(洋画)ファイトクラブ | ゲイが語る映画の感想とクローズドゲイの日常

ゲイが語る映画の感想とクローズドゲイの日常

映画の感想が主ですが、たまにゲイアプリでの出会い報告もやってます。その時は(ゲイ話題)と書きますので、ゲイに対して理解のない人には、そっとページを閉じてくださいね。

 

もう20年も前の作品なんですね。何度もみようとして、途中で睡魔に勝てなくて、一度も完全に見たことがなかった作品です。 でも、オチは知ってます。エンディングごろになるとだいたい起きてるので。。。

 

 

 

 

ストーリーは置いておいて、ずーっと早口でまくし立てるナレーションが好きじゃなくて、あれが睡魔を誘うんですよね。主人公は不眠症だっていう設定なのに。

 

 

20年前では、「あーなるほどね」って思っていた、フィルムチェンジのマークが出ることの説明に関して言えば、今の時代のデジタル映写ではまったくそのようなものは絶滅してしまったので、これをもう少し後の世代の人がみたら何のことかわからないことになってしまいます。



その過渡期に作られただろう作品なので、意図的に盛り込んでいると思います。 フィルムチェンジとタイラーと言う人格へのチェンジをかけてます。普通の人は気づかないもんだ。っていうのも、ストーリー上理にかなっている設定です。

 

 

でも、自分で自分じゃない人格を自覚できちゃうのってちょっとばかり恐怖ですよね。内なるものと戦うものみたいな感じ。どちらが勝つのかを「ファイトクラブ」で決めあっているんです。




 カリスマ性がありまくるタイラーに共感する人が増えてくることと、本来の平凡な男であったはずの自分がその波に飲まれていく過程が実は噛み合ってないんですよって演出なら分かるんですが、タイラー(幻覚)と共に行動して会話しちゃうシーンも多々あるので、そこは次元さえも超えてしまっているようにも思えます。

 



そもそもビルの爆破も突飛な計画でもなく、初めっから飛行機が爆破すりゃいいのになどと言っているのでタイラーが生成される以前から危険な思考の持ち主であるのは確かです。


 

 

先日鑑賞した「ピエロがお前をあざ笑う」というドイツの映画で、主人公が崇拝していそうな作品にもなっていました。 あの作品の場合は意図的に「多重人格」であると偽って警察を出し抜くという映画なので、どちらかと言うとタイラー自身が主人公の映画と言ってもいいかもしれません。その壮大な作戦に周りもついてきちゃってますし。





そして、最後のシーンでのサブリミナルで男性の下半身(日本版ではもちろん勃起したペニスはモザイク処理) があります。暗いシーンのなかでふと明るいショットが紛れ込んでいるので、誰でも分かる仕様。ただし何だかは初見では分かんないだろうね。




これも劇中でタイラーが言及しながら、スプライサーで卑猥なカットを付け足すと言うものを実際にやってのけるわけです。(劇中で、映画を見ている少女が泣き出すシーン) 




って事は、フィンチャーも誰かにとっては不快なカットになりうるって分かって挿入しているわけです。でも、ちゃんと考慮しているらしくて、その画像はもちろんブラッドピットやエドワードノートンのものだと噂が流れないように黒い陰毛の男性なんだとか。(どういう配慮だよ!)




なので、この映画自体に言える事は、ディメンションを超えているように見せかける手法がたんまりあるって事です。意図的に操る事だって出来るんだよ。という映画の危険性も娯楽になることもあるんですね。