もう5月も終わってしまう…ドラフトは温めていたのであるが、GWの話。GWを休みとして過ごすのは実に10年ぶりの経験であった。

 

令和6年5月1日 雨

雨の中、市川から大宮へこれから5日間行動を共にする友人を車で迎えに行った。彼は富山から新幹線で来た。千葉県まで行って習志野のガストにて昼食、交通系ICを関東にいる間は使う様提案、彼は自身のスマホにてパスモのアプリを入れチャージ完了。これがあると無いとでは全然旅のスムーズさが違うであろうと思い提案した訳であるが、これは成功であったと思う。雨がどうにも鬱陶しいなぁと思いつつ彼を船橋駅前のホテルに連れていきチェックインしてもらう。そして私の市川の家に案内し、5/3,5/4と泊まることとなるので自分の家の設備の説明、電車で船橋に戻り居酒屋で飲んで解散。

 

令和6年5月2日 晴れ時々曇り

京急のまぐろきっぷで三浦半島巡り

京急に「まぐろきっぷ」なる、お得なきっぷが有ることは、通勤時の電車広告(京成線に京急車両が乗り入れる時)で知っていた。この日はそれを使って三浦半島をめぐる旅に出たのである。

友人と船橋のホテルで待ち合わせ、JR船橋からJR品川まで総武線快速で向かう。JR品川の高輪口で一旦降りて京急の券売機でまぐろきっぷを買う。スマホで買う方式もある様であるが、GWだと券売機できっぷを購入するのと値段が変わらないということが分かっていた為券売機で購入、4250円であった。これに品川〜三崎口間の電車賃、京急バスは乗り放題、まぐろ料理、喫茶等が含まれているのであるからかなりお得だと言えるのではないだろうか。京急で品川〜三崎口まで特急列車で向かう。快特が良かったのだが本数が少ない様であった。就職試験はこの京急で新馬場で降りたっけ、横須賀のYRPもミーティングか何かで1回行ったっけ…という様なことを思い出しながら三崎口駅に到着した。京急バスで三崎港へ移動し、まぐろきっぷA券を使って「まぐろづくし丼」を堪能した。バスで城ヶ島へ移動し、馬の背洞門、灯台を回り城ヶ島公園へ。太平洋を望んだ。バスで三崎口駅に戻り、京急で一駅だけ移動し、三浦海岸駅のカフェでまぐろきっぷB券を使用してカフェを楽しんだ。戻りは快特、JRで新小岩に移動ししゃぶしゃぶやスナックを楽しんで下総中山で解散。

 

令和6年5月3日 金曜日 晴れ

奥多摩巡り

車にて奥多摩へ行った。鳩ノ巣渓谷:自然の中を水のせせらぎを聞きながら吊り橋を渡った。日原鍾乳洞:駐車場へ入るのに待たされたが、GWだから当然のこと。入場料として900円掛かる。鍾乳洞の中へ入ると、涼しいというか寒い位。上着着用で正解。中の移動は、40代で健康(概ね)な私でもきつい。特に、新洞という区域、階段というようりは、ハシゴの様な急な階段を上り、下りてかなりキツかったし、危険でもあった。鍾乳洞を発とうという時はもう18時になっていたと思うが、小河内ダムに向かった。東京の水道水のためにこれだけの大きなダムが戦前、戦後で造られた…先人のすごい仕事だと思った。麦山浮橋という、ドラム缶を浮かせた橋があるのであるが、それは通れないらしく、割愛、千葉県に戻った。ここから友人が自分の家に泊まることとなった。人様を自分の部屋に泊めるなんて何年ぶりだったろうか。

 

令和6年5月4日 土曜日 晴れ

世田谷の歴史探訪

電車にて下総中山〜錦糸町を経て、半蔵門線〜東急田園都市線直通で三軒茶屋駅へ。三軒茶屋駅にて東急世田谷線に乗る。路面電車の様な、こじんまりとした車両で宮野坂駅まで移動し、豪徳寺へ。まねき猫を購入した。隣接している世田谷城址にも行った。東急バスで世田谷駅のバス停〜等々力へ移動。等々力不動尊へ。等々力渓谷は唐木の影響で閉鎖されたいたが、東京にこの様な自然があるということに感動した。渓谷は来年度中にはまた入れる様になるらしい。等々力に戻り、東急大井町線で戸越公園。戸越〜都営浅草線〜京成線直通で東中山まで1本で帰った。

 

令和6年5月5日 日曜日 晴れ

いよいよ最終日。友人を送りがてら秩父めぐりをした。羊山公園、ピークは過ぎていたが、芝桜の眺めは良かった。わらじかつが名物というので店を訪ねたがことごとく行列で断念。コンビニ飯の後、宝登山に向かう。ロープウェイで頂上へ。これがGWとして楽しむ景色か…と思うとGW後のことを考えだし鬱の感情が芽生える。ロープウェイを下って高崎駅へと向かう。高崎駅で友人と別れ、GWは終わった感はドッと押し寄せた。私はその感情をまぎらわせる為、高崎のスパ銭にて過ごした後、帰路についた。

 

10年ぶりの「休んだGW」であったが、「楽しむ」側として行動させて頂いた。色んな観光地を巡ったGWというと、何十年ぶりだろう?昔は実家に帰るというのがお決まりだったから。GWというのは全ての人が休みなのではない。過去9年の自分がそうであった様、GW中、労働しているという人々を忘れてはならないと思う。おそらく、来年以降はGWについては「働く」側に戻るのではないかと思う。そもそも、自分は世間様が休日の時に休むのが好きではない。今の職場が一昨年の11月入社であった関係で有休期限がこの5月末まで、って事はあるが、有休を、権利だなどとと云ってガンガン取得するのは私の趣味ではない。強制的に言われて仕方なく有休を取得する…とうのは私のポリシーだ…、といいつつも、友人とは「来年九州旅行」という口約束になっている…かかるコストを見積もったら、今回の倍以上かかる試算。どうなるかは分からないね。

 

 

 

 

自炊を楽しくやってます。

 

 

昨年(2023年)秋から突如自炊を盛んにする様になった。業務明けの日は楽しみとすら感じる様になっている。

 

以前、ちょっとだけ自炊をしたことはあったが本格的ではなく、習慣になることはなかった。

 

最初にトライしたのは「焼きそば」である。スーパーにて必ず見かけるマルちゃん焼きそば、キャベツ、豚肉、紅ショウガを購入してきて調理した。目玉焼きも初めて作って乗せた。

 

【本当に久しぶりの自炊再開時に作った焼きそば】

 

そこからハンバーグ、パスタ(カルボナーラ、和風、ミートソース、納豆)、カレー、豚バラ大根、ハヤシライス、雑煮、天津丼、麻婆豆腐、豚キムチ、オムライス、揚げ物、サラダ、和え物…と、これまで経験したことない頻度で料理を作り続けるに至った。これは継続的な習慣になるかもなと思っている。どうしてそう思うのか、以下に自分で分析してみたので、自炊を考えている方が先に進める一助になれば幸いである。料理写真の後に、自分が考える3つの「自炊が楽しくなった要素」について述べる。

 

【パンチのある辛味に感動した豚バラ大根】

 

【初めて作ったとは思えぬ出来栄えだと思った麻婆豆腐と炊飯器で作った炒飯】

 

【ハンバーグをひき肉から作って、デミグラスソースで煮込んだ】

 

【オムライス】

 

【キーマカレーとカニカマのサラダ】

 

【マグロとアボカドの和え物】

 

【漬け物トライ。ポリポリ大根】

 

【揚げ物。…これらは業務スーパーの衣付きのものを揚げただけだが冒険だった】

 

 時間が有効活用出来る様になった

現業は、隔日勤務(昼〜翌日AM)故、終わって家に帰ってから次の出勤までの時間が24時間近くある。この間の時間を風呂入って寝る、食事はコンビニかウーバーイーツで調達という生活をしばらくしていた。それ以外目が覚めている間はゴロゴロしながらYouTubeやらを観て過ごしていたのであるが、無為な時間、という思いがあったのと、どうにも食事にコストがかかり過ぎていたかな、という感があり、昨年春頃は冷凍弁当のサブスクなんかも試していたのであるが、長続きしなかった。やはり自炊かと、気づいたのが昨年の11月初旬。仕事の休憩時に明けで何を作るかをYouTube等を観てこれと決めておく。帰りの電車においてレシピ動画から必要な材料をリストアップして駅前のスーパーにて調達、帰宅後は一睡してからレシピをYouTubeで学び、動画を巻き戻したりしながらメモして覚え、実行する。少なくとも無為な時間の過ごし方からは脱却できたかと思う。現業も前職ほどではないものの大変な思い、嫌な思いをすることはあるが、楽しさを感じることが私生活で出来たことは大きな収穫といっていいのではないかと思う。調理器具や初めて聞くような調味料等を購入して初期コストは掛かっているが、外食よりはずっとコストが抑えられていくとは思うし、時間の活用、これがうまく出来はじめたというところに手応えみたいなものを感じている。

 自分の意思だけで実行できる。誰からも指図されず文句を言われない

作りたいものを自分で選択してそれを作る手段を考えて実行。これを一人で実行できる。予算がどうだ、作業分担がどうだと考えることは必要ない。これが会社の仕事だったらいろんな制約がかかる。分業というなかで成り立つ会社の仕事とは違い、自分の意思で出来る。これが自分の性格に合っている。やはり自分は自営業向きだと思った。…今まで人に縛られ人に悩んで働いてきた自分というものがいかにパフォーマンスを発揮出来ない存在であったかが分かった様におもった。…まぁ自炊と仕事を比較するのはおかしいのかもしれないが、雇われて働いてきた自分はやはり個でいくべきかと思いはじめるに至る機会、それがこの自炊であるのかと思っている。…まぁ料理の食い手が複数だったらそこから人という要素で悩みが生まれるんだろうけど。

 

 動画を真似するだけで感動的に美味しい料理ができる

料理をするにあたり参考にしているのはYouTubeでありTikTokである。コメント欄に材料が書かれているのでそれを調達、レシピは動画を見ながらノートに書き写ししていって実際に調理するという段取りを践んでいる。動画は何度でも見直すことが出来るし、何度見たからといって怒られることもない。厨房では「一度しか見せねぇからな!」と怒鳴られ、結局覚えられない、ということがあるんではないかな。自分も最初の会社ではジャンルが違うものの、先輩のやっていることをそばで一回しか見せてもらえず、聞いても教えてくれないということは多々あった…。レシピ本なんか見たこともないし、料理番組を見たことはあっても録画して覚えようということは無かった。動画サイトの充実、料理研究家の人たちが隠すことなく教えてくれるレシピというものにも助けられ、自分は自炊が楽しめるまでになった。真似するだけでとんでもなく美味しい料理が出来るのだ。失敗も何度かあった。カルボナーラの卵液を火入れした状態でまぜて親子丼の様な状態にしてしまったり、米を炊く水加減を間違えリゾット的なご飯しか炊き上がらなかったり、揚げ物を焦がしたり…でも失敗は少ない方なのではないかと思う。実際に飲食の仕事はしたことは無いけれど、失敗しても怒られるってことも、一人で自炊している限りは無い。

 

まとめ

 

たった4ヶ月前には料理など何年もしていなかった自分がこんなに自炊中心になるなんて思いもしなかった。上記に挙げた3つの理由で自分は料理が趣味って感じになるまでになっている。これに自分以外という要素が増えたらどうなるんだろう。苦痛の要素が出てくるんだろうか。SNS上に料理を公開している限りは、今のところマイナスの評価を受けることは今現在無い。自分が一つの楽しみを得る様になった過程を本ブログで紹介してみた。このブログをご覧になった方で自炊に興味が湧いた方がおられれば自分にとっては幸いである。

5年前に名古屋へアクセク歩いて購入しに行ったiMac。もう遅くなってしょうがない状態であった。

 

思い切ってMacBook Airを購入した。非常に快適である。サウンドの出力も本当感動してしまう程で、日本のPCメーカーなんかでは絶対に超えることはおろか、追いつくことも不可能だと思わせるレベルである。

 

 

再び千葉県民になり7か月が経過した。怒涛の昨年後半からの引っ越し、転職活動が過去の思い出と思えるほど、気分は落ち着いて生活している。

 

7/8~10にかけて富山に行ってきた。2017年以来である。あの時は言いにくい有給休暇を取得して、名古屋からバスで弾丸ツアーという感じであったが、今回は2日半の予定でゆっくりと旅を楽しんだ感じである。前回は業務上の地獄が始まる前、その間にはコロナ禍があり、5年間の地獄を終えて再始動した後、旅行が出来る様になりひとまず我が人生の一つの暗黒時代は終わったのだと感じたのである。

 

しかし今が最高かというとそうでもないだろう。収入は確かに増えたが家賃は掛かるし、無駄な散財も分かっちゃいるけど辞められないという状況である。更には車を中古で購入。資金は親に頼ったという状況。さすがに何もしない訳にはいかないだろう。

昨年8月からは波乱の日々であった。名古屋を引き払って、実家にて1か月過ごしながら転職活動。次が決まってから退職の行動に入るべきなのではと言われそうだが、受け入れ側としては「辞めてから転職活動しろ」と言ってきた経験があるので辞めてからの活動とした。これがリスク大で、収入無しという期間がどうしても出来てしまう。それが嫌ではあったんだが仕方なし。少しばかりの退職金でつなぐ他無かった。失業手当はすぐに支給されないであろうから当てにしなかった。

 

焦りで今の所で健康診断さえ突破出来れば内定取れそうな所があったのでそこにて前に進むこととした。11月の頭に地元の病院にて健康診断を受診、そこまでの1週間程度は米などの糖質を一切摂らなかった。これが功を奏して数値は基準値内に収めることが出来た。奇跡である。内定は通り、そこから住居探し。これも今になってはスムーズに進んだかなと思ったが、リアルタイムでは相当焦った。

 

11/19に転居。11年7か月ぶりに関東の人間となった。入社からの諸手続き、メチャクチャ大変であった。何か進むと何か壁が出来てそれを乗り越えなければならなかった。実際に再びプロフィットを得られる状態になったのは12/29、年末であった。

 

そこからの3か月、前職における問題点はおおかた解消出来た。前職がいかに黒かったかということが分かった。収入面ではまだこれからという感じだろうか。最初から賃貸ということで職場にまだなじめていない。ちょこちょこ話はするが、その人間の名前が分からない。そして、関東に来てここが骨の埋める所かというとそうでもない。1回地元にて働いた時期の悲惨さを記憶しているだけに、やはり地元が合わないという危惧があってまた関東に来たということなんだが。また次に何をするのかを考えなければいけない。まだ今の仕事も覚えてない状態ではあるが。

 

 

前回が2019年12月だから、2年8か月振りのブログ更新となる。この間に世の中は随分と変化した。コロナ禍である。コロナ禍を私はタクシー会社の運行管理者として過ごした。まだ終わっていないが、これからはもう行動制限は無いであろうし、次のウイズコロナ時代へとなっていくんではないかと思う。何故「過ごした」と表現したのか。一週間前、2022年8月15日を以てこの状態を「強制終了」したのである。こんな経験は初めてである。この令和の世において、仕事を強制終了することが可能であると知ったのは昨年の秋頃か。既に平成の終わり頃には台頭してきたサービスで、お金を払えば今の仕事を強制的に、合法的に終わらせることが出来るのだ。

 

思えば、下記エントリーの時期が運命の分かれ目であった。Noと言えない性格で、そのまま運行管理の道を歩まされたのである。

 

 

このエントリーで自分自身が予想している状況に、その後見事にハマってしまったということになってしまったわけである。拘束時間は長く(2019年秋までは26時間位は当たり前だった。その後は12時間…でも長い。決まった休み時間があるわけでも無かったし)、休みは少ない、休むと休日出勤をしろと後から怒鳴られる、やる仕事は精神的にどぎついものばかりであった。それを5年間(正確に言えば4年11カ月)、よく持ったものだと思う。良かったこと?あまり無い。見方によって良かったと思えることは、人前にてアドリブで話すことが出来る様になった事、気の持ち方が随分と大きくなった事、コロナ禍でも給料は一定で歩合給のドライバー達よりは安定した収入であった事位であろうか。その他はあまりにもストレスの掛かることばかり、事故苦情、果ては有給休暇の申請を受けるのも苦痛であった。こんな状態で続けていても何も変わらないと思い、今回の決断、実行に至ったわけである。

 

今は仕事のことを忘れ、ジムで運動するか、スーパー銭湯やサウナで整うか、YouTubeを鑑賞するか、日記を書くか、という日々である。運転手の頃から数えると8年近く、3日以上休んだことが無かった自分にとって、十分なオーバーホール期間だと言えるのではないだろうか。リミットは2か月、10月中旬だろう。そこで8年近く慣れ親しんだ?名古屋を引き払うことになると思う。

 

でも、こんな終わり方するのは決してベストな方法では無いと思っている。いきなりの告知で会社の面々は寝耳に水であったと思うし、8月16日以降の勤務予定も既に出ていた訳だし、旧来ならば「飛んだ」と取られ給与も有給も無かったのかもしれない。今の日本に「退職代行」があることが私を救ってくれた、と思いたい。
 

 

 

このブログを開設して10年経過した。…しかしその実感はない。この2年程は塩漬け状態で更新をしていなかったに等しい状態であった。10年前はどうであったか。まさに人生の転換期であった。会社を休職して住んでいた柏と実家の沼津を行ったり来たりしていた。前年まで超多忙な日々を過ごしていたのにガラッと暇になりメンタルをやられて…買ってしまった新車のローン、7万2千円した家賃…それらが重くのし掛かったという時期。それから会社の退職、実家へ戻る、派遣にて食い繋ぎ切られて…の繰り返し、今度は愛知に出て行って異業種への挑戦、という波乱万丈な10年であった。今の自分には満足していない。給料は22年前の新入社員の時より低いし、その時に生まれた輩より給料が低いというこの状態、嫌な人間関係から逃れることを狙って選んだ今の業界…それが元どおりになってしまっている、という状態。名古屋に住んで5年が経過したところであるが夏の暑さが大嫌いである。長期休暇はこの5年皆無で、2連休は年1回。休日に出勤しないと怒られるという理不尽。いつになったら満足出来るのだろうかと思う日々である。自分の希望としてはまた関東に住んで働きたいなという思いはある。しかしでは実家はどうするのというツッコミが入るのは必然であり、それに対しては明確な答えは無い。

 

今年を振り返ると、いろんなことはあったと思う。運行管理者試験に燃えた3月までの日々、3月に合格。そこから7月には4台目の車購入、8月に通院している病院を変えたら血糖値の改善。仕事は嫌であったがそんな中でも楽しみが無いわけでもないことを知った。そして今後を考えるようになった。そんな1年。

 

今年はついに、1回も実家に帰らないという記録を作ってしまった。でも2020年になって1月4日には帰省が出来そうである。

もう今年も終わってしまうの?である。この間「PPAP」だ「恋ダンス」だと言っていたように思うんだけど、40歳はあっという間に過ぎてしまった。昔の40歳、といったらどうだったであろうか。マイホームのローン、奥さん子供の養育費に追われるために嫌な上司に頭を下げ…っていうイメージだった。今の40歳といったら???格差社会の中、前述の様な感じの輩はいるけれど、未だに一人で収入は昔より半減、収入がいつ途絶えるか分からない、っていう自分みたいなのが多くいるではないか。そして平成も再来年4月を以って終わる。小学校最後の3学期で始まり、中学→高専→エンジニア→プータロー→工場→タクシーと変遷して今ここにいる。人生のどこでこうすれば良かった、ということは多々あるが、やはり高専を選択したというところは非常に大きいと思う。大学に行くお金は無かったし、親は自分を大学に行かせるつもりは微塵も無かった。だが勉強は出来てしまった。そんな中自分の住んでいた沼津に丁度いい学校があった。それは運命だと思ったけれど…実際は違ったのである。誰も自分が不幸になるために進路を選ぶということではないと思うけれど、工業の実務とは関係なさそうなことを延々とやらされた、そんなイメージが高専時代であった。そして学生時代を通じて敵はいたし、ここから何か人生がおかしくなっていったようには思う。

 

今年をさっと振り返ってみると、

【1月】

新年早々1/3に初めて名古屋城へ行った。その次の日の乗務において酔っ払いにからまれて警察沙汰となった。

1/14には大雪の乗務で怖い思いをしている。マジで雪の中の走行というのは怖い。

1/27には携帯をソフトバンクのiPhoneから楽天モバイルのAndroidにかえた。全ては電話代削減のためである。しかしAndroid携帯では以前に失敗しているため、機種選びは慎重に行った。HUAWEI製のスマホを結局は選んだわけだが、現在でも大きな問題もなく動いている(少し動きがモッサリしている感じはあるけれど)。

 

【2月】

名古屋の観光がいまいち盛り上がらないということで、名古屋の観光タクシーについての講義を受けに行ったりした。しかし現在も盛り上がっている感じはしない。この頃はまだタクシーの現場でずっとやっていくのだろうという漠然とした気分であった。

モーニング娘。’17の「BRAND NEW MORNING」をYouTubeで聴きまくった。ここで再びハロプロへの興味が湧いてきたりしたのである。

 

【4月】

なかなか有給なんて取れない中、4/30、久しぶりにコンサート@名古屋芸術文化会館。とんでもない上の階における席であまり楽しめなかった。

 

【5月】

タクシーの研修から一緒であった同期が辞めたという話が入った。そして何故か同時に「東京でタクシーをやりたい」という気持ちが芽生えはじめる。なんでまた大変なことを思い始めたのだろう?それは名古屋でのタクシー生活が頭打ちになってしまった感があったからである。5月は例年営収で苦しい思いをしていたということもあるが、東京でないと稼げないのかなと思ったことと、もう1回関東の空気を吸ってみたくなった、というこれまた変な感情。

 

【6月】

6/4,6/5で初めて会社行事に参加。浜松の舘山寺温泉への旅行であった。ここで何かを感じたんだな。宴会での席は一番前にさせられたし、2次会では社長と歌ったりしたのである。

 

そして、6/15には自分の「前任者」が辞めていった。当日にいきなり知ったので驚く暇も無かったけれど、その時は「前任者」だなんて思わなかった。

 

【7月】

例年通り名古屋のクソ暑い中、「運行管理者講習」を受けさせられる。そして9月より「運行管理者」となることが発表される。全く断る余地はなく、もし強制的に断るとなれば辞めることになったであろう。

7/29〜7/30に富山へ旅行。有給休暇を取得したのはこれが最初。富山の飲み屋で飲んで歌いまくった。これは前エントリーを見てもらえば分かると思う。

 

このあたりから、何故か金がたまりはじめた。それまでは金なくて大変だったのに、3年前の免許取得費用が戻ってきたりして、不思議にムダ金が出ていかなくなったのである。

 

【8月】

運行管理者への不安が募る中、中旬(みんなにとっては夏休み)に金山で同級生と飲んだ。飲みにかけるコストが少な過ぎて笑ってしまった。妻帯者はそういうものなんだろうね。

中旬から1ヶ月だけの昼勤務。これが以外と新鮮であった。横乗指導というのもやった。

 

【9月】

初旬には社長あいさつ。9/14に営業社員としての生活は終わってしまったのである。

9/16より運行管理者としての業務始まる。このあたりについては別のブログで詳しく書いた。

 

【10月及び11月】

当直生活で肉体、精神両方ともやられはじめる。特に「怒られる」ことが多くなり、これは自分に課せられた運命とはいえ辛くてしょうがなかった。加えて新人連中は癖のある連中が多くてこれまた嫌になった。

 

今、こうして振り返れば激動の年であったと思う。来年はどうなるのか、全く分からない。とりあえずは運行管理の仕事は自分には向いていないことは分かっている。いつ辞めるか、ということばかり考えている。しかし東京なんていったってそれはそれで大変だってことは承知なんだけどね。今の会社がどんだけブラックかってことも分かっているし、なんとか今の環境は抜け出す必要があるのだと思う。

 

今年の冬は寒く、風邪を2回ひいてしまった。それでもインフルエンザでない限り休むことはできない。そして一番の問題は帰省ができないということだろう。もういやになる。