生活保護改革、大阪市。


現状の生活保護世帯を、現状のまま維持しようとすることに問題がある。と橋本市長は判断。


そして、おおきな問題は細分化すると解決することが多いです。


文字通り、生活保護 肥大化の問題を細かく分けてしまいました。


それが、橋本市長の生活保護改革。


生活保護制度そのものの分化。

"高齢者・薬物障害者などは、別制度で支援する"

生活保護として一緒くたにしない、ことを明言している。


このことにより、生活保護対象世帯の幅は狭まります。


それだけでは、組織的欺瞞とも、見えてしまいます。

よって、この改革案が実施される際には、""個々の効率化""が最重要議題になるかもですね。




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ーいじめ・自殺ー

僕がこどものころから"いじめ"と"自殺"の因果関係については強く言われていました。

でも、最近はそれ以上に「行きすぎじゃないか?」とも感じさせます。

教育委員会や学校側の対応に満足いかない人も多いのでしょう。

しかし、彼らは"教育者である前に、役人である"のです。
みなさん、ど忘れしていませんか?



イジメとは何でしょう?

・殴られること?
・金をせびられること?
・仲間外れにされること?
・誹謗中傷を浴びせられること?


どれもこれも、学校だけに存在するようなものではないと思います。

世間一般、どこででもあることではないでしょうか?




おとなになれば、イジメはなくなるのでしょうか?



あなたは、どうおもいますか?







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「三党が合意し、消費税増税が決まった。」

増税増税と言われ続けて来たが、一体全体、誰のための増税なのか?

増税の利点について、Twitterで各政治家の方々に聞いて回ったことがある。
誰一人答えてくれることはなかったが。
他の方たちにも聞いてみたが、一方的な政府批判の他、意見を言ってくれる方はいなかった。


一体、増税の利点はなんなのか?

増税されれば、私たちの生活負担は増える。
それそのものは明確だ。
しかし、増税を耐え来れば、何かあるのか?と考えても、"国の借金返済にでも回されるのかなぁ"と思いつくのがせいぜいである。

しかし、政府の方が言うのには、「消費税増税分は、社会保障費のみに限定します!」とのこと、、。

社会保障費が増えて国家財政の支出分がオーバーしているのは、理解できる。

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しかし、それはつまり、
「月々に使う額が増えたから、収入を増やすためにバイトでもするか。」
と言う程度の理屈だろう。
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増えた支出分は、放置されていいのか?
改善しなくて構わないのか?

個人なら、収入増やすために働いて稼げるが、国家は違う。
国家は、国民から収奪しなければ生きていけない組織だからだ。




なんのための増税なのか。

誰が得する増税なのか。



だれもおしえてはくれない。




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対等でない上下関係が生んだ、古代。
システム化された王侯社会。
ピラミッド化を取り入れた封建社会。
自由と権利の産業化時代。
早くより速くの高速ネットワーク時代。
つぎは、何か?

今の時代、話題に多く上がるのは、どんなニュースだろうか?
国家経済の状態悪化、国同士のいがみ合い、政治家の支持率低下、不正、違反、…。

「誰が悪いのか?」

この問いに維新の会の橋本市長は、「国家システムが悪い」と言った。

一面では、そうともいえるかも、しれない。
しかし、本当にそれだけか??
地方分権化すれば、変わるのか?
変わるとすれば、何が変わるのか?
システムか?人か?経済状態か?

地方分権化したとしても、県知事レベルの人間の意識が、少し、変わるだけではないだろうか?
それだけでは足りないのではないか…。

考える。考える。考える。

地方分権化して、都道府県知事の意識が変わるとして、


「意識が、どう変わるのか?」


これを突き詰めて考えてみた。
で、出た答えが、

"責任感"

責任感が変わる。
責任の重さが変わる。
中央の責任にできず、すべてが自分の肩に掛ってくる。


・・・これだ


これが、今の世界を変えるテーマではないか。
今の政治制度の根幹たる、『民主主義』から考えてみようではないか。



民主主義は、国民の意思を国に反映させようとして、考え出されたテーマだ。
このために、用いられた手段が「選挙」


=民主主義=
目的:国民の意思を国に反映させる
手段:選挙


というわけだ。



では、
先ほど出た、"責任"をテーマに考えよう。

「民主主義の下、選挙で選ばれた、代表たる政治家が国民の意思を国に反映させようとした結果、国家経済、国家外交に、重大な傷を負わせてしまった場合」

~責任は、誰が取るのか?~


Q,親の教育が原因で、子どもが粗相をしてしまった際、責任を取るのは"誰"なのか?

A,「 」


Q,選挙で選ばれた政治家が失策した際、責任を取るのは"誰"なのか?

A,「 」



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中国→僧侶→眠気覚まし→茶の湯文化→千利休→表千家裏千家→開国貿易→主要輸出品→輸出用商品作物として栽培が流行(トウモロコシ→エタノール、の時のように)→神戸・横浜から欧米へ

静岡は、今も昔も茶の産地だった。
しかし、日本が開国したのち、"茶"が日本からの主要な輸出品目として注目を浴びた。
そのため、静岡のみならず、各地で茶の栽培が盛んに行われるようになった。だがそれも、静岡においてはより一層広がり、「田んぼという田んぼ
畑という畑すべて」といっていいほどに"茶"が栽培され、それら全部が、海外、欧州へと送られた。
全部、といっていいほどのわりあいであったそうだ。
国内で消費される茶葉はわずかで、総裁倍量の1%にも満たず、ほぼすべてが欧州へ送られた(無論、直接では無く上海などを経由して)。




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2012/3/21。
この日、日経の記事に、
『大和ハウス、小型植物工場発売へ レストランなど向け 』
というものがあった。

「大和ハウス工業は21日、駐車場1台分の敷地で設置できる小型の植物工場を4月5日に売り出すと発表した。」

変わる!
そう感じた。
何が変わるのか?
大きく、世界が変わるだろう。
今でこそ、駐車場一台分の大きさで、家庭用には大きすぎる。
しかし、これが、家庭用にまで広まれば、あるいは、被災地に、飢餓に苦しむ人たちの元へ運ばれていくこともあるかもしれない。
年間維持費が、35万円ほど掛かるそうだが、これの広がりが、土地問題による食料不足を解決するだろう。

この"大和ハウスの小型植物工場"、ロシアで販売すれば、バカ売れするかもしれない。

なにせ、ロシアは野菜不足の国だ。寒冷地だからこその野菜不足問題だ。
永久凍土ばかりのお国柄。
ウォッカの国、ロシアは、野菜の育ちにくい国でもある。

だが、この小型植物工場なら、室内で作るので、ロシアでも問題なく、育つのではないか??

そして、塩分濃度が高く、野菜などの根が張りにくい、砂漠などにも、良いのではないか??

大和ハウスの小型植物工場によって、土地問題による食料不足が解決すれば、
次は、水問題が日本でも、大きく扱われるようになるだろう。

水は、ただではない。

日本国内でも、次第に、金や銀などより、遥かに貴重なものへと変化を遂げようとしている。

「タフでなければ生きていけない。」
しかし、タフである前に、人は、水がなければ生きてはゆけないんだ!!

当たり前で馬鹿らしいことだが、実際この星の水は、飲料水は、減少し続けている。

「水なら、海がある!」

と、考える人もいるだろう。

しかし海水は、塩水だ。
飲料水に変えるには、大量の塩分が邪魔になる。
海水を淡水に変えたとて、残った塩の処理に困るのだ!

そのまま、海に返してしまえば、海がそのまま、「死海」になる。

かといって、どうするか?

摂取するのか?

宇宙にでも捨てるのか?

水問題には、今も課題が山積みなのだ。




舎川。



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文章での箇条書きは、"文章を読み易くする"効果がある。

しかしーー
プレゼンテーションの箇条書きは、"理解を遠く"する。


◇この2つの違いは、どこにあるのか?

答えは難しくない。

"文章を読む"ことには、動きがなく、
読む側の自由なペースで読める。
『静的』なものだ。


"プレゼンテーション"は違う。
プレゼンには動きがあり、観衆には、「ペース配分の自由」が与えられない。
DVDやVHSのように、再生や停止が、自由にできるわけでもないといった、
『動的』なものだ。

小説とTVドラマの違いも同じ、

◇静的なものー小説・漫画
◇動的なものープレゼン・TV

小説は、読む側に、「想像の余地」がある。
だからこそ、面白いし、読者ひとりひとり、感じ方も大きくわる。

しかし、TVドラマはどうか?

小説より与えられる情報量が圧倒的に多い分、想像の余地が小さい。
読者側の想像力に依らず、製作者の感性で「余地」を埋めなければならない。


文章・小説が、夢や妄想といったような"想像力"を当てにして作れるのに比べ、

プレゼンやTVは、ペース配分や想像の余地を奪い、"目の前の現実"のみを写してしまいやすい。

そう、"目の前の現実"だ。

本当の現実、彼らが語る現実ではなく、TVの映像、プレゼン者の姿、話す調子…etc…などなど…。

「今現在、目の前にあるもの、感じるもの、だけなのだ!」


ここで、やっと、最初に帰る。

"箇条書き"は、『静的』なものでしか使えない。

『動的』なプレゼンには絶対向かない。

箇条書きも、読む側に「想像の余地」を残すものだからだ!





舎川



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ー仕事場選びー
□女性→職場環境・家庭環境
□男性→給与・地位・上場企業

ー"仕事場選び"において、ー
『職場環境』や『家庭環境との折り合い』を重視するのは、女性が多い。
ー対して、
上場企業か否か、給与、地位など、他者に自慢できる何かを重視するのは、男性が多い。

あくまで、一般的傾向。
女性社員は、女性社員で、必要以上に甘えを見せるモノも多い。男性社員でも同じだ。
しかし、男性社員と女性社員には違いがある。
男性社員は、周囲に迎合し、歩調を合わせようとするが、
女性社員は、周囲と同調はしても、迎合せず、必要とあらば独断専行も辞さない。
男性と比べ、腹が据わっているとも、優先順位が揺るがないとも言える。
キャリアウーマンと呼ばれる女性社員は、仕事はできても、周囲との関係に問題を抱える場合が多いらしい。
同じ、キャリアウーマン同士であれば、問題ないが、
男性社員と組む場合、著しく、男性社員への評価が下がる。
これは双方が不満を抱えることになる。
これも、男性女性の重視していることの違いからくるものであろう。

◇組織的調和を重視する男性側

◇優先順位が揺るがない女性側

組織人の男性は、調和を重視し、上にも下にも、自分だけが飛び出すことを嫌う。
飛び出す釘は打たれることを知っているからである。

しかし女性は、常に心の中は自由であろうとする。上にも下にも、飛び出すことを厭わない。また男性側とは、調和に対する考え方も違う。
女性にとっての調和とは、その時その時、その場その場で更新され続けるものであり、過去の義理や、人情に強く縛られない。
義理人情に、必要以上に縛られやすい男性側との大きな違いであろう。
彼女らに、義理人情がないわけではない。
だが、男性側より、具体的なのだ。
中元であれ、歳暮であれ、気にするのは、男性より、むしろ女性側だ。
彼女らの視線は、常に"見えるもの"に当てられる。
"見えないもの"に囚われやすい男性側との大きな違いである。



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中国での数多く起こる"ストライキ"つい最近、日経新聞にあった記事だ。

『「小皇帝」は、強かった』

と、その記事にはあった。
小皇帝とは、中国の一人っ子政策の下で、"大事に大事に"と、育てられた世代の子たちのことだ。


一昔前と異なり、中国人労働者の賃金が"格安"だった時代は、終わりを迎える。
日本と比べ"割安"には、見えるかもしれないが、それはあくまで、物価の違いがあるからだ。


□高度経済成長


現中国は、今もなおその下にいる。
日本のそれは、もう過ぎた。

西欧列強時代もEU破綻と同時に、完全な終わりを迎えることだろう。



しかしまぁ、そんな些細なことは、どうでもいい。
EUがどうなろうが、それは彼らの仕事である。
私たちは、私たちの仕事をせねばならない。


中国の成長は、止まる。


現在の中国は、イタリアの今を思い起こさせる。
イタリア、いや西欧の各国では、社会保障制度が充実している。

国家の法律の下で。

中国小皇帝のストライキの数々は、いずれ、中国における、社会保障制度の充実に向かうだろう。

だから、そこで止まる。

社会保障制度が中国内で、多少なりとも施工されることは、ない。あり得ない。


例えば、最低賃金制度。

最低賃金が保証されれば、貧困に苦しむ国内の農村部の人たち、中国の辺境と揶揄される地区に住む人らが、中国各地に散るだろう。

それは、民族的アイデンティティとやらを破壊する可能性を秘めているし、それ以前に、"国内の不満が、企業経営者の間にも広がる危険性"も大きい。
そうなれば、財政赤字・財政破綻が待っている。

よって、最低保証賃金制度は、実施不可能。
国内の格差が大きすぎるからだ。



中国は、アメリカと似ている。


アメリカも、国内格差が大きい。
中間層はほとんどいない。

しかし、アメリカは、資本主義。
一方の、中国は、社会主義。

資本主義制度を、一部、取・り・入・れ・た・とはいえ、壁を超えるには無理がある。

ストライキの規模が大きくなれば、国が割れることになるだろう。

チベットは独立し、ウイグル、内蒙古も、独立、再編への道を進む可能性も低くはない。

「中国、単体で見れば、」という前提に立てば、の意見だが。

実際は、泥沼だろう。
中国国内だけで蹴りのつく問題ではない。
EU、アメリカ、アフリカ諸国。
現在中国によって、支えられている国にとって、中国崩壊は決して望ましくない。

だが、中国の再編は、望んでいる。
よって各国の介入が始まり、泥沼化。
武力によらない闘争、といえば、聞こえはいいが、まさしく、

「世の中、金と知恵」

に、なるだろうことは、予測できる。

中国共産党の人間も、分かっているのだろう。
他国に喰われるより、国民に迎合する方がいい、という風な動きはある。
新幹線の時の、首相会見などその一環だ。

もう二悶着あるまで、どうなるか検討がつかない。

◇外交
中国は、アフリカでどれだけ人的資源を垂れ流すのか?
◇政治
中国が、社会保障改革(?)に踏み出すか?
◇経済
中国人労働者の給与は、どこまで上がるのか?
◇軍事
低価格の人的資源を、恒久的に確保し続けられるのか?



以上が、最終的に纏められる問題点の数々である。


ー斎藤恋


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世界とは、人に認識できる、最大範囲のことだ。
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これは、ヘロドトスの『歴史』と、ノアの大洪水から、推察し、定義したものである。
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ガリレオの時代、いまだ天動説が信奉されていた。

コロンブスがインドを目指した時、船乗りにとって、大洋の向こう側には何もなかった。


地球がやっと、まるい、と認識されたのが、西暦の1522年。


コロンブスの時代。
大洋の先には、崖しかなかった。


では、神話の時代。
ユーラシアの大陸に住む人にとって、

"大陸"が"大洋"と同じではなかったと、言えるのか?


虎、狼、野盗、敵性集落、…etc…
他にも、思いつかないだけで、たくさんの障害があるだろう。
隣集落とは、言葉が通じない、ということさえ、あったかもしれない。


そんな中での世界とは、どこか?


自分たちの村、隣の街、さらに隣の…。

情報のとどく、わずかな範囲。
足で通う、少しの距離。


それが、世界。


私たちと同じ。

私たちも、宇宙があることは知っていても、宇宙の向こうに何があるかを知ることはない。
また、知る必要もないだろう。

ノアの大洪水にしても、可能性として、タダの神話、古代人の妄想と、捨ててしまうには、もったいない。

むしろ、現実に起きた洪水を元に書かれ、物語として改編され続けてきた話だ、と考えると、幅が広がる。


それこそ、地形を変えるほどの洪水と、その洪水を予測し、乗り切ったノア家族の行動力や、機転。

これらを賞賛するお話となるかもしれない。

一艘の船で大地を覆うほどの洪水を乗り切った、というのは、方法として疑問があるが…。


実際は、船でなかった可能性もある。
そうなると、考えれば考えるほどに、広がるわけだ。

これらの研究が、今の私たちにも、十二分に応用できることだろう。

津波の研究にしてもそうだ。
歴史書をあさりながら、かつて起こった津波、地震の研究がされている。

神話の研究さえも無駄ではない。

魔術や超能力などのオカルトも、
「現実に置き換えてしまえば、たかだか"ライター"」に、成り下がる時代もくるだろう。


『歴史に神秘などない。』


歴史を作るのは、今の私たちと同じ、人間であり、祖父であり、孫である。


あなたの、祖父に神秘的な人はいるか?
あなたの、孫に神秘性に満ちた子はいるか?
あるいは、父でも、子でもいい。


神秘性に満ちた人物は、いるだろうか?


歴史に、神秘などはない。
歴史は、現実である。

「現在においてできないことが、過去においてできることなど、ありはしない。

過去に行ったとしても、人は、神にはなることはできない。

所詮、我々は人であるから。」




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