高円寺まで歩いた3時間なんて全く取るに足らない事実なのだという事をこの何日かは実感して止まない。
起きた事の大きさと自分の小ささを比べて全く口もふさがらないというのが正直なところだ。被災をされた方にはお悔やみを申し上げるという以外に言葉がなにも浮かんでこない。本当に吐き気がするぐらい自分の無力さを呪いたくなる
だけど、それでも自分が今実感しているのは、そこにここにいる人達の素晴らしさだ。実際家に着くまでの3時間の間に見た東京は実に誇らしく思える瞬間が何度もあった。ツイッター等にアップされる有意義かつ迅速な情報、「トイレ貸します」の紙を持って青梅街道に立つおばさん、妊婦さんを休ませるためにバス会社の事務員と交渉する姉ちゃん。現場にはそんな人達がたくさんいた。きっと今だってそうだろう。政府が何を言おうと、何を決めようと、決めまいと、現場の人達は誰かのために必至なはずだ。そしてその誰かには自分達も含まれているのだということを忘れてはいけないだろう。
きっとこの震災は色々なことの示唆に溢れた事件なのだろう。自然の脅威、科学の進歩、情けない政治家、世界のエネルギーのありかた等々。だけど、自分にとっては、人間の素晴らしさという当たり前で忘れそうなことを目の前に思い切り突き付けられた日だと記憶するはずだ。被災者の方には不謹慎だと思われるかもしれないし、東京が非常にマシな状態にあるというのは承知の上で自分はそう思う。
そして、いまこんな時だからこそ、たくさん音楽を聞いて、ライブに行って、飛んで、跳ねて、踊って、酒をガンガン飲んで、目の前の仕事を一生懸命やることが一番なのだと思う。きっとそういう積み重ねが、誰かに、出来れば被災をされた方の一助になるはずだ。そんな積み重ねが出来ることをやるということに違いない。この荒れ地を抜けるには一歩を踏み出すしか他に方法はないのだから。そう、心にいつも太陽をもて、唇にいつもうたを持て、ということ。これからもたくさんの泣き笑いと一緒に生きていきます。そんな機会がまだ続いていることに感謝して、一人でも多くの人に笑顔が戻るこをひたすら祈るだけです。
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「誰かに支持をされているとか、されていないとか全く関係ない。いいものはやっぱりいいのだし、どう考えたって自分はそれを支持せざるを得ない。」なんてことを考えながら猥雑な池袋の街を歩いていた。ほんの数分前まで、素晴らしい音を鳴らしていた行方知レズのステージを思い浮かべながら。
行き先のわかる人生なんて面白くともなんともないじゃないか。彼らの鳴らす音はいつだってヒリヒリしていたし、3年振りとなったこの日もヒリヒリと聞く者の胸を十分に焦がしたはずだ。行方知レズの3年振りとなるライブ・ハウスでのステージは、想像以上に素晴らしかった。正直、ひよった音になってしまったのではないかと危惧する気持ちもあったのだけど、そんな気配は全くなし。ロックンロールが持っているロマンスを十二分に音に鳴らした本当に感慨深い復活劇だった。ガラクタみたいな彼らの言葉と音の持つ説得力が社会の歯車に成りかけている自分にも十分に心に響くのだということに驚いたというのが正直なところだ。
このバンドの音なんて捨ててしまっても、この世界やら経済やら政治やら資本主義やらの大勢には何の影響もない事柄に違いない。それでも、このバンドの音を温めて胸に留めているのは、そこにあるリアルな鋭さに違いない。それは、こぼれる溜め息を詰めた袋を温める作業といってもいいかもしれない。どうしようもないことがこの世界にあるのだという絶対的な真実に歯を喰いしばりながらもがいている。でもそれが生きていることなんだと強い言葉で彼等は音に鳴らしている。だから聞いている者達はきっとザラついた気持ちを抑えきれず踊り狂うのだろう。こんな素晴らしい夜はそうはないよ。
そしてコンスタントな活動を願ってやまない。