C作戦に関する有用な資料を、縦書きを横書きに、年月日、頁数と見出しはアラビア数字に変更し、他は原文のまま紹介します

 

C作戦後20年_日顕敗北


6-4  出家しても、在家出身者は差別される

僧俗の差別はここで終わらない。今度は、僧侶の中で、寺族出身者と在家出身者で差別される。たとえば、日顕は在家出身の僧侶について「血が半分濁っている」という言い方をする。日顕からすれば、僧侶の子供は純血であり信用できるが、在家出身は純血でないから信用できないということになる。

そういう意味では、日顕は六十世・日開の子供であるからエリートの中のエリート、サラブレッドとなる。法主の子が法主になったのは日顕が初めてであるから、日顕は自分が特別な存在であると思っている。

しかし、僧侶の子がエリートであるという根拠は何もない。それどころか、この考え方は仏教の歴史から言えば、〃異端〃になる。なぜなら、僧侶に子供がいるのは、僧侶の妻帯によって生じたもので、百年前まで僧侶は妻帯していないから、僧侶に子供などいなかった。ましてや法主の子供が法主になるということなど、起こるはずがない。世界的に見ても、僧侶の妻帯は日本独自の慣習であり、日本の僧侶は、妻帯している限り「出家」とはいえない。

6-5  小僧でも、池田名誉会長より上と教えていた本山

日顕の代になり、日達法主の時代に比べて、格段に僧俗差別が強調されるようになった。それは、間違いなく、日顕が作り出した風潮である。

本山では露骨に僧俗差別が語られるようになった。たとえば、得度した中学一年生の子供に、本山の僧侶たちは

「お前たちは今日から、信徒より上になる。池田名誉会長でさえ、お前たちの下なのだ」と教えはじめた。

また、一般得度者が池田名誉会長の著作を持っていれば、「在家の書いた本など読む必要は無い」と言われた。

6-6  信心にも僧俗差別。「30分以上の唱題は弊害がある」と指導した日顕

この僧俗差別は信心の中にも持ち込まれ、〃唱題や折伏をするのは在家の仕事である〃と言う住職たちが増えた。本山の六壺で唱題をすると、先輩僧侶から〃学会員みたいなことをするな〃と言われた。

そして、本山で唱題している小僧がいると聞いた日顕は、所化の指導会で唱題についてこう指導した。

「三十分ぐらい真剣に行うことはよいと思うのであります。しかし、それ以上は、多すぎることになってもかえって弊害があります」(昭和598月行学講習会)

この日顕の指導があって以来、末寺などで唱題していると、住職から「お前は猊下の指南に従えないのか」と責められた。

また、宗門事件の頃に、本山で唱題していると「あいつは怪しい」「〃学会寄り〃だ」とか、「唱題している奴に気をつけろ」などと言われた。

今の宗門では、末寺住職たちが盛んに「唱題が大事」と言っているが、それはあくまでも、創価学会に対抗するために信徒を煽っているに過ぎない。彼らは本心では、〃唱題など、未熟者の在家がすることだ〃と考えているのだ。



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