自由惑星同盟の国父であり、その名はアーレ・ハイネセン




政治犯の末裔として、アルタイル第七惑星で強制労働に従事させられてましたが、同じ奴隷階級の少年が、ドライアイスで作った船を湖の上に浮かべて遊んでいたのをヒントに、ドライアイスを利用した宇宙船『イオン・ファセガス号』を建造。

銀河帝国の秘密警察である、社会秩序維持局の目を盗み、40万人の同じ共和主義者たちを率いて、アルタイル星系からの脱出に成功。

後に、『長征一万光年』と呼ばれる新天地への長い宇宙航行を始めたのですが、未知の暗礁宙域(後の、イゼルローン回廊)に進入したのを機に、余りの過酷な航行により、約40万人いた同志は約16万人にまで激減し、ハイネセン自身も例外なく事故で帰らぬ人となってしまいました。

その後、彼の親友であるグエン・キム・ホアが引き継ぎ、半世紀に及ぶ過酷な航行の末、遂に新天地(バーラト星系)への到着を果たすことに成功。




そこの惑星の1つを彼と同じハイネセンという名で首都星とし、1度は銀河帝国初代皇帝・ルドルフ大帝によって廃された宇宙歴を復活させた上で、その年である宇宙歴527年に、ハイネセンの理念である『自由・自主・自律・自尊』を基にした民主共和政国家・自由惑星同盟が建国されたのです。

ハイネセンの中央都市であるハイネセンポリスには、彼の巨像が建てられており、更に生前は同志たちに対し、「闇が濃くなるのは、夜が明ける直前」と励まし続けたそうですが、ハイネセンを尊敬してるヤンは「誰でも言いたそうなこと」と信じておらず、巨像の存在にも否定的でした。




また、ハイネセンは前述の理念を基にした民主共和政国家の建国を夢見ていた一方、自由惑星同盟という国家はハイネセンではなく、彼の遺志を引き継いだ者たちによって建てられたことも、留意すべきです(ただ、グエン・キム・ホアに関しても、バーラト星系到着時は既に老齢かつ盲目だった為、国家元首就任を固辞する代わりに、名誉職【ハイネセン記念財団会長】に就くだけに留まった模様)。

故に、その事実を何よりも理解していたヤンは、国家の存亡そのものにさほど執着しなかった反面、民主主義そのものを守る姿勢を、最後まで崩しませんでした。

それでも、ほとんどの同盟市民から、国父として尊敬されてることに変わりありませんが、ダゴン星域会戦の英雄であるリン・パオユースフ・トパロウルブルース・アッシュビーら730年マフィア、そしてエル・ファシルの英雄などと賞賛されてるヤン(本人は不本意ではあるが)と比べても、そこまで尊敬されてるとは言い難いようです(これは、帝国との慢性的な戦争状態が続いたことで、大衆から建国当初の理念が忘れ去られたということも留意すべき)。

銀河帝国が同盟の存在を知ることになったのは、ハイネセンたちが脱走してから200年後の帝国歴221年に起きた、同盟艦隊とのファーストコンタクトを機に、古記録を漁ってからです。

帝国側は同盟を国家と認めず、「辺境の叛徒」と称する一方、国内の不満分子のことを考慮してか、ダゴン星域会戦で大敗を喫するまで、同盟の存在を秘匿していたようです。

150年以上に及ぶ戦争状態の末、ラインハルトにより、自由惑星同盟は滅亡に追い込まれ、ハイネセンの巨像も撤去されましたが、これは彼がヤンと同様、偶像崇拝に否定的なだけであって、出自と偉業、抑圧への抵抗という共通を思えばこそ、ハイネセンが本当に尊敬に値する人物なら、この行いを是とするであろうという考えから来ており、故に彼の墓所や記念館には一切手出しすることはありませんでした。

皮肉にも、ハイネセンの存在が再び輝きを取り戻したのは、同盟という国家が滅び、かつヤンが地球教のテロで落命してからであり、ほぼ拠り所を失った共和主義者たちと旧ヤン艦隊の面々によって、イゼルローン共和政府が樹立され、その際ヤンと共に、ハイネセンの肖像画が掲げられました。




その後の帝国との戦いを経て、ユリアンたちはイゼルローン要塞返還と引き換えに、バーラト星系の自治権を得ることに成功し、そこに辛うじて民主主義の芽を残せたのでありました。

あとは、ラインハルトが崩御した後のローエングラム王朝の、立憲君主制への移行が実現できるかどうかが、掛かってます。

本当に実現したかどうかは、想像に任せるしかありませんね。