ニートは「負け組」か?(その1) | 日刊キングオブニート

ニートは「負け組」か?(その1)

中流幻想が崩壊したここ10年ほどの間、それに代わってよく使われるようになったのが「勝ち組・負け組」という言葉です。で、ニートは「負け組」の代表例として認識されることが多いわけですが、その認識は少し違うかなという気がします。ニートは、「負け組」にさえなれない、もしくはあえてならない人、そもそも競争に参加できない・しない人たちなのです。


資本主義社会では貧富の格差が生まれます。誰でもその中で「勝ち組」になりたいです。でも資本主義社会を回していくには少数の「勝ち組」と多数の「負け組」が必要なのです。そこで資本主義社会では「負け組」を継続的に再生産していく必要があります。日本では「一億総中流」幻想の存在がそれを可能にしていました。でも、今はそれができなくなってしまったのです。人々は、「勝ち組」になるか「競争から降りるか」のどちらかしか選択しなくなってしまったのです。