日蓮仏法に於ける一大秘法 12

 

 

大聖人の「妙法蓮華経の五字」の記述文書 10

(建治34月「四信五品抄」から建治3年月不明「四条金吾殿御返事」まで)

 

 

「妙法蓮華経の五字」「妙法の五字」「題目の五字」なる語句を含む大聖人の御文を年代順に紹介しています。

 

 

「濁水心無けれども月を得て自ら清めり草木雨を得豈覚有つて花さくならんや妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ、初心の行者其の心を知らざれども而も之を行ずるに自然に意に当るなり。」(四信五品抄342頁)建治34月 56歳御作

 

「像法一千年の内に入りぬれば月氏の仏法漸く漢土日本に渡り来る世尊眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に法華経の半分・迹門十四品を譲り給う、これは又地涌の大菩薩・末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり」(下山御消息346頁)建治36月 

 

「実には釈迦・多宝・十方の諸仏・寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出し給う広長舌なり、我等と釈迦仏とは同じ程の仏なり釈迦仏は天月の如し我等は水中の影の月なり釈迦仏の本土は実には娑婆世界なり天月動き給はずば我等もうつるべからず此の土に居住して法華経の行者を守護せん事臣下が主上を仰ぎ奉らんが如く父母の一子を愛するが如くならんと出し給う舌なり」(下山御消息359頁)

 

「普賢・文殊等なを末代はいかんがと仏思し食して妙法蓮華経の五字をば地涌千界の上首・上行等の四人にこそ仰せつけられて候へ・只事の心を案ずるに日蓮が道をたすけんと上行菩薩・貴辺の御身に入りかはらせ給へるか又教主釈尊の御計いか」(四条金吾殿御返事1163頁)建治37月 

 

さて滅後には正法・像法・末法の中には正像二千年には・いまだ本門の本尊と申す名だにもなし(中略)

宝塔品に云く『諸の大衆を接して皆虚空に在り』云云、此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」(日女御前御返事1243頁)建治38

 

「所詮妙法蓮華経の五字をば当時の人人は名と計りと思へり、さにては候はず体なり体とは心にて候、章安云く『蓋し序王は経の玄意を叙し玄意は文の心を述す』と云云、此の釈の心は妙法蓮華経と申すは文にあらず義にあらず一経の心なりと釈せられて候」(曾谷入道殿御返事1059頁)建治311月 

 

妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賤くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし」(法華初心成仏抄550頁)建治3年 

 

「三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐・一切衆生・皆成仏道の妙法と云うは是なり。是等の趣きを能く能く心得て仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり」(法華初心成仏抄557頁)

 

「法華経本迹相対して論ずるに迹門は尚始成正覚の旨を明す故にいまだ留難かかれり、本門はかかる留難を去りたり然りと雖も題目の五字に相対する時は末法の機にかなはざる法なり、真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(四条金吾殿御返事1170頁)建治3年 

 

 

妙法蓮華経の五字」は、経文ではなく、その義でもなく、唯法華経の意にあり、寿量品の肝要である、と仰せで、御本尊妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる、とも仰せなのです。

 

 

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