Jack the Ripper / ジャック・ザ・リッパー / 切り裂きジャック

 

切り裂きジャックは誰なのか?

 

 

切り裂きジャックとは、1980年代にイギリスはロンドンのホワイトチャペルとその周辺地域に現れた連続猟奇殺人犯のことである。

 

犠牲者

1888年

8月31日(金)

03:00~03:45ごろ

 メアリー・アン・ニコルズ(40歳代前半/42歳/43歳)

9月8日(土)

05:30~06:00ごろ

 アニー・チャップマン(47歳/45歳)

9月30日(日)

00:45~01:00ごろ

  エリザベス・ストライド(44歳/25~45歳)

01:40~01:45ごろ

 キャサリン・エドウズ(46歳/43歳)

11月9日(金)

04:00ごろ

 メアリー・ジェーン・ケリー(25歳前後/25歳)

 

この五名が、手口からして切り裂きジャックの犯行だと確実視されている犠牲者たちである。

全員女性で売春婦だったという。当時のホワイトチャペルの一角は貧困層が多く、売春婦は1000人以上いたらしい。
 

ホワイト・チャペル連続殺人事件

いわゆるホワイト・チャペル連続殺人事件というものは、1888年4月3日~1891年2月13日に起きた11件の未解決殺人事件のことで、切り裂きジャックによる犯行は、その一部(上記の犠牲者5名は確実視されている)とも、11件全部だとも言われている。

「手口に多少の違いはあるが、切り裂きジャックの犯行かもしれない」と思われる殺人事件は20件以上もあるらしい。
つまり、この頃のロンドンでは殺人事件が頻繁に起こっていたのである。

 

スコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)が、ホワイト・チャペル連続殺人事件の容疑者として連行した数は、100名とも200名とも言われる。

これも当時の治安の悪さを表しているといえるだろう。

 

犯人からの手紙、葉書

10月1日
「Dear Boss」で始まる“切り裂きジャック”の手紙(犯行声明)が新聞紙の第一版に掲載される。
手紙は9月27日(25日だという説もあり)に新聞社に送られてきたもので、9月29日にロンドン警視庁へ届けられた。

この他にも、切り裂きジャックを名乗る手紙や封書は、数多く出版関係や警察署などに送りつけられたが、そのほとんどが愉快犯によるものであるとされている。その数は数百通と言われているがはっきりした数は不明。

おそらく、新聞に「切り裂きジャックの犯行声明の手紙」が掲載されたことによって、多数の人がそれに感化されて手紙・葉書を送りつけたのだろう。

切ない話ではあるが、人間という生き物の中にはそういう下卑た部分・猟奇的な部分を抑えきれない人が絶対数いるのだろう。

その中には本当の殺人犯がいたのかもしれないし、本当の切り裂きジャックがいたのかもしれない。

 

有名なものは、

9月27日(25日だという説もあり)に新聞社(セントラル・エージェンシー)に届けられた

「Dear Boss(親愛なるボスへ)」の手紙

10月1日に新聞社(セントラル・エージェンシー)に届けられた

「Saucy Jacky(生意気なジャッキー)」の葉書

10月16日に自警団のリーダーであるジョージ・ラスクに届けられた

「From Hell(地獄より)」の手紙

これには小箱が伴われており、エタノール保存された腎臓と思われるものが入っていた。

のみっつ。

 

切り裂きジャックの正体

ホワイトチャペル連続殺人事件は(基本的には)未解決事件なので、切り裂きジャックの正体は分かっていない。

しかし、事件当時から現在まで、さまざまな説があげられている。

 

◎王室関与説

 

アルバート・ヴィクター・クリスティアン・エドワード/クラレンス・アヴォンデイル公(1864-1892)犯人説
 当時のヴィクトリア女王の孫であるクラレンス公も容疑者のひとりにあげられたことがある。
クラレンス公はお忍びで街に出かけることが多かったらしい。
同性愛売春宿を摘発した際に、公がその宿の常連であったことが判明した(強制捜査時の逮捕者の中に公がいたという話もある)というスキャンダルがあったようで、そのことから異常性癖者の可能性が示唆され、猟奇殺人者に結び付けられたりもする。
 

また、警察は早くから公が犯人だとわかっていて、王室と共同で事実のもみ消しをしていたのではないか?という推論もある。
 

◇犯人が書いたと思われる落書き

犠牲者(キャサリン・エドウズ)のものと思われるエプロンの切れ端が、血が付着した状態で殺害現場から500mほど離れた場所で発見された。

その場所の壁に

「The Juwes are the men that will not be blamed for nothing」

または

「The Juwes are not the men who will be blamed for nothing」

(ともに、「ユダヤ人は理由なく非難されるべきではない」といった内容のもの)

という落書きがあった。(当時はこういった落書きは割とよくあったという話もある)

この落書きを当時の警視総監であるチャールズ・ウォーレン卿が(トーマス・アーノルド警視が指示したという説もある)、写真も撮ることもせずに消させたことから、何らかの理由(筆跡または落書きの内容から犯人が特定されるのを恐れたなど)で証拠隠滅を図ったのではないかとも言われている。

ユダヤ人がこの落書きを見て暴動を起こすのを恐れたために消したという見方もあるらしい。
◇警視総監の交代劇。

11月8日

警視総監だったチャールズ・ウォーレン卿は、連続殺人犯が捕まらないことの批判を一身に受けて辞任。辞任後、元々軍人だった彼は軍のキャリアに戻った。

ウォーレンを何らかの理由から疎ましく感じ出した王室側が、扱いづらいウォーレンを辞めさせて扱いやすいモンローを警視総監に据えた。という見方もあるらしいが、これはちょっと無理がある感じがする。

12月

ウォーレン卿との不和が原因で数か月前に辞職していたジェームス・モンロー元副警視総監が警視総監に任命される。

(注:ジェームス・モンローは辞職しておらず、ウォーレンとの対立が深まっていたことと、ウォーレンから辞職願が出されたことにより、11月にウォーレンの辞職願を受理し、後任にはモンローを据えた。という記録もある)
◇容疑者への尋問

当時の容疑者への尋問はかなりいいかげんなものであった。とする見方もあり、これは真犯人は分かっているのに捜査を続けなければならない(捜査しているふりをしなければならない)心情からくるものだとするいうわけである。

これも信憑性はなさそうだが、さすがに何百人もの取り調べをしていればいい加減にもなると言われれば納得もできる。
 

などが、この説に信憑性を感じさせる要因となっている。

クラレンス公は、1892年1月14日にインフルエンザによる肺炎で急死している。
しかし、本当の死因は梅毒だったという噂もある。

ウィリアム・ワイジー・ガル卿(1816-1890)主犯説
 クラレンス公が田舎娘(カトリック教徒のアニー・クルックという名の女性。または、他の説によれば第五の犠牲者メアリー・ジェーン・ケリー自身)を妊娠させてしまい、そのスキャンダルを隠滅するために女王の主治医であるウィリアム・ガル卿らが動いたという説。
 この場合のクラレンス公は、女との逢引のために同性愛売春宿を使っていたという仮説も浮上し、公に異常性癖(同性愛嗜好)はなかったという見方が強くなる。
 メアリー・ジェーン・ケリーはクラレンス公と関係を持った田舎娘と知り合い(一説によれば乳母だったらしい)で、二人の仲を知っていた(それをネタに王室をゆすっていたという説まである)ので、王室によって葬られた、というのである。
メアリーの前に殺された四人だが、
◇メアリーから公の話を聞いていた(または一緒にゆすりに加担していた)ので抹殺された。
◇メアリーを殺害する前に、殺人鬼(切り裂きジャック)の存在をでっちあげておくための犠牲者となった。
などの説がある。
 容疑者の一人だったモンタギュー・ジョン・ドルーイットは、切り裂きジャックに仕立て上げるために殺された、という説もある。(ドルーイットは12月にテムズ川に溺死体で見つかる。死因は入水自殺)
この場合、計画者の思惑は外れて「ドルーイット=切り裂きジャック」があまり浸透しなかったということになる。

 ウィリアム・ガル卿は、1987年に脳卒中で倒れ、体の自由が利かなくなっていたため、切り裂きジャックであるはずがない。
・・・のだが、ウィリアム・ガル卿自身が手を下すわけがない。とも言える。

もし、健康で体力も有り余っていたとしても、誰かを使って実行に移すだろう。(その場合の“誰か”は、手下でも仲間でも金で雇ったものでもいい。従者であったジョン・ネトリーでもいいわけである)

1890年に死去。
ちなみに、ウィリアム・ガル卿は「拒食症」の命名者だそうです。

 

◎ウォルター・リチャード・シッカート(1860-1942)犯人説

シッカート単独犯説
 印象派画家のシッカートは切り裂きジャックを連想させる絵を何点か描いており、そこから、シッカートは切り裂きジャックとなんらかの繋がりがあるのではないか?という推理が働くそうだ。
 

 この説は、作家のパトリシア・コーンウェルが大金を投じてミトコンドリアDNA鑑定などを行い、調査をしたことでも有名。
切り裂きジャックの名で送られてきた手紙と、シッカートが書いた手紙からDNAを採取することに成功。なんと、その二つから、一致するDNAが検出されたのである。こりゃあもう、シッカートが犯人に間違いないね!
 

しかし、コーンウェルの調査に対しての意見は分かれていて、この調査そのものの信憑性も疑わしいという意見もある。
 

切り裂きジャックの手紙の大半は、その名を語った偽者が出したものであるとされている。
そもそも、連続殺人犯本人が手紙を1通も送っていない可能性だってある。(つまり、切り裂きジャックの手紙と言われているものは、その全てが偽物である可能性を否定できない)
したがって、シッカートが切り裂きジャックの名を語って手紙を出していた場合は、DNAが一致するのも当然。

また、連続殺人自体が単独殺人が続いただけで、切り裂きジャックを名乗った手紙の主の何人かは本当の殺人犯だという考え方もあるそうだ。

というのが、コーンウェルの調査に対しての主な反論。

シッカート共謀説
シッカートは秘密結社フリーメイソンの一員で、ウィリアム・ガル卿ら会員たちと王室の名誉を守るために犯行に及んだとする説。
この説には、クラレンス公と密会を重ねていた女が産んだ女児を、後にシッカートが引き取り育てたという異説も付随する場合もある。

 秘密結社は関係なく、クラレンス公とアニー・クルックとの間に子供が産まれたことを知った王室側が、事実隠滅のために犯行に及んだという説もある。
アニーを精神病院に幽閉し、乳母だったメアリー・ジェーン・ケリーとその仲間三人を殺害。(キャサリン・エドウズはひと間違いで殺害されたという話もある)警察にも協力を求め、猟奇連続殺人犯切り裂きジャックをでっちあげた。
その後、公の落とし子の女児はシッカートに引き取られフランスに渡った。無事に成長し、男児を産んだ。という、よくできたお話もある。

シッカートの晩年は、後進の指導や著述に専念していたようだ。1942年に死亡。

 

◎ジョセフ・バーネット(1858-1926)犯人説
 この男は、メアリー・ジェーン・ケリーと同棲していたらしい。
売春をやめるようにメアリーに言っても聞き入れないので、他の売春婦を殺すことで抑止力にしようとした。しかし、いつまで経ってもメアリーは売春をやめない。最後にはメアリーに手をかけてしまった。という説である。
 確かにこの男は怪しい。FBIのプロファイリングによる犯人像にも当て嵌まるそうだ。しかし、この男も容疑をかけられはしたが、逮捕されるまでには至らなかった。決定的証拠が見つからなかった?それとも、他にめぼしい容疑者がいた?適当に取り調べをしていて取りこぼした?
とにかくバーネットは捕まらなかった。
 

その後、彼がどこで何をしていたのかは不明。

 

◎アーロン・コズミンスキー(1864-1919)犯人説
 ポーランド系ユダヤ人の理容師。
切り裂きジャックの目撃者が似ていると証言したのがコズミンスキーであった。(その後、なぜかその証言は撤回され、証拠不十分で容疑者リストから外される)
刃物を持って街をうろつくなどという危険行動が見られ、警察から要注意人物としてマークされていた。
いかにも猟奇殺人をやりそうなタイプということで、切り裂きジャックではないか?と思われた。
精神病院への入退院を繰り返していたらしい。
彼を担当した医師の「痴呆症で、話すことは支離滅裂である」という記述があるらしい。
 

精神病院で1919年に死亡。
 

◎マイケル・オストログ(1833-?)犯人説
 ロシア人医師。
“グラント”など複数の別名を使って詐欺行為を働いていた。
多くの犯罪歴があり(殺人癖があったとも言われている)、何度も警察の厄介になっている。
オストログも、猟奇殺人をやりそうなタイプということで、切り裂きジャックではないか?と思われた。
精神病で医療施設に入っていたこともあったらしい。
 

事件後の経歴は不明。 

 

◎モンタギュー・ジョン・ドルーイット(1857-1888)犯人説
 良家(代々医者の家系)に生まれ、水準の高い教育(オックスフォード大出だという)を受けて育った。(医者の家系に育ったため、医学にも通じていたとされる)
本職は弁護士なのだが、稼げないという理由から教員をして生計を立てていたらしい。(弁護士を目指しながら教職をとっていたという説もある)
事件当時、家族も彼のことを疑っていたという話もある。
1888年12月

テムズ川に溺死体で見つかる。ポケットには石が詰め込まれており、遺書のようなものも見つかったことから入水自殺だとされた。
自殺理由は、
◇ドルーイットの母親は精神異常者で、自分も母と同じようになることを危惧していた。
◇同性愛者だと疑われ教職を解雇された。
というもの。
でも、もしドルーイットが切り裂きジャックだとして、連続殺人犯が自殺するだろうか?
“連続殺人犯が警察に追い詰められそうになって自殺”という事例はどれくらいあるのだろう?
特に猟奇殺人犯というものは自殺しなさそうな感じがするのだが。
切り裂きジャックの正体がドルーイットなら、彼の死は自殺に見せかけられたものかもしれない。
ドルーイットが、ホワイト・チャペル連続殺人事件の真犯人として捕まるその直前、真実とともに何者かの手によってテムズ川の川底へと沈められた。
そんな線もあると思う。

もしくは、彼を切り裂きジャックに仕立て上げるために殺したのだが、その思惑は上手くいかなかった。

とか。

 

 

はてさて、切り裂きジャックの正体は誰だったのでしょう?
王室が関与している説
 これは、なんでも揉み消せる強大な権力という魔法の杖が使えるのでなんでもあり。
この魔法の杖を使えば、いくらでも仮説はたてられちゃう。
かといって、完全に否定はできない。
だって、史実は闇の中。誰も確かめられません。
こういうスキャンダラスなネタは、庶民の心を惹きつけるから支持率が高くなるのも当然です。
ジョセフ・バーネット犯人説
 なーんでだかしらんが、最後の犠牲者とされるメアリーが全ての鍵を握っているような説が多い。
となれば、メアリーの男が疑われて当然。一番怪しいのはこの男かもしれませんな。

マスコミが仕立て上げた説

 新聞の売り上げをあげたかった新聞社が「連続殺人」「切り裂きジャック」というのを作り上げたという説。

思った以上に効果を発揮したために、自ら人を殺めてしまった新聞関係者もいたのではないかという考察もできるのではないだろうか。

意外にこれが真相なのかもしれない。

当時、ホワイトチャペル周辺の貧困街では毎日のように殺人事件が起きていた。これを一層スキャンダラスなものにして話題性を高め、新聞の売り上げを伸ばそうと考えた者がいて、「殺人事件」を「連続殺人」「切り裂きジャック」と偽装し、挑戦状ともとれる「犯人からの手紙」を仕立て上げた。そのうちに「犯人からの手紙」に真実性を持たせるために自ら殺人を犯してしまう。

あまりにもドラマ仕立て過ぎる感はありますけどね。

 

映画「フロム・ヘル」は「切り裂きジャック」を題材にした代表作(かも?)

 

 

以下、参考にさせていただいたサイト
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