ブログ
先日、ハンガリーからTomi が来日した。いつも海外から人を呼んだ時にちょっとした観光に付き合うのだが、今回は奈良東大寺へ。
普段から観光に興味がないのでこういう機会がないと足を運ぶ事もない。
日本的なものをと考えると、寺、神社などの歴史的建造物を案内する機会が多い。
{413E64BF-5870-4A51-9EA6-9DA7847472D9:01}

{CFE8B7CB-2753-4932-B147-45B99D502629:01}

{46B97591-FB65-405F-B490-28C18B8A3B5F:01}

{9EA69844-15C1-483A-B687-B94497D3E11F:01}

そういうところには、必ず狛犬が両端に。
片方は口を開け、片方は口を閉じている。
様々な説はあるが、"あぎょう"と"うんぎょう"と呼ばれている。
阿吽(あうん)の呼吸である。
アイウエオの、"あ"と言えば最後の"ん" という事を理解する、日本における仏教感から来たものだ。

20代の頃、訓練所に見習いで修行に入った。
師匠がよく、アレ持って来いとか
アレ運べとか
最初の頃は、何が何やら
「アレとは?」と恐る恐る訊き直すと
「アレたい!アレっ!」と怒鳴られる
しかし、数年もすれば師匠が何を求めているのか分かるようになってくる。状況の観察と分析である。
ある日、師匠の背後を歩いていると外れかけた板塀に師匠が目をやった。
「アレ持って来い」
「はい!」
私は、直ぐにピンときてダッシュで金槌を取ってきて
勝ち誇ったような気分で師匠に手渡す。

「釘は?」

「•••••」

「金槌だけでどうすんだっ!」
と怒鳴られる。

ごもっともです。

まだまだ修行が足りないと痛感した20代だった。

言葉や文字は不完全なものだ。伝達手段として使うが全てを完璧に伝えるのは難しい。
本でも著者の言わんとする行間を読む事が大切だ。
会話においても、言葉と言葉の間のニュアンスを感じ取ることが大切だ。

先日知人に会ったら、開口一番

「だよねー」

「•••••」

その後沈黙が
(ひょっとして会話のキャッチボールは既に始まっているのか?
そして、そのボールは俺のグラブに投げ込まれているのか?
相手は投げ返されるのを待っているのか?)
前後の状況や情報が皆無の中、投げかけられた主語も述語も無い、接続詞にどう応える?

全く分からない。

俺はエスパーではない

待ちきれない相手はもう一度
「だよねー」
と再び投げかける

もうダメだ。 分からない
分からないまま

「だろう」

と応えてその場を去った。

口を閉じてる吽形(うんぎょう)の能力は素晴らしいと思うし、これぞ日本人の心配りかと

しかし、この口の開いた阿形(あんぎょう)‼︎

少しは伝える努力をせんかい!

と、思った。