
ゆらゆら帝国の『空洞です。』がリリースされた時、「次のゆらゆらのアルバムはアカペラだと予言する」と言った知人がいて、凄くハッとさせられたのを今でも覚えている。『空洞です。』は、可能な限り感情の発生を抑えたサウンドプロダクションで俗世の虚しさを見事に音として表現した傑作だった。そしてその先にあるものが、声だけのアカペラであったとしても何も不思議はないなと妙に合点がいったのだ。結局、アカペラのゆらゆら帝国は、聞けないままに終わってしまったが、坂本慎太郎の自身名義として初作となった『幻とのつきあい方』は、そんな『空洞です。』の空気感を更に熟成させた傑作だ。
『空洞です。』より更に抑え目の音達は微熱にうなされるように身体にまとわりついてくる。これが実に気持ち良くて仕方がない。坂本が音楽を再開するきっかけとなったというコンガの音(演奏はエゴ・ラッピンの菅沼雄太)が軽い音色で鳴り続け、坂本自身の手で弾き鳴らされるベース・ギターの音はメロディアスなリフを鳴らし続けている。演奏は決してタイトにはならず、作品全体が隙間だらけに仕上げられていて、聞き手も全く肩ひじ張らずにそのサウンドにのめり込んでいく。全体的な雰囲気は非常にポップでキャッチーだ。一言で言ってしまえば、実に聞き易いアルバムなのである。ただ、そこから深みにはまってしまいそうな危険な匂いの香らせ具合が実は今作の肝なのではと思っている。真っ青で素晴らしく美しい海面の下には実は何が潜んでいるのかわからないといった感じだろうか。ある種の危険な香りが鼻腔をくすぐってくる。そんな見た目以上の何かを敏感に感じさせる作品だ。
妙に明るく鳴らされた音の数々は決して振り切られることなく盛り上がらず、盛り下がらずの地点を気球船の如く彷徨い続ける。そんな振り切らない音は諦めも似た無力感を作り上げ、幻や幽霊みたいな言葉に込められた虚無感がその上を錯綜する。インタビューでは「震災がなかったかのように触れないのも違うと思った」との発言もあったが、震災以降は我々がどれだけの幻を食らってきたのかを思い知らされた時間でもあった。そういう意味で、この作品は実にリアルな感情を呼び覚ます作品だ。表現が直接的ではない分だけ余計に身の丈にあったリアルさを感じてしまう。そこには、ヒーローに憧れるようなトキメキなど存在しない。消え去ってしまう幻をこの手で掴んだしまった自分自身に湧き起る感情の数々があるだけだ。この作品が鳴らしているのは、幻が消え去った後に残るリアルと向き合わなければいけない我々自身の音に違いない。そう、これが現実なのだと。もしかしたら、作り手自身はそんなこと全く考えていないのかもしれない。だけど、意識したにせよ、しなかったにせよ、今作が今の世の中の一面を確実に射抜いてしまった傑作であることだけは間違いない。



