朝日での仕事が遂に終った。
三年間はあっという間にも思えるし、
凄く長かったとも思える。

後半の一年間はキャップとして過ごしたが、
自分は本当にいいキャップであれたろうか。
辞める時も普段もいいキャップだと言葉を貰った。
それで満足していただけな気がしてならない。

いや、本当は気づいてた。
おれはいい人と思われたかっただけに過ぎない。

体育会系の名の下に、権力による圧政を強いてたようにも思う。

事実、問題児への対応は苛々が先行し、
悩んでるだけである種の満足感を得て、
なんとかなるのを傍観していた。

部下が使えないのを
上司のおれの責任といいつつ、
心の奥では部下のせいにして、
自分ならできると、
低次元の優越感に浸ってたのだ。

それでいいキャップ?

片腹痛い。

昔からリーダーや責任者などの役割を
受け持つことが多かった。
考えつく責任者は大抵経験し、
今でもなにかとトップに位置付けられる。
つまりはそういう星の下に生まれてきたのだろう。
それを誇るつもりも不幸ぶるつもりもない。
起こるべくして起こることに尽力を尽くすだけだと思う。

話がそれたので戻そう。

三年間働いていると、阿呆の上司もいたし、阿呆の部下もいた。

毒舌調ではあるが、嫌ってるわけでも苦労人ぶるつもりもない。

自分を鍛えてくれる存在として、
むしろ感謝をしているくらいだ。
今だからこそ心からいえるのだが。
当時は思っててもなかなか実践はできなかった。

ワタクシ論ではあるが、
リーダーとは太陽のようなものだと思っている。

太陽は全てを見守っている。
太陽は全てを暖めている。
太陽は誰からも何処からも見ることができる。
太陽は決して腐らない。
空が曇れば、太陽は休む。
しかし実際は雲の上にいつもと変わらずある。
寒い日は太陽に救われる。
暑い日は太陽に鍛えられる。

どんな時でも太陽は
いつもと変わらず必ずある。


それがリーダーではないだろうか。
優しいだけではなく、厳しい一面を備えている。
そんな存在になりたかった。
そんな存在になりたい。
そんな存在であろう。

太陽のそれと、権力とは到底結びつかない。
むしろ太陽とは、
つまり、リーダーとは魅力なのだ。

魅力で人を束ね、人に委ね、
人から助けられる。

権力のリーダーから
魅力のリーダーへ。

まだまだ青い自分へ。







iPhoneからの投稿
ameba



iPhoneからの投稿