「パートタイム・ラヴァー」第2回 | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
 西鉄グランドホテルの大広間で行われたパーティは、滅多に味わえない――というか、味わいたくない――ものすごい退屈に満ち溢れていた。
 退屈な主催者(どこかの経済団体の代表らしい)の挨拶、退屈な主賓(来年の選挙に出るらしいおじさん)の演説、退屈な団体(どうやらその支援者のようだ)の出し物。列席している人たちは取り澄ました顔で、舞台に向かって熱心な視線を送っている。まったく、よくやるよ。
 かるく一年分はあったに違いない退屈をなんとかやりすごしながら、あたしはそれを”どこかで見たような光景だな”とずっと考えていた。
 思い出した。学校の全校集会だ。
 校長先生という生き物の例に洩れず、ウチの校長の話はおそろしく長い。それに輪をかけて、生活指導の先生の話がとんでもなく長い。あんまり長いので毎回、必ず貧血でぶっ倒れる子がいるくらいだ。
 サボリの口実のために表向きは病弱ということになってるけど、あたしは実は健康優良児なので倒れたりはしない。でも、うら若き乙女を二十分も三十分も突っ立ったままにしておく根性が気に喰わないという理由で、可能な限りのチャンスを伺って(ということはほとんど毎回を意味する)その場を抜け出すことにしている。
 居眠り女王のくせに真奈はこういうとこだけヘンに真面目で、あたしが脱走するのを何だかんだと言って咎める。

 でも、あたしはまるで気にしない。いちいち生徒を全員呼びつけることに意味を感じないからだ。伝達事項なんか担任の先生を通じて伝えればいいし、訓示をしたければ校内放送でやればいい。
 でも、ひょっとしたらあれは社会に出てから、地獄のように退屈なパーティに出なくちゃいけなくなったときの予行演習なのかもしれない。だからって、心を入れ替える気にはまるでならないけど。
 そのあとの立食パーティも負けず劣らず退屈だった。
 それにはまた別の理由があった。パートナーのはずの”微笑みの貴公子”がまったくしゃべってくれないからだ。と言うか、彼はほとんどあたしの隣にはいなかった。
 これでも何度かパーティに出たことはあるので、一人で放り出されたくらいで途方に暮れたりはしない。人目を引きそうな人がいないテーブルを選んで、適当にウロウロしていれば声をかけられたりしないことを、あたしは経験から知ってる。さすがにこんなところで正体をなくすほど飲む人はいないので、酔っ払いに絡まれることもないし。
 でも、だからといって淑女をほったらかしにしていいということはない。そもそも、福岡県警の刑事が何のためにこんなところに来てるのか、まるで見当がつかなかった。

 ホント、どこへ行っちゃったんだろ。
 あんまり退屈だったので、もしここにいるのが真奈だったら、どんなことになっていただろうと想像してみた。
 そばに近寄るなと言わんばかりのどよどよしたオーラを放って壁の花になったか。それともとっととこの場から抜け出したか。あれで意外とオヤジキラーなところがあるし外面はものすごくいいんで、あっさり場に溶け込んでたかもしれない。

 ただ、いずれにしてもパーティのあと、真奈が村上さんに激烈な文句を言ったことだけは間違いなかった。
『――それでは皆様、最後になりましたが先生のご挨拶を――』
 我に変えると、舞台の真ん中に選挙に出るおじさんが立っていて、その周りを支持者の人たちが囲んでいた。おじさんの傍らにはテレビで見たことがある国会議員もいた。どことなく気弱そうな感じに見える白髪のおじさんだ。
「ここにいたのか」
 いつの間にか、横に村上さんが立っていた。
「ずっといましたよ。村上さんこそ、どこ行ってたんですか」
「いろいろとね」
「お仕事絡みなんですか?」
「ノー・コメント」
 それ以上、教えてくれる気はなさそうだった。
「なんだ、刑事さんが女性同伴でパーティに潜入なんていうから、てっきり選挙違反の疑いがあるとか、そんなことだと思ってたのに」
「テレビドラマの見すぎだよ。それに選挙違反は二課の担当。俺は一課」
 そんなことはわかってる。つまんなかったから言ってみただけだ。
 村上さんは舞台を見やった。国会議員のおじさんがマイクを持って、立候補するおじさんのことをさかんに持ち上げている。内容はちょっとした誉め殺しだった。立候補おじさんはニコニコと笑いながら深々と頭を下げている。
「ちょっと早いが、そろそろ出ようか」
 村上さんが言った。
「もうすぐ万歳三唱みたいですよ?」
「見知らぬオッサンのために万歳する義理はないな。それに俺は彼の選挙区の住人じゃないから」
 村上さんは行こう、と言ってあたしの背中に軽く手を回した。
 隣の赤ら顔のお爺さんが最高潮の盛り上がりの中を退席する不届き者を咎めるような目を向けてきたので、”お先に失礼”という感じでニッコリ笑って小首を傾げてみせた。
 
 ホテルを出て、村上さんがクルマを停めているところまで二人で歩いた。
 外はすっかり暗くなっていて、風も肌を刺すように冷たい。
 パフスリーブのウールコートの襟元をギュッと寄せた。マフラーを巻くまではないけれど、何もなしでは首筋が少し冷える。

 ここ数年、福岡の秋はいつまでもダラダラ暑いかと思ってるとある日突然、真冬のように寒くなる。秋は一年の中で一番おしゃれが楽しめる時期なので、それが短いのはあたし的にはちょっと許し難いところだ。
 村上さんはグレンチェックのスーツの中にボルドーのニットヴェストを着ていて、それで寒さはしのげているような顔をしている。スラックスのポケットにしっかり手を突っ込んでいるので、ホントは寒いのかもしれない。
 真奈が言うところの”鉄仮面のような無表情”からは何も窺えなかった。
「だいたい、あんなに一人で放っておくんだったら、女性同伴の意味なんてなかったんじゃないですか?」
「いや、申し訳なかったね」
 文句を言ってる感じにならないように気を使ったつもりだった。でも、あんまり効果はなかったようだ。
「パーティはあのオッサンを囲むって名目で、支援者は家族同伴で寄り合うっていうことになってたんだ。そんなところに俺みたいな若造が一人で行くと目立つからね。その点、女性同伴で――その女性が人目を惹くタイプだと、相対的に俺は目立たなくて済む」
「だから真奈を誘ったんですか?」
「そういうこと。でも、由真ちゃんのほうが効果はあったのかもしれない。帰り際に声かけてきたジイサン、ずいぶんと恨めしそうに俺を見てたよ」
「あんまり嬉しくないです」
 村上さんの白いスポーツカーは天神西通りのパーキングに停まっていた。
「平尾浄水でいいのかな?」
「はい。――でも、ちょっとお腹空いちゃったな」
 立食パーティというのは、若い女性にとってはなかなか食欲を満たしにくい形式だ。友だちばかりのくだけた雰囲気ならともかく、あんなにおじさんばかりの中で堂々と食事するなんて無理だ。
「そうだな、俺もあんまり食べられなかったし。ご馳走するよ。何が食べたい?」
「あれっ、ちゃんと訊いてくれるんですね。真奈とご飯食べに行くときは、村上さんが勝手に決めちゃうって聞きましたよ」
「あいつに決めさせたら、いつまでたっても決まらないからさ」
 せっかくの日曜日につまらないことに付き合わせたお詫びということで、何でも奢ってくれると村上さんは言った。でも夜も遅いのでガッツリ食べる気にはならない。
「パスタくらいでいいんじゃないですか」
「オーケイ。だったら、イムズのピエトロにしよう」
 ピエトロは本店を始めとして天神の周りにいくつもあるのに、なぜイムズ限定なのかはお店に着いてわかった。ここにはサラダ・バーがあった。同じピエトロでも店舗によってあるところとないところがあるのだ。
「よく来るんですか?」
 オーダーを済ませて、サラダを取りに行きながら訊いた。あたしはイカとグリーンアスパラのペペロンチーノとミネストローネ、村上さんはキノコのクリームリゾット。彼はメニューのパスタのページには目もくれなかった。
「ときどきかな。どうしても野菜を食べる機会が少なくなるんでね。男の一人暮らしだと」
「パスタが好きってわけじゃないんですね」
「嫌いじゃないが、どうしても麺類を食べる機会が多くなるんだよな。男の一人暮らしだと」
 村上さんは二年くらい前に離婚している。その理由にもまた、ちょっとフクザツな事情があると聞いている。
 ビタミン・ミネラル欠乏症を恐れるように海藻サラダや生野菜を盛り付けて、村上さんはかなりご満悦だった。食べ物で機嫌が良くなるなんて意外と子供っぽいなと思いつつも、ちょっと微笑ましかったりもした。
 それぞれの料理も届いて、それを平らげながら退屈だったパーティで一つだけ面白かったことを話した。あたしの目の前で、どうみても面識がない同士のおじさん二人が「すいません、どちら様でしたっけ?」とは訊けなくて、お互いに探りを入れながらどうにか会話を取り繕っていたのだ。そばで聞いていて笑いをこらえるのはかなり大変だった。
「ありがちな話だよな」
「ですよね?」
 村上さんは舞台での出し物の一つで、某有名劇団に所属している候補者おじさんの娘がアリアを歌っているときに、ヴィブラートのかかった口許のパクパクした動きがどうにも釣り上げられた鯉のように見えて、思わず爆笑しそうになった話をしてくれた。
「ホントに!?」
「いや、本当に似てたんだ。人間の口ってあんなふうに動くんだな。びっくりしたよ」
 村上さんは目を細めて笑っていた。
 この人とはこれまでも何度も逢ったことがある。でも、こんな表情をするのを見るのは初めてだった。普段の村上さんはせっかくのハンサムがもったいないくらいの無表情で、言葉遣いも礼儀正しいけどちょっとぶっきらぼうだ。
 それに比べると、目の前の彼は別の人のようだった。あたしはすぐに彼がいつもと違う理由に思い当たった。
 真奈がいないからだ。
 
「さて、こいつを飲んでしまったら出ようか」
 村上さんは食後のコーヒーを飲みながら言った。
「そうですね。すっかり遅くなっちゃったし」
「本当にすまなかったね。せっかくの日曜日だったのに。そもそも、真奈のやつが約束を忘れたのが悪いんだが」
 いろいろとそれっぽい理由を並べたのに、村上さんは一瞬で真奈がダブル・ブッキングをやらかしたことを見破っていた。考えてみればこの人も真奈のバンドのライブを見に来ていたわけで、そのあとに急に来られないなんてことになれば、よっぽど鈍くない限りは「……ははあ、なるほど」となるはずだ。
「あいつ、受験生のくせに勉強しなくていいのか?」
「あれでも普段は頑張ってるんですよ。あたしを始めとして友だちがスパルタ教育してますから」
「なるほどね。――ところで君は? 推薦でどこか決まってるとか?」
「あたしも一般入試です。西南の法学部を受けるつもりなんですよ」
「へえ、俺の後輩になるってわけだ」
「そうなんですか?」
 二つの意味で驚きだった。刑事にしてインテリっぽいなとは思っていたけど法学部卒とは思ってなかったし、この人は東京とか遠く離れたところの大学に行っていたようなイメージを抱いていた。あんまり九州男児っぽくないのだ。
「受かったら、村上先輩って呼んじゃおうっと」
「いいけど、どの教授にも顔は効かないよ。俺は嫌われてたからね」
「どうしてですか?」
「単位が足りないときに、教授の弱みを握って脅したからさ」
 村上さんはニヤリと片頬に笑みを浮かべた。ホントかどうかはわからないけど、意外とやっちゃいそうな人のような気もした。
「――あれっ?」
 村上さんは急に怪訝そうな声を上げた。そのまま彼は真顔になって、あたしの顔をじっと見詰めていた。
「な、なんですか?」
「……いや、ちょっと」
 何なんだろう、いったい。
「なあ、由真ちゃん。すまないけど、髪を少し上げてみてくれないか」
「えっ!?」
「ちょっとでいいんだ」
 自分がおかしななことを言っているとは、まるで思っていない口調だった。あたしはためらいながらも言われるままに、アップにまとめるように髪を上げてみせた。
 村上さんはボソリと小さな声で「ありがとう、もういいよ」と言った。
 あたしは中学生のころからずっと髪を伸ばしていて、緩やかに決まっている縦ロールは秘かに自慢だったりする。でも、そのせいであんまり首筋を露わにすることには慣れていない。品定めのような強い視線を向けられて、まるで裸を見られたような恥ずかしさだった。
 コーヒーを飲み終わったら出ると言ってたのに、村上さんはタバコを取り出して火をつけた。
「来週の日曜日は、何か用事はあるかい?」
「……いえ、今のところ何もないですけど。真奈のライブは今日にズレちゃいましたから」
「そうだったな」
 村上さんは口を尖らせて、タバコの煙を細く長く吹き出した。
 その次の言葉に、あたしは思わず椅子から転がり落ちそうになるくらいの、一生でそう何回も味わえそうにない驚きを覚えることになった。
「よかったら来週、俺とデートしてくれないか?」