ガザ地区の話

ニュースでよく聞く『ガザ地区』。
最近は、イスラエルとの戦闘が激化しているニュースがよく流れている。

ガザ地区とは?
1988年にヤーセル・アラファート(通名)が独立を宣言して生まれた共和制国家『パレスチナ』(パレスチナ自治政府)の行政区画。
ガザ地区の大きさは、365平方キロメートル。東京23区の6割ほど。種子島と同程度らしい。


東京23区の人口が約1000万人であるのに対して、ガザ地区は200万人超だというので、東京ほど人口密度は高くない。
ガザ地区は細長い形をしていて、東側北側はイスラエルと、西側は地中海と、南側はエジプトと接している。


2007年以降、スンニ派イスラム原理主義、民族主義組織ハマース(ハマス)が事実上統治している。

ヤーセル・アラファート
1929年8月24日生まれ 2004年11月11日死去(75歳没)
本名は ムハンマド・アブドゥッ=ラウーフ・アル=クドゥワ・アル=フサイニー
エルサレムのアラブ系スンナ派(スンニ派)ムスリム(イスラム教徒)の名門『フサイニー家』に属する裕福な商家に生まれたとされる。
若いころからパレスチナ解放運動に参加し、1969年にはPLO(パレスチナ解放機構)の議長としてパレスチナ解放運動の指導者となった。
なので、日本では「アラファト議長」と呼ぶことが多かった。
1988年に『パレスチナ独立宣言』を発表。パレスチナ評議会により大統領に選出される。
1996年には、総選挙にて『パレスチナ自治政府』の初代大統領となった。

ハマース(ハマス)
1980年代にPLOの影響力を排除した民衆レベルでの対イスラエル抵抗組織として設立される。
PLOに対抗する勢力と判断したイスラエル政府は秘密裏にハマースへの援助を行っていたという。(パレスチナの分断を狙っていたのだろうか?)
2004年のパレスチナ地方議会選挙において過半数の議席を獲得。
2006年には、パレスチナ評議会選挙でも圧勝。ハマースのイスマーイール・ハニーヤがパレスチナ政府首相に任命される。

今回の『2023年パレスチナ・イスラエル戦争』は、10月7日、ハマースによるイスラエルへの攻撃によって勃発したとされている。
翌日にはイスラエル側がハマースに対して正式に宣戦布告。
ユダヤ人(イスラエル側)、アラブ人(パレスチナ側)両方の一般市民多数が戦渦に巻き込まれて犠牲となっている。

さて、なぜパレスチナとイスラエルが争いを起こしてしまうのか?

実にこの地は、様々な権力者・国家によって支配された場所である。

紀元前6000年ごろから人類の痕跡がある。
紀元前3000年ごろには『古代エジプト』の支配下にあり、
紀元前2700年ごろには聖書に記述のある『カナンの地(約束の地)』の一部であった。
紀元前1200年ごろには『海の民』の一派『ペリシテ人』が支配。
紀元前900年ごろには『イスラエル王国』が支配した。
紀元前800年ごろに『イスラエル王国』が『北イスラエル王国』と『南ユダ王国』に分裂。
『北イスラエル王国』が『アッシリア帝国』に滅ぼされる。
紀元前600年ごろ、『アッシリア帝国』が『新バビロニア』と『メディア(イラン高原)』による侵攻により滅亡。
『リュディア(小アジア)』、『エジプト(第26王朝)』も含めた四帝国によって争奪戦が繰り広げられる。
紀元前500年ごろには『アケメネス朝ペルシア』が台頭。
紀元前300年ごろには『マケドニア王国(アレクサンダー大王)』が征服するも、アレクサンダー大王(アレクサンドロス三世)の死去により『マケドニア帝国』が瓦解。
紀元前100年ごろ、『共和制ローマ』の支配下となり、
『帝政ローマ(ローマ帝国)』時には『ユダヤ属州』となった。

600年ごろには『イスラム帝国』
1200年ごろには『モンゴル帝国』
1500年ごろには『オスマン帝国』
1800年代終わりごろには一時期(といっても約400年間)『フランス帝国』に占領されたこともある。

1900年代には『イギリス』が委任自治領として占領。(オスマン帝国領パレスチナにイギリスが侵攻したのは1917年)
この第一次世界大戦中にイギリスは謀略的な外交をしている。いわば『イギリスの三枚舌外交』
1915年10月『フサイン=マクマホン協定』~中東アラブの独立
 オスマン帝国の支配下にあったアラブを独立させ、オスマン帝国と戦わせるよう画策。
1916年5月『サイクス・ピコ協定』~英仏露による中東分割(秘密協定)
 イギリス、フランス、ロシアで中東を分割支配する協定を秘密裏に組んだ。
 しかし、1917年にロシア革命が起き、11月には革命政府により秘密協定が暴露され、
 オスマン帝国の瓦解により1919年には『トルコ独立戦争』が起きたため、頓挫している。(『トルコ共和国』は1924年に建国された)
1917年11月『バルフォア宣言』~パレスチナにおけるユダヤ民族居住区の建設
 ユダヤ人の持つ資本をあてにしたイギリス(外務大臣:アーサー・パルフォア)がライオネル・ウォーター・ロスチャイルド(イギリスに住むユダヤ人コミュニティーのリーダーであり、第二代ロスチャイルド男爵)に送った書簡によるもの。
 このことから『シオニズム(イスラエルの地に故郷を再建する)運動』が活発化し、1948年には『イスラエル建国』となった。

 アラブ人には「アラブ独立させますよ」、

ユダヤ人には「イスラエルを再建させますよ」、

フランスとロシアには「三国で分割しましょう」と嘯いたイギリス。
これがなかったら中東紛争はなかったのかもしれないし、関係ないのかもしれない。
とはいえ、なんだかんだ言っても世界の覇者イギリス。こういうところは流石と言うしかない部分ですね。(神様がいるとしたら、きっと地獄に落ちます)

1929年、イギリスの委任自治領ではあったが、パレスチナ人の暴動(『嘆きの壁事件』)によってガザ地区へのユダヤ人の居住は禁止となった。
1948年、『イスラエル独立宣言』が出されるもアラブ諸国を巻き込んだ『中東戦争』勃発。ガザ地区はエジプトの占領下となった。
1967年、『第三次中東戦争』でイスラエルが占領。ユダヤ人入植地が設けられた。
1993年の『オスロ合意』、1994年の『カイロ協定』によって、(ヨルダン川西岸地区の一部とともに)パレスチナ自治政府の統治下に置かれた。


以降、ユダヤ人入植者へのテロ行為が頻発。それに対抗してイスラエル軍による空爆なども行われるようになっていく。
2005年、イスラエルはユダヤ人入植地を撤去。ガザ地区からユダヤ人は撤退。
2007年、ハマースがガザを占領。
以降、ハマースとイスラエルの対立は続いている。

 ということで、アフリカ大陸とユーラシア大陸を結ぶこの一帯は、歴史的にも重要な場所だったのでしょう。支配者がころころと変わっています。
しかも、アラブ人とユダヤ人には『エルサレム問題』も絡んでいるので、もうグチャグチャな関係なのです。

エルサレム
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとっての聖地(聖市)。
嘆きの壁(神殿の丘)~古代エルサレム時代に、ユダヤ教の礼拝の中心地であったエルサレム神殿があった場所。
聖墳墓教会~イエス・キリスト(ナザレのイエス)が処刑されたゴルゴタの丘があった場所。
岩のドーム~イスラム教の預言者:ムハンマドが「一夜のうちに昇天する旅(夜の旅)」をした場所。

 なんとも、三宗教による聖地なのですから、そりゃあ教徒にしてみれば他の宗派の人には関わってほしくないですよねえ。
とはいえ、キリスト教もイスラム教もユダヤ教の派生といえる宗教です。
やっかいなのは、どの宗派も分裂してるし、教義も違うという、宗教あるあるなのでございます。
であれば、
「こっちが正しいんだ!」
「あっちは間違ってる!」
と喧嘩になるのは必然。
だって、信じる者は救われるんですから。誰だって、救われたいんですからね。

そんなわけで、同じ神(教義)を信じないものは救う必要がないどころか、どうなったっていいと。
そういう発想・思想で起きている悲劇・惨劇なのでしょう。