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CURSE OF CINEMA

メジャー、インディー、洋画、邦画を問わず映画や、アメコミのレビュー、自作のイラストを掲載していくブログです!映画はホラー映画メインになりそうですが(笑)とにかく個人的に好きな作品などを褒めちぎる愛のある映画レビューを書いていきます!



2016年1発目から真面目な話で何なんですが、今回はアカデミー賞の問題について。

アカデミー賞が人種問題で揺れている。

昨年に続き、俳優部門でノミネートされた20名全てが白人の俳優であった為、黒人の映画監督スパイク・リーが『我々黒人は演技が出来ないと言いたいのか?』と批判を発表し、ウィル・スミスの奥さんのジェイダ・ピンネット・スミスもアカデミー賞への不参加を発表、当然旦那であるウィル・スミスも不参加を発表した。
ちなみウィル・スミスは、NFLにおける脳震盪の問題提議を起こした実在の医師役で主演した『CONCUSSION』での演技が好評で、アカデミー賞ノミネートの期待も掛かったが落選していた。

ウィル・スミスの落選だけでなく、『
Beasts of No Nation』の演技が絶賛されたイドリス・エルバや(ちなみにこの作品の監督のキャリー・ジョージ・フクナガは日系)、スタローンにアカデミーノミネートをもたらした『クリード』主演のマイケル・B・ジョーダンと監督のライアン・クーグラー、ヒップホップ史と青春映画を合体させて社会現象にまでなった『ストレイト・アウタ・コンプトン』(脚本賞にはノミネートされているけど、この脚本を書いたのは白人)などが主要ノミネートに引っかからなかった事も、昨年丸腰の黒人少年を白人警官が射殺した様な問題を抱えるアメリカでは根深い差別を浮き彫りにしたと言われる要因だと思う。

更には、黒人スター以外にも、ジョージ・クルーニーは去年も『オスカーは真っ白』とジョーク交じりに批判したが、今回は『アカデミーの多様性の無さに失望する。業界でのヒスパニック系への差別は黒人差別以上に酷い』とインタビューで語っているし、聖職者の性的虐待と言うテーマで主要部門にノミネートされている『スポットライト』に出演し助演男優賞にノミネートされているマーク・ラファロも同様の発言をしている。
ジョージ・クルーニーはアイルランド系で、マーク・ラファロはイタリアとカナダの血が入っている。

ジョージ・クルーニーと言えば、数年前に全米の脚本家組合がボイコットを起こし、映画やドラマの撮影が中止された為、多くの新人俳優や売れない俳優が路頭に迷った際に、俳優組合に寄付をして俳優達に支援した程だから、この様な批判を発表するのは当然と言える。

こうした声明が相次ぎ、先に挙げたスパイク・リーや、ジェイダ・ピンケット・スミス、ウィル・スミスらがアカデミー賞へのボイコットを呼びかけ、更にはアカデミー賞の司会を務める黒人のコメディアンであるクリス・ロックにまで司会を辞退する様呼びかける動きも出ている。

一方で、今回のアカデミー賞で主演女優賞にノミネートされてるシャーロット・ランプリングはボイコットを呼びかける人達に反論し、『ボイコットをする事は逆に白人差別ではないのか?黒人の俳優が今回ノミネートされていないのは、ノミネートに値しなかっただけではないのか』と発言し、炎上している。
ランプリングは『黒人の演技は良くなかった』と言っているのではなく、『全ての演技は平等に評価されるべきであり、今回は他の候補者が優れていただけと言う事からの結果ではないのか』と言いたかったと釈明している。
イギリス人の名優マイケル・ケインも『パフォーマンスが良ければ評価されるはず。自分も何年も掛かったんだ、何年も』とコメントしている。

個人的には、『Oscar So White』と批判したくなる人達の気持ちも解るけど、どちらかと言えばランプリングやケインの意見に賛成だ。

と言うのも、そもそもの原因を考えればアカデミー賞だけの問題じゃなく映画界全体的に慢性的な差別がある為に、黒人のキャストやスタッフがメインを務める作品数自体が圧倒的に少ない事が問題なのだ。

今回ノミネートされている俳優部門の作品を見れば、基本的に実在の人物を描いた作品が殆ど。
『レヴェナント』のディカプリオとハーディ、『トランボ』のクランストン、『スティーブ・ジョブズ』のファスベンダーとウィンスレット、『リリーのすべて』のレッドメイン、『ブリッジ・オブ・スパイ』のライランス、『マネーショート』のベール、『スポットライト』のラファロとマクアダムス、『ジョイ』のローレンスなどなど、20人中半分以上の11人が実在の人物を題材にした映画のキャラクターなのだからこれを黒人にするわけには当然いかない。

確かに、これまでのアカデミー賞ノミネートの黒人俳優は、せいぜい50人いるかいないか、白人のノミネートは多分その30倍くらいいるんじゃなかろうか。
それどころか、監督としてノミネートされた黒人はこれまでに2人しかいない。
それも初めて黒人監督がノミネートされたのは87年もの歴史の中で、僅か24年前だ。

過去のアカデミー賞を見れば、去年と、今年のアカデミー賞が特別って事じゃないと解る。(ただ、直近の20年で見れば、主要部門を白人が独占したのは、78回、87回、今回の3回だけだけど)
問題はそもそもの絶対数的に黒人が主要部門を務める作品が少ないと言うハリウッド全体の非白人に対する冷遇やチャンスの少なさ、なのだ。

更に黒人差別だけではなく、今回様々な賞レースで話題となった『キャロル』は、女性同士の恋愛を描いたLGBT映画だが、アカデミーでは作品賞も監督賞もノミネートされていない。
男同士の恋愛を描いた『ブロークバック・マウンテン』は良くて何で『キャロル』はダメだって話だろう。(『ブロークバック・マウンテン』の監督アン・リーはこの作品と『ライフ・オブ・パイ』で2回も監督賞を受賞してる唯一のアジア人だ)

それでもハリウッド自体の女性蔑視は修正されつつあると思う。
去年公開の所謂大作映画は、主役やメインキャストとしての女性キャラクターの活躍が目立った。
『スターウォーズ』も主演は新人女優デイジー・リドリーだし、『マッドマックス 怒りのデスロード』も主役のマックス以上に作品を引っ張ったのはシャーリーズ・セロン演じるフュリオサだ。
ジェニファー・ローレンスをスターダムにのし上げた『ハンガー・ゲーム』シリーズの新作も大ヒットしたし、今回残念ながらアカデミー賞にそっぽ向かれたけど、前評判の高い『ボーダーライン』と言うメキシコの麻薬カルテルを題材にしたサスペンスアクションも主役はエミリー・ブラントだ。

『スターウォーズ』に関しては、逆に白人至上主義的な立場の人間から批判が起こったほどだ。主役に女性を据えただけでなく、もう1人の主人公フィンはアフリカ系アメリカ人のジョン・ボイエガ、もう1人のメインキャスト、オスカー・アイザックはキューバ人の父を持つ。

ジョージ・クルーニーは、ヒスパニックの冷遇について発言していたけど、日系アメリカ人、日本人俳優に関してはもっと厳しい状況だ。

渡辺謙が『ラストサムライ』でノミネートされた事は素晴らしい偉業だと思うけど、侍を題材にした映画なのだから日本人や日系アメリカ人がキャスティングされるのは当然だ。
『バベル』で助演女優賞ノミネートの菊池凛子も日本パートでの出演。
役者としてアカデミー賞受賞を果たしたのは1957年のナンシー梅木のみだが、こちらも作品の舞台は日本だ。
つまり、日本文化自体を描く作品以外で、日系アメリカ人、日本人俳優がメインを務める機会が恐ろしく少ないのが現状だ。

スタッフとしては『ラストエンペラー』でアカデミー賞作曲賞を受賞した坂本龍一も、今回のアカデミー賞で主要部門を独占するイニャリトゥの『レヴェナント』の音楽を手掛けるもノミネートされていない。大体2年連続でノミネートされて、2年連続監督賞の可能性が非常に高いイニャリトゥはメキシコ人だ。

今年秋の公開らしいから来年のアカデミー賞に密かに期待しているのが、巨匠マーティン・スコセッシ念願の企画、遠藤周作の『沈黙』の映画化だ。

当然日本が舞台となり多くの日本人俳優がキャスティングされている。
浅野忠信、塚本晋也、窪塚洋介、イッセー尾形などなど。(隆大介が元々キャスティングされてたけど、この作品の撮影の為に向かった台湾の空港で酔っ払って職員を暴行して逮捕、結果降ろされた…。)
この中からアカデミー賞ノミネートを受ける俳優がいるかもしれない。

余談だけど、スコセッシと言えば、『ディパーテッド』でアカデミー賞の主要部門を独占したけど、あれだってオリジナルの『インファナル・アフェア』の方が面白いのに、なんで外国映画部門にすらノミネートされてないんだって話だ。

今回の問題で、アカデミー賞選考委員の会長は、選考員のメンバーの見直しを発表した。(ちなみにこの会長は女性で、アフリカ系アメリカ人としては初)

確かに、現在のアカデミー賞の選考員の80パーセント以上が、白人であり、その殆どが高齢の男性である事で、人種差別や性差別の問題が起きているとする向きもあるけれど、それでも素晴らしい演技をした黒人俳優達は評価されて来た。シドニー・ポワチエも、デンゼル・ワシントンも、モーガン・フリーマンも、ジェイミー・フォックスも、サミュエル・L・ジャクソンも、ウーピー・ゴールドバーグも、ハル・ベリーも、モニークも、オクタビア・スペンサーも。
事実、今回の問題発覚後、『自分はイドリス・エルバに投票した』と言う白人の選考員もいる。

黒人だけが差別されているわけじゃ無い、どちらかと言えばその他の非白人と比べれば黒人は評価され、その地位を勝ち取った人が多いくらいだ。

名優のベン・キングズレーはイギリス人だが、インド人のハーフだ。
キングズレーは『ガンジー』でアカデミー賞主演男優賞を受賞したが、その他のインド系の俳優は、タクシー運転手やテロリスト役をオファーされる事が多いと言う。

選考員の見直しで非白人俳優や、スタッフにチャンスが来る可能性が高くなるのはいい事なんだけど、これで来年のノミネートでやたら黒人が増えてたらそれはそれで、なんかモヤモヤする物が生まれる気がする。

年間に作られるハリウッド映画は、大体700本程らしい、その中で何本が非白人キャストやスタッフの作品なのか。
そしてその中から更に何本がアカデミー賞向きの作風の物なのか。
そう考えればノミネートのチャンスが少ないのは仕方ない事なんだと思う。

選考員の見直しより、非白人達の作品の数を増やしたり、環境を変えることの方が大事だと思うし、ましてやこうしたボイコットでアカデミー賞の選考員を見直すより、それこそが映画人達が声を上げてやらなきゃいけない事なんじゃないのか?と思う。

なんか色々書いてスゲー長くなったけど、アカデミー賞が人種問題で揉めてるのが嫌なんだよね、大体さ、大抵作品作って公開するとプロモーションのインタビューとかで、『賞レースについての手応えは?』とか聞かれるてさ、よく『賞レースの為に作品を作っていないから、もし評価されれば有難いけど、まずは作品を多くの人に観てもらって何か感じてほしい』なんて言うじゃん。
だったら、非白人が今回のアカデミー賞にノミネートされないだけで、『我々は演技が出来ないと言いたいのか?』なんてクレームは違うんじゃないの?と思ってしまうんですよ。

アカデミー賞とかGG賞とかって、要はお祭りだから、スターがレッドカーペット歩いたり、主題歌を歌うステージがあったり、受賞スピーチでどんな事言うかな?とか、ちょっとしたハプニング起きないかな?とか、そんなもんを楽しむもんだと思ってる。

アカデミー賞に引っかからなかった作品だって面白い映画なんか腐るほどある。
と言うか、自分が愛するホラー映画なんかこれから先もアカデミー賞のノミネートなんて掛かる可能性の方が少ない。(それはそれで悲しい!)

アメリカの差別は、まんまアメリカ人の歴史に繋がるし、未だに差別からの事件も起こるアメリカの黒人、非白人に取ってはとても重要な問題だとは分かってるけど(トランプに関しては死ねばいいと思ってる)、逆にアカデミー賞くらいパッと楽しめたらいいんじゃないのかなぁ、と思う。
結局、ハリウッドはアメリカの縮図だ。非白人にはチャンス自体が少ない。それが問題であって、アカデミー賞だけの問題じゃない。

今回の問題で間違いなく来年以降非白人がノミネートされてもされなくてもこの人種差別はアカデミー賞にイメージとして付いて回る。来年非白人がノミネートや受賞しても、『去年の騒ぎがあったからだろ?』って言い出す輩もいるだろうし…。それが何か悲しいんだよなぁ。
純粋にパフォーマンスを評価してるって思いたいじゃんか。

ボイコットとか呼びかけたりするんじゃなく、言いたい事があるなら招待客としてアカデミー賞に参加して、レッドカーペットとかで発言すればいいのに…。
ウィル・スミスのファンは、黒人だろうが非白人だろうが、ノミネートされなくてもレッドカーペットを歩くウィルを観たいはずだ。

何より、去年主要部門を独占した『バードマン』で素晴らしい演技をして主演男優賞にノミネートされたのに受賞を逃したマイケル・キートンは、今回も前評判の高い『スポットライト』に出演してるのにノミネートすらされなかった!GG賞ではノミネートされたのに!!
そんな白人マイケル・キートンが可哀想じゃないか!

選考員メンバーの見直しを、『第一歩』と評価するのはいいけど、それがそのままハリウッド全体の『第一歩』になるように動かなければ、意味が無いどころか、アカデミー賞自体の意味を悪い意味で変えるだけになりそうだ。