透析治療から腎移植までの記録 -3ページ目

透析治療から腎移植までの記録

人口透析から腎移植の経過を記録として書いています。

腎移植の入院1日目です。

 

朝10時に入院手続きを済ませて、パジャマとタオルのレンタル申し込みをして、

いざ病棟へ。

 

ナースステーションに挨拶をして、病室に移動です。

今回は2名部屋の廊下側なので、外は見えません。

ナースステーションが近いので、色々騒々しそうです。

 

担当の看護師さんがきて、今後の予定や、色々な確認事項の後、採血、血圧、酸素濃度の確認がありました。

薬剤師さんから、お薬の確認がありました。

 

お昼ご飯は12時すぎに、看護師さんが透析食を持ってきてくださいました。

一回一回腕に巻かれたネームバンドで確認するんですね、このあたりは徹底しています。

お茶はカップに入ってありましたが、箸は自分で用意するスタイルで、今回は割り箸を持ってきていたので、問題ありません。

 

お腹が空いていたので、完食して、食後の配膳は自分で戻しにいきます。

病院の透析はあまり美味しくないイメージでしたら、普通に美味しかったです。

 

今日は木曜なので、本来ならば透析日です。

午後、病院の透析室での透析です。

ここの病院の透析室は初めてなので、看護師さんが案内してくれるそうです。

 

午後1時半頃に透析室から呼び出しがあり、看護師さんに案内されて、透析室へ向かいます。

 

こちらの病院の透析室もえらく離れた場所にありました。

1人では絶対にたどり着ける自信がありませんでした。

透析室行くまでに、エレベーターを3台乗り継ぎして、100m近い廊下を横断します。

行きは大丈夫でしたが、帰りを歩いてくるのはちょっとくたびれました。

手術後、あの廊下を往復するだけで、良い運動になりそうだし、やっている患者さんいそうですね。

 

初めての場所での透析でしたが、途中不具合もなく、終わることができました。

なんか終わった後、シャント側の腕が今までになくめちゃめちゃだるかったな。

そういえば、ベットに横になって透析したのも1年ぶりでした。

寝っぱなしは腰が痛いですね。

 

4時間透析を終わって、帰りにレントゲン室によってレントゲンとって、病室へ帰還です。

ちょうど晩御飯が来ていたので、名前を確認して、ご飯タイム。

晩御飯も普通に完食しました。

ここの透析食は食べやすい方ですね。

 

免疫抑制剤の量が変わりました。

今晩から21時にセルセプト250mgを4錠、追加です。

 

明日は祝日で、今のところ予定は入っていません。

シャワーの予約をしないと。

 

間も無く消灯時間となります。今日はこの辺で。

 

 

 

 

 

 

明日はいよいよ腎移植の入院です。
異なる血液型間の移植なので、一週間前入院なのです。
仕事復帰は2ヶ月か3ヶ月後ということは、年内はもう会わないので、職場の人には年末のご挨拶のような挨拶をし、人によっては熱い握手を交わし、職場を後にしてきました。
部長からは、仮面ライダージオウの変身ベルトをいただきました。
今のライダーベルトってとても進化してるんですね!
あまり詳しくないので、入院中勉強します。

シャント手術が去年の11/17なので、透析始まってマル一年です。
今年の2月頃から、腎移植の検査でひと月に一度は通院していたので、ようやっとここまで来たなという気持ちでいます。
今年一年は透析が生活の中心にあって、スケジュールを考えていたので、仕事以外に意欲が湧かなかったのですが、来年はもっと、色々動いてやりたいなと思っています。

本来なら明日は透析日なので、どのようなスケジュールになるのか、明日からは入院生活のリアルな記録です。

透析を始めて、今のクリニックにお世話になってもうすぐ1年です。
こちらでの、入院前の透析も今日を含めてあと2回。
今日穿刺を担当するスタッフの方からも、戻ってこないようにしないとね、頑張ってねと声をかけていただきました。
およそ一年間、自分のシャントは結構流れが悪くなってきており、移植前の透析にギリギリ持ちこたえるかどうからしいです。
今日は今の所、アラームが一度もないので、なんとか大丈夫かとは思っていますが、なんとかこのシャントには頑張って欲しいです。
1ヶ月前くらいから、免疫抑制剤を飲んでいますが、その影響か、日中けっこうだるさがあって眠気がきます。夜は、寝れていますが、早朝四時ごろに必ず目が覚めます。
その後寝直すのですが、できればアラームの時間までぐっすりしたいです。
もしかすると、薬ではなく透析のせいかもしれませんが、透析のない日にも症状があるので、薬の副作用だと思っています。
私の透析は夜間なので、夕方スタートして、夜十時くらいに終わります。
今日は仕事休みなので、入院で持っていくための準備をしていました。
入院中時間は結構あると思っていますので、ニンテンドースイッチとか、iPadとか、充電器とか、たこ足配線とか準備をしていたら、結構な荷物になりました。シャンプーとかタオルもあるので運ぶのが大変そうです。
ニンテンドースイッチでレトロゲームが配信されてから、久しぶりに開いてみたら、小学生の時に超ハマったメトロイドを見つけて、入院中はゲーマーになりそうです。

ではこのへんで。

前日の緊急入院&緊急透析後、ICUでの朝を迎えます。
夜中スタッフの話し声やアラーム音や、ストレッチャーの音とか、患者さんのうめき声とかが響いていて、
明かりは落ちていましたが全然眠れません。
自分はといえば、いきなりの透析患者となってしまったこと、一生涯腎機能が回復しないので、透析が必要になることで気持ちが落ち込んで、仕事とかもどうしよう、最悪解雇かとか、考えることが多くて、頭の中がぐるぐるして、極め付けは腎臓のせいか、腰がめちゃくちゃ痛くて、脳が冴えて、眠気を忘れてしまいました。
朝六時になり、部屋の明かりが明るくなり、検温血圧体重測定を済ませて、七時に病院食での朝食タイムです。
メニューは、白飯100g、ウィンナーと白菜をあえたもの、あとサラダのようなものにみかんの缶詰の何房かと、お茶100ccです。プレートにバッチリ、名前と透析食の文字が。これから毎日、これくらいしか食べられないのかと思い、また朝一で気持ちが落ち込みました。普段から、暴食ではないですが、食べることが好きだったので、この献立は結構なショックです。
元気な時は、水分もよくとっていましたので、毎食100ccしか水分を飲めないのは、きっついなーと思いながら、それでも昨日の晩御飯がおにぎりだけだったので、おなかは空いており、初透析食を完食しました。
食事のあと、少し落ち着いたようで眠気がきて、うとうとしていました。
朝の十時前になって、一般病棟に移る連絡があり、ベットに寝たまま、六人部屋の一般病棟に移動しました。
窓際のベットでしたので、窓からいつも乗っている電車が見えて、少しホッとしました。
六人部屋の病室の中でも、皆さん腎臓とか心臓の患者さんが多く、自分が最年少のようでした。
お昼の透析食も同じような感じの内容で、午後は昨日とは違って、透析室での透析です。
こちらの病院では、外来での透析患者も受け入れているようで、透析室前の椅子に、数人が座って待っていました。
透析室へは車椅子で看護師さんに連れてきてもらい、体重測定の後、透析をするベットに移動です。
大きめの総合病院でしたので、透析装置やベットも多く、あちこちから鳴る透析装置のアラーム音が重なって聞こえてくることに、また気持ちが落ち込みました。
通常透析する際は、シャントという透析装置を使って血液を体外循環するためのアクセスから、穿刺を2箇所して透析をします。
シャントは、シャントを形成するための手術を行うことで可能になりますが、自分は体内の毒素がたまりすぎていて、すぐの手術ができなかったため、首のカテーテルからの透析です。
ぶっとい針を毎回刺されないので、カテーテルは楽ですが、その代わりにシャワーもお風呂も入れません。
後々シャントの手術をして、カテーテルが抜けるまでの期間25日、洗髪もダメで、風呂なしなのが一番きつかったかもしれません。
透析室での透析開始です。
このへんで次に続きます。

忘れもしない2017年10月29日、左目の下あたりがどうも曇っているような違和感があり、見えづらくなりました。

仕事はデスクワークなので、目が見難いのはとてもストレスがあるため、週初め平日の月曜日ではありましたが、眼科を受診。

眼圧検査、眼底検査、視力検査をして、暗室での診察をした結果、目の奥の毛細血管が切れて、目の中に水たまりができている状態との事でした。

目にステロイド注射をする事で、徐々に水がひいていくとの事でしたが、なぜ血管が切れたのかの原因を探るため、血圧測定の他、精密検査をする事になりました。

ちなみに、この日、血圧測定をした時に、上が200以上あったと思います。

続けて、尿検査、血液検査と続きます。

眼科の診察が終わり次第、出勤しようと思っていましたのですが、月曜日で眼科がとても混雑している&精密検査の結果が午後1時頃となるため、職場には遅れる旨を連絡していました。

午後1時すぎ、内科で検査の結果が出たので診察に呼ばれます。

検査の結果、クレアチニンの値が16(通常は1.0前後)で、末期の腎不全ですぐにでも人口透析が必要であるという事を告げられました。いわゆるいきなり透析というやつです。

数値的にはいつ、倒れてしまってもおかしくない事と、今日はこのまま帰す事はできないので、ICUに入って透析をしてもらう旨を伝えられました。

最近、夕方になると足のむくみがあるなーくらいに軽く考えていましたので、人工透析という言葉を聞いて、呆然としたのを覚えています。

あまり、詳しい事は知りませんでしたが、人工透析は一度スタートすると、生きている限りは必要になる事、週何回か、長時間の治療が必要になる事はなんとなく知っていた為、あー終わったなという気持ちと、30代で人工透析か、長いなといった気持ちとか、それでも仕事どうしよう、職場になんて言おうといった気持ちが色々巡ってきて、頭が真っ白になったのを覚えています。

少し落ち着いてから、職場にいる上長に緊急入院で透析が必要になったため、しばらく休職になる旨を連絡、エコーやレントゲン、心電図をとって、そのまま流れるようにICUへ移動です。

ICUへは自分であるいて向かいました。ICUという施設は人生で初めてで、オペ室のような雰囲気を予想していたのですが、実際には病棟のように、ベットが横にたくさんならんでいて、ただちがうのはたくさんの機材があって、それぞれアラームがなっていて騒がしいところといった印象でした。

私は歩いてICUに向かい、扉を自分であけて名前を伝えたのですが、初めスタッフの方がとても驚かれていました。おそらく、緊急透析が必要なくらい具合がわるいと思いきや、自分ですたすたと歩いてきたからだと思います。大丈夫ですか、辛くないですかといった言葉をたくさんかけていただいたのですが、自分としては、特に痛みもないので大丈夫ですと答えていました。

一番入り口側のベットに案内されて、体重測定のあと、首に透析用のカテーテルを通す旨の説明がありました。体重測定をする意味については、この時はわからなかったのですが、透析をすると、身体に溜まっている余分な水分を除く(除水)ため、透析前後で体重がkg単位で変わるのです。この時、透析前は体重が72kgほどありました。

ベットによこになり、首の消毒を念入りにし、頭にキャップと顔に緑色のシートをかけられて、カテーテルを通す箇所に局所麻酔をします。麻酔が終わると、(見えないので憶測ですが)カテーテルを通す穴をあけて、実際にカテーテルを導入します。カテーテルを入れる時は痛みはないのですが、押し込む時にズズズといったいやな振動が伝わって気持ち悪かったです。30分くらいでカテーテルの処置がおわり、目隠しをはずされたタイミングで、すでに透析装置につながれており、自分の赤い血液が流れていました。(結構衝撃でした)

16時前くらいから透析を開始して、終わるのは4時間後の20時頃になる事を聞いて、これがずっと続くのだと思い、とても気持ちが落ち込みました。それでも、透析をされていると、少しずつ身体が楽になってきた感じを覚えています。すこしずつ悪化してきて、自覚症状がなかったのですが、とても調子が悪かったんだなと、チューブにつながれていながらそんな事を考えていました。あとは、職場に落ち着いたら改めて連絡すると伝えていたので、早く連絡しなきゃという気持ちと、手や足のむくみがとれて逆にシワシワになってきたので、すごいっという思いが頭の中でぐるぐるしていました。

奥さんが18時頃、病院からの連絡を聞きつけてきてくれました。

入院が急なので晩御飯がないので、おにぎり2個とペットボトルの水を買ってきてくれました。

自分がチューブに繋がれて、しかも血液が循環しているのを奥さんがみて、泣かれてしまいました。

主治医からの説明がありますとの事で、奥さんとは別れて、そのあとは話をして帰ってもらいました。

初めての4時間の透析中、腰がとても痛かったのを覚えています。

腎臓を悪くすると腰が痛むと聞いた事があるので、相当悪かったんだろうなと思います。(実際悪かったです)

ひとまず、緊急の透析が終わって、カテーテルから透析装置を外しました。

そのあと、体重測定をしたところ、4時間で3.5kg体重が減りました。

これが全部水分だという事を知って、びっくりしました。手や足がシワシワになるのも納得です。

体調は、透析前より頭がスッキリして、身体が楽になった感覚がありました。

そのあと、奥さんが買ってきてくれたおにぎりと水を飲みました。

透析のあと、コンビニのおにぎりの味がとても濃かった印象がありました。

水分補給は、1日1Lに制限になるという事を聞いて、また頭の中が真っ白になりました。

以前から水分を多く摂る方だったので、水分制限はとてもつらいだろうなと思いました。(実際、夏は特に辛かったです)

先生から、今晩は1晩ICUに泊まってもらい、明日問題なければ一般病棟にうつるという事でした。

看護師さんに確認して、スマホは触っても良いとの事で、職場の上長に現状までを報告して、一旦は落ち着いたところで21時の消灯時間となり、部屋の電気が落ちました。

ただ、ICUなので、真っ暗にはならず、時折患者のうめき声とか、咳とか、機械のアラーム音とか、スタッフの話し声とか、急患がストレッチャーで運び込まれてきたり、危篤状態の患者さんをずっと呼びかける家族の声とかが一晩中聞こえてきて、まったく眠れませんでした。一瞬うとっとしたくらいです。

そんなこんなで、腰痛とも戦いながら、ICUでの朝を迎えます。

 

続きます。