(長いタイトル映画)家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 | ゲイが語る映画の感想とクローズドゲイの日常

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ここまで長いタイトルだと、映画館で観るときに



「家に帰ると必ず妻が死んでいます。」とか言ってしまいそうだし、



映画館スタッフもわざと最後まで聞いてあげて、さらに復唱するというコメディが繰り広げられていたのかと思うとそちらの方が興味があります。



ちょっと古いですが、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」って映画を見た時、全部言えたか覚えてません。。。



短縮ワードでもあったでしょうか? まあいいや。




さて、物語ですが、バツイチ男の二度目の結婚3年目。前回の反省から3年目の区切りに自分たちの将来を考えるきっかけを作ろうと決めて結婚をしたというかなり計画的な結婚生活。




そしてもうそろそろその3年目を迎えるというときに妻は死んだふりという奇妙な行動を取るようになったのでした。という話です。




毎回違う死に方をアレンジして、小道具やレンタル衣装などかなり手間ひまかけた死んだふりを妻は行うのですが、それを真剣にやっている榮倉奈々の突き抜け感がすごいです。



どうあれ家族の形の日々を丹念に描いているのはとても評価します。ちえがなぜバツイチのじゅんと結婚したのか?などの答えが独創的で、まぁ他の家族には参考にならないような間柄ですが、家族持ちならわかる共通点なんかも見つけることが出来るんでしょうかね? 僕は独り身なので全く分からないです。しかもゲイだし。




さてその種明かしのエンディングで、その答えを出さなかったのはこれまでの流れの中で本当に残念な瞬間でした。 こんな家庭、誰にも参考に出来ないだろうに、その答えは観客の皆さんの想像に任せますという突き放し方は納得いきませんでした。



もちろん、ちえの幼少時代の経験から夫に先に死なないようにと繰り返している事から答えは導きやすいかもしれないですけど、それならなぜ3年目が近くなったときに突然それを始めたのか?など全然説明が付かないんですよね。



あえて言います。私が先に死ぬ予定だから、その時の練習だよ!って言うのは誰でも考えつく事ですが、それにしては死に方がかなりジョーク過ぎるんですよ。そんなのした所で実際の死に目で耐えられるのでしょうか? 無理ですね。



さらに言うと、そんな特別な思い出を作り過ぎると小道具として出した色々なものに感情が残ってしまって、逆に辛くなるんじゃ無いかって。ワニを見ても悲しくなってしまいますよ、僕ならね。



夏目漱石のあの言葉も突然ですよね。そんなに回りくどい関係なのに、よく3年持つなぁと思ったのでした。映画だからでしょうね。