もが考えなければいけない事である。
それがどんな小さな事であろうと、金がいいとか悪いとか。そんなちっぽけな問題では
なかった。
ただ、どこまでがプロ意識でどこまでが普通の考え方なのかそれは人によって千差万別
であろう。
一つ言える事は、とにかく仕事でも遊びでも自分が満足の納得のいく一日を
過ごす事が出来たのかどうか。(なかなか出来そうで難しいが)。
そういった、単純な根本的なところから全てが始まる様な気がする。
自分自身は切磋琢磨している、良い意味で激しい戦いが行われている
この場所に存在し、日本人の意識の中にアメリカ合衆国の意識が
組み込まれていく不思議な感覚の中で生活している環境に
感謝しています。常に刺激的なのは間違いない。
今後も映像産業の発展を願うとともに人々に感動を与えられる素晴らしい
作品が世に進出される事を願って。
フィルムを入れてのチェックである。
まあ、もちろんフィルムをカメラにセットしてきちんと稼働するかどうかは
当たり前の事なのですがここでは更に撮影した時にフィルムに
傷が付いていないかもチェックしていきます。

フィルムが取り付けられる前の状態。

フィルムが入ったケースが取り付けられた状態。
この状態でカメラを作動させるとフィルムに映像が焼き付けられていく。

このライトを使ってフィルムを回した後、傷などが付いていないかをチェックする。

ライトを使いフィルムをチェックした後、横にあるゴミ箱に捨てていく。
フィルムに傷?まあ、僕も写真は撮影するのだが基本的には動画ではないので
普通にフィルムを入れてシャッターを押す。そこまで ”フィルムに傷がー、やってしまった
せっかくの写真が。” と落ち込んだ記憶は無い。
映画のフィルムの傷がどういう影響をするのだろう?と聞いた所、よく昔の古い映画などで
(僕の中では時代劇がパッと頭に浮かんだのだが)画像の両脇に縦線が入ってしまう
という様な影響がでてしまうとの事。
言われれば当たり前の事だったのだが気づかなかった。
正直、あれは場の臨場感を演出するためのエフェクト効果として編集している
ものだと思っていた。ただ単にカメラ自体の性能の問題だったみたいです。


この他にも細かいチェックを行い、約3時間程のチェックが終わるとプロダクションに
雇われたPA(Production Assistant)が機材をPick Upをするために通称、Qube Track
というでっかいトラックで現れ、後日撮影現場まで機材を持って来てくれるというような
形になっている。
今回、僕を連れて来てくれたAC(カメラアスシタント)の方は当たり前の様に
平然と仕事をこなしていたが、やはり責任は重大である。撮影をしていく上で
やはり心臓部分と言っても過言ではない機材をチェックするわけである。
そこに、普段とは違う表情を垣間みた様な気がする。
プロフェッショナル。
多分、プロと呼ばれる人はお金を使い切れない程、稼げる人という様な
イメージを抱いていた。単純に身近なところだとプロ野球選手や、俳優、
歌手など。だからこそ、僕の様な小市民の発想は “プロなんだから、ちゃんとやれよ。
給料いくらもらってるんだよ。”とか、貧相な考え方しか出来なかったのを覚えている。
日本で会社に働いていた事があったが、やはり最初の1年間はほどほどに働いて
という感覚しか無かったが、次第に意識は変わり、特にアメリカに来てからは
プロ意識というものが確実に植え込まれたのを認識が出来る。


日本に比べると個々の意識が強いというか、良くも悪くも自己主張がしっかりしている。
好き嫌いがはっきりしている。レールに乗っかるのが嫌いなので
自分の好きな様に生きていく。でもそれはつまり、”自分の事は自分でやりなさい”
という事であり、最終的に自己責任という状況に行き着く訳である。
(教育制度の大きな違いも1つの理由だと思われる。また、次回に)
それはもちろん社会的生活に反映されていており、巨大ないわゆる、一流企業と
呼ばれる場所に所属されているのは別にして、普通の会社に所属している
人達は常にいつ首を切られるのかわからない状況で仕事をしている人も
かなり多いらしい。
特に映像関連事業に関しては、このHollywoodには一体、どれだけの人達が
携わって生きているのだろう。
言い換えれば少しでもミスをすれば代わりはいくらでもいるのである。
いろんな人にこの業界で会って来たが、40歳になろうが50歳になろうが
常に向上心を持ち勉強している。
もちろん、10代、20代のこれからという人達もお金が安かろうが関係なく
自分を向上させるために磨き続けている。
ただ、その危機感を怖がっているというよりかは楽しんでいる様な気がする。
そこはまた、文化や人種の違いなのであろう。
プロ意識。これは社会の中で生きている以上、サラーリマン、OL,職人さんであろうが
誰もが考えなければいけない事である。
それがどんな小さな事であろうと、金がいいとか悪いとか。そんなちっぽけな問題では
なかった。
ただ、どこまでがプロ意識でどこまでが普通の考え方なのかそれは人によって千差万別
であろう。
一つ言える事は、とにかく仕事でも遊びでも自分が満足の納得のいく一日を
過ごす事が出来たのかどうか。(なかなか出来そうで難しいが)。
そういった、単純な根本的なところから全てが始まる様な気がする。
自分自身は切磋琢磨している、良い意味で激しい戦いが行われている
この場所に存在し、日本人の意識の中にアメリカ合衆国の意識が
組み込まれていく不思議な感覚の中で生活している環境に
感謝しています。常に刺激的なのは間違いない。
今後も映像産業の発展を願うとともに人々に感動を与えられる素晴らしい
作品が世に進出される事を願って。