
難癖 学会授与はニセ本尊
昨年12月から今年1月にかけて日蓮正宗法華講の若者と法義討論をしました。その中から討議内容の要点をまとめて掲載します。今回は、首題の難癖について、学会授与御本尊の正当性を説明します。
①寛師書写本尊授与は、以前より存在していた
昭和27年、宗門の「布教会」が、日寛上人の御形木本尊に統一することを決定し、豊島区・法道院内の「仏書刊行会」で本尊の印刷を請け負った。実際に、本尊の印刷を行っていたのは、僧侶ではなく、従業員の信徒であり、印刷が行われていた場所は、近くのアパートの一室だった。印刷された本尊は、特別な儀式もなく、そのまま末寺に送られていた。
昭和34年11月、日達法主が登座したが、昭和41年までの約6年間、日寛上人の御形木本尊の授与が続けられた。日達法主は、〃日寛上人の御形木本尊があるのだから、わざわざ書写しなくても〃というお気持ちであったと聞いている。昭和41年から日達法主の書写した御形木本尊が授与される様になったが、本尊印刷は、引き続き、法道院内の「仏書刊行会」で行われていた。
日顕らは、本尊の印刷は、昔から本山で行われていた様に説明しているが、本尊の管轄が法道院から本山に移ったのは、日顕の代からである。しかも、本尊の印刷は本山内ではなく、富士宮の法華講員経営の印刷会社が請け負っていた。印刷された本尊は、十体ずつ箱に入れられ、更にその箱が段ボール箱に入った状態で本山に届けられ、そのまま開眼の儀式もなく、末寺に発送されていたのです。
②学会授与本尊決定の経緯
今回の宗門事件で日顕が創価学会に対して、御本尊を授与しないと言い出し、御本尊を、信徒を脅かす手段にしてきた。その卑劣な行為に対し、日蓮正宗改革同盟並びに青年僧侶改革同盟は、改革同盟に所属する小山市・浄圓寺に格護されていた日寛上人御書写の本尊を授与する事を決議し、創価学会に申し入れした。だから本山・理境坊の小川只道の様に、宗門の歴史を知る者は、日寛上人御書写の本尊を「にせものとは言えないが、許可がない」という言い方になるのだ。創価学会の授与の形式が、誰も想定していなかった、宗門古来からの〃通常の方法〃だった。
③ 歴代法主書写の本尊に「一機一縁」はなく、全て大御本尊を書写
宗門は、創価学会授与の日寛上人御書写の本尊が、時の浄圓寺住職に与えられた「一機一縁」の御本尊であるから、それを形木御本尊にして授与者でない人々が拝んでも、功徳はないと言っている。
しかし、この「一機一縁」理論は、全くのねつ造である。
本来、大聖人が顕わされた一閻浮提総与の大御本尊以外の御本尊は、特定門下に与えられたものなので、「一機一縁」の本尊と称する。即ち、戒壇本尊とそれ以外の本尊の違いを説明する為に作られた言葉が「一機一縁」である。
歴代法主の御本尊は、それが誰に授与されたにせよ、あくまでも戒壇本尊を書写したものであり、全て「分身散体の法理」により「一切衆生総与」の御本尊となる。
日寛上人が浄圓寺住職に与えた本尊であっても、大御本尊を写したものである限り、誰が拝しても功徳は同じである。もし、それを否定するのなら、大御本尊否定である。
④御本尊の功徳に法主の許可、開眼は関係ない。
宗門史を見れば、〃すべての本尊を法主が開眼〃等というのは、全くの虚偽である事がわかります。彼等は僧俗差別の感情から、信徒を欺き、難癖をつけているだけです。
御本尊の功徳は、法主の許可、開眼とは無関係なのであり、上述の様に昔から開眼されずに、我々の手元に届いていたのである。昭和初期から現在に至る御本尊授与の実態はもっと粗末に扱われていた事が明確になっている。
日顕は「創価学会の本尊は血脈がない」と言うが、大聖人は、「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに」と仰せの如く、民衆の一人一人が直接、御本尊から血脈を受ける事ができる様に、御本尊を顕わされた。それ以外の血脈など不要である。
日顕は法主になった当初、本山の僧侶に次の様に語っていた。
「学会の信心はきちと結果がでるんだ。宗門では七百年間そういうことがなかったんだ」
日蓮正宗七百年間の歴史において、創価学会が初めて、御本尊の偉大さを証明した事を日顕自身が認めていたのです。
⑤授与書きを削除しても相貌に変化なし
宗門の古刹寺院には、脇書が、故意か自然にかは不明ながら、削損された御本尊が実に多い。日興上人は「所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり」(富士一跡門徒存知の事 御書1606頁)と仰せだ。「脇書」は願主の篤い信心を後世に称賛するためのもので、御本尊の相貌や力用とは関係ない。元々宗門も脇書きに関する見解は同じで、59世堀日亨法主が「本尊の脇書の受者の姓名交名は、後世において広布の元勲として衆多に護法の高名を尊称せらるべき用意」と言い残した通りである。
それでも、学会の御本尊授与に難癖をつけたかった日顕宗では、脇書が御本尊の相貌と等しい(御本体に列する)“重要なものである”と主張を変遷させた。だが、自語相違も甚だしく、1994年(平成6年)11月、日顕宗が大石寺の総一坊、総二坊に安置されていた板御本尊計4体の脇書である「願主 法華講総講頭 池田大作」という文字を跡形もなく消し、大修寺(東京・府中市)の住職をしていた阿部信彰が全国の末寺に先駆けて本堂の板御本尊から名誉会長の文字を削除し末寺も続いた事は紛れもない事実である。脇書削除が謗法ならば、阿部信彰を始め大石寺、末寺は悉く謗法である。行き詰まった坊主や法華講員が、最後に決まって言うセリフは「私達は法主の許可があるから脇書を削除しても構わない」などと言う筋の通らない言い逃れである。
⑥表装されず、一枚のツルツルのカラーコピーの「本尊」という新たな難癖
アンチの最後の難癖です。創価学会発行の「本尊」が、ある人は誰が見ても判るチャチな代物と言ったり、見た目では一枚の表装されていないつるつるのカラーコピーの「本尊」であることには気づきかず、触って初めて一枚の表装されていないつるつるのカラーコピーの「本尊」と解った、とマチマチです。私の地域や関西各地の友人に問い合せたがそんな事実を知りません。見た目で既に掛け軸と判断されるのであれば表装されているのであり、これこそデマそのものです。
宿坊氏の投稿文及び冒頭の画像を紹介します。
投稿者:宿坊 投稿日:2011年 8月18日(木)
この御本尊の真筆は、常在寺の梵鐘鋳造の記念の為、寛師が下付した御本尊。
これを、写真製版して、法道院が印刷・表装を業者に手配して、直接末寺の注文で発送。
大石寺の法主が開眼なんてされていない。
脇書を消しているが、梵鐘の「梵」字を消し忘れており、そのまま下付された。
御形木御本尊は、不特定多数に下付するので、脇書は削除されるのが古来の習わし。消し忘れが、日蓮正宗の言いがかりの根拠が為にするものであることの、証拠となってしまった。
本山発行(法道院作成)で,昭和30年代に下付した日寛上人の御形木御本尊は、何故、脇書を中途半端に消したのか?
梵鐘・・・・の、梵の字消し忘れている。
これって脇書消した偽本尊ですね!
池袋の常在寺 に真筆は現存している。
脇書に常在寺常住と左に認めてある。
日蓮大聖人云く
「此の御本尊全く余所に求むる事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」と。
胸中の御本尊を「明鏡」たる御本尊に映し出して拝す。そこに、誰かが介在する必要など無い。
ニセ法主が書写した本尊と、血脈を正式に受けた中興の祖・日寛上人御書写の本尊。どちらが正統だろうか?

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