大石寺所有地供養と寺院の建立寄進

 

時と共に「葬式仏教」へと堕落していった宗門は、学会が創立される頃には、法滅の様相を呈していた。農地改革前の1945年(昭和20年)の大石寺の土地は318千余坪(約105ヘクタール)だったが、農地改革の影響で51千坪まで縮小し、滅亡の危機に瀕していた。そんな宗門を、「僧俗和合」して世界広宣流布を目指す一心で、学会は赤誠の真心を尽くして支えてきた。戸田第二代会長の尽力で約17万坪に拡大した。その後、池田第三代会長の尽力によって1970年(昭和45年)までに23倍の117万坪に拡大し境内を荘厳した。末寺においても学会員の赤誠により356ヶ寺が寄進され宗門の礎を築いた。

日達法主が「昭和35年以降の10年間に、池田会長より100万2千余坪のご供養があり、今では所有地総計117万余坪になっております。・・・かくのごとく、池田会長が就任されてから10年間のご努力は、わが正宗の広宣流布達成に非常に意義深いものがあります。」(昭和4553日、創価学会第33回総会)と学会に深謝したのが、紛れもない歴史の真実である。さらに、池田名誉会長が会長に就任して以降、宗門に寄進した寺院数は320カ寺に上り、第1次宗門事件が起こった昭和52年以降も、総一坊、総二坊の建立寄進、バスターミナルや常来坊の整備改修、「二百カ寺建立計画」の発表等、僧俗和合を願い、宗門興隆のために誠心誠意、尽力してきたのだ。

宗門の歴代法主は、「学会は素晴らしい広宣流布の団体だ。それに比べれば、宗門や檀家は足元にも及ばない。学会を尊敬しなければいけない」(59世・日亨法主)、「学会の活躍は、宗門史上、未曾有の事」(64世・日昇法主)、「学会のおかげで大法は清浄に今日まで参りました。本宗は学会の大恩を永久に忘れてはなりません」(65世・日淳法主)、「今日の我が日蓮正宗の未曾有の発展は此れひとえに(池田)先生の愛宗護法の御信心によることを思ひて」(66世・日達法主)等々、学会の大恩を忘れてはならないと厳に戒めていた。

ところが、そんな先師の言に背き、計り知れない大恩がある学会に、感謝するどころか、恩を仇で返したのが日顕宗である。


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