木村政彦 | KINGのプロレス観戦記&諸々

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『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也著 新潮社

701ページにも及ぶ単行本、読み応えありました!


実は、この『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は、『ゴング格闘技』に2008年1月号から2011年7月号まで連載された物を纏めたものであります


連載していたのは知っていましたが、プロレスファンとして題名が気に入らなかったので、読んでいませんでした(笑)



内容は、木村政彦先生の幼少期から晩年まで、数々の記録と、木村先生の周りにいらした方の証言などで形成されています。



あ、木村先生を知らない方もいるかな?

木村政彦先生は、柔道に於いて戦前(昭和12年13年14年)に【全日本選士権】(選手権ではなく選士権)を3連覇、昭和15年の天覧試合も全て一本勝ち、翌16年の明治神宮大会も全て一本勝ちと、正に敵無しの日本一の柔道家

そして、徴兵され戦後22年まで公式戦を行っていません。
22年に一度は「5年以上まったく稽古していないから」と出場を断っていた、西日本柔道選手権に出場し、団体戦でも個人戦でも全て一本勝ちという、驚異的な強さを見せています!

24年には戦後第二回全日本選手権に出場し、優勝しています。


その後、師匠である牛島辰熊先生と一緒にプロ柔道(国際柔道協会)に参加します。
ここでも、無類の強さを見せ、王者に君臨します!


てか、書いていて思った!このまま書いていくと、キリがない(笑)


あと特記するとしたら、やはり『エリオ・グレイシー』との一戦
グレイシー柔術の開祖であるエリオを、圧倒的な強さで破っています!
これは、現在動画サイトなどにアップされていますので、参照して下さい



んで、題名にある力道山戦
生前、木村先生はこの一戦について、多くを語っていません。
この一戦について、著者である増田氏が多くの資料と多くの証言から検証しています。


が、やはり力道山先生、木村先生、ハロルド登喜(レフェリー)がいずれも鬼籍に入られていて、真相を証すまでには至らなかった
新しい資料もないですね


でも、現在の格闘家からみた、この一戦の検証は興味深いものがありますね。


他にも、プロレスの黎明期、兵役時代のエピソードや極真の大山倍達、プロレスラー木村政彦、拓殖大学コーチ時代など、資料としては価値の高い一冊であるのは間違いないですね。




最後に一つだけ
あの一戦、力道山vs木村政彦戦について、KINGなりの見解を書いときます。

力道山vs木村政彦戦は、あの一戦に限っては色々な見方、見解がありますが、KINGは力道山が勝って(まさって)いたと思います。
しかし、木村先生の全盛期なら、もしくは柔道ジャケットマッチなら、木村先生が勝って(まさって)いたのではないかと思います。


柔道側からは、関脇汲んだりになんて言われちゃいますが、プロレスファンとして一言言わせて貰います
「シュートをなめんなよ」



「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」と言われた、木村政彦

希代の柔道家、木村政彦先生は間違いなく、世界10指に入る格闘家だったと思います。