戦国時代に海の外からやってきた宣教師たち。

その中でも、イエズス会との接触によって、日本は大きな影響を受けていた。

宗教・技術・知識、先進国の文化は様々な人々の運命を変えたことだろう。

信長も外国人たちから世界の情勢を聴いていたはずだ。そのうえで、日本の覇者たらんとする信長はどういう動きをみせるのだろうか?

 

1549年 フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、島津貴久の許しを貰い、キリスト教の布教を始める。

1550年 ザビエルは平戸~山口~堺と、布教活動をしながら移動。

1551年 ザビエルはなんとか、京まで行くことができたが、天皇に会うことは難しく、あきらめて京を後にする。平戸や山口で活動したあと、インドに向けて渡海。

1552年 インドから明に行こうとしていたザビエルだったが、明に上陸する手前で死去してしまう。

1563年 ルイス・フロイスが長崎に上陸。

1565年 ビレラ、フロイスら宣教師が三好義継によって京から追放される。

1569年 フロイスが信長と対面。キリスト教の布教を許される。

1579年 イエズス会総長名代の巡察師としてアジアを視察しているアレッサンドロ・バリニャーノが来日。

1582年2月20日 天正遣欧少年使節がローマに向け長崎を出発 

 ~本能寺の変~ 

587年 秀吉の発した伴天連追放令(伴天連の狙いが日本を植民地にすることだと危惧)によって、フロイスも活動の場を移し、最終的には長崎に落ち着く。

1590年7月21日 少年使節団帰国。

1597年 長崎の地でフロイス死去。享年65

 

  神というものをどう考えていたのかは判らないが、「宗教は民を束ねる道具として使える」という考えは持っていたのかもしれない。キリスト教の布教を許した理由は、おそらく、信長に従わない仏門一派の宗教勢力を切り崩すのに都合が良かったからではないだろうか?

 

 イエズス会が本能寺の変に関わっていた可能性は低いと思う。もし、関わっていたのであれば、その後の日本はキリスト教に染められていただろう。