理不尽な指導。
何故なくならないのか?
高校サッカーでの話ですが、その温床は高校サッカーにあるではなくてもっと根深いところにあるように感じます。
そもそも、叱られる方はどこまで物事を理解しているのか?
家庭でどこまでちゃんと教育されているのか?
そもそも、そこにあるように感じます。
親に叩かれて、叱られて。
それができていないから体罰を与えなければならない。という事実はないか?
もちろん、体罰は絶対に反対だが本質はどうか。
まあ、そこは今回は置いておいて。
気になるのは
理不尽な指導
という言葉。
そもそも、理不尽な指導なるものがこの世に存在するのか?
指導とは

それは常に理論的でなければならない。
要するに理不尽ではあってはならないのだ。
「お前は普段から練習をしないから上達しないんだ。」
「こんな簡単な事ができないのは努力が足らないからだ。」
「昨日、練習でやっただろ。なんでできないんだ。」
「どうしていった通りにできないんだ。」
「あいつはできるのにお前ができないのは自分の責任だ。」
「なんでそんな失敗をするんだ。」
「そんな事は教えていないだろ。」
「試合に出してやってるんだ。もっとちゃんとやれよ。」
「気持ちが入ってないんだよ。」
この中で理論的な声かけはありますか?
どれもよく試合会場で耳にする言葉ですね。
練習をしないから上達しない。
練習しているかもしれない。要はその練習は正しくやれているのか?ではないか?例えば、ボールを蹴れない子に
普段からやってないからできるようにならないんだ。と言っても正しいやり方がわかってなければそれはいつまでたってもできるようにはならない。
もちろん、上達には努力は必要だが、間違った努力をしていては上達はしない。だから、間違っていたらどこが間違っているのか?どうしたら上達できるのか?を適切に伝えなければならない。ひたすら、
「いいね。いいね。」
はできない子に
「ダメだね。ダメだね。」
といっているのと同じ事です。前向きな言葉なだけましかな。と思うけど。
なんでできないんだ。
それはいつも言う通り、正しく伝えられていないから。じゃあ、なんで同じ練習をしていてできる子がいるんだ。それは簡単な事。その子が凄いだけ。だって、なんでできないんだ。なんて指導者の練習でできるようになってしまうのだから。

できない子がいるというのはまだまだ自分の伝え方が足らない。と理解しなければ。
もちろん、受け入れる方は受け入れる努力はしなければならないけど。
努力が足らない。というならまずはできない子にできるようになるような方法を考える努力をこっちがするべき。
挙げ句の果てに
ちゃんとやれ。
気持ちが入ってない。
もうどうしょうか

というレベルだよね。
もちろん、いつもはできているのに今日はできていない。という事にもどかしさを覚えてしまうのは仕方ないけど、選手にそんな事を言ってしまったらもう選手はどうする事もできない。
選手は自分の調子が悪ければ一番わかっているもの。そんな事は人から言われないでも。というのが事実だろう。
調子が悪ければ、いつもより緊張もするだろうし、萎縮もしますよね。
できていないけど、やらなければならない。
その事は伝えるべきだが、
なんで~~~なんだ。
は禁句だ。
戸惑っている選手に
戸惑いを問いてもどうにもならない。
体罰やシゴキも理不尽だとは思うけど、
理不尽な指導
という点ではここにあるようなものもかなり理不尽だ。
理論的な指導を目指しましょう。
私も意識するようにしています。
小さい子ども程、そこはごまかさない。
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