摩擦を起こす | 主体性こそ集大成-Beyond the Borders-

摩擦を起こす

週末に入る前に1つ。
 

人生って、本当に楽しいですよね。僕は人生を悲観することが少年時代から比べるとどんどんなくなってきました。特に35歳超えてからはまったくなくなりました。なぜか?
 

「自分はどのような状況になったら、人生を悲観するか」と時折考えてみるようになったのです。


仕事で失敗する。

失恋する。

誰かにバッシング、非難される。

誰かにパッシング、無視される。

事業で失敗して全て失う。

何か大きなものに自由や権利を奪われそうになる。

不治の病にかかる。

何かにいくつかの自由を奪われる。

連行され、そして拷問される

強制隔離されすべての自由を奪われる。

 

順番をどうするかは人によりますが、最悪と捉えるものを程度で考えてみます。そしてその状況を、最悪と想像するためにはその状況がどのようなものかを知ればいいのです。列挙したものを想像するために必要な事柄を学びます。いや既に学んだからこそ、最悪と捉えられるのかもしれませんが、より明確になるまで勉強します。
これらは人間の歴史においてそのような状況がありましたし、列挙した中で最も最悪なもの、つまり一番下から歴史が始まり進歩したと言ってもいいかもしれません。

そう思うと今が最高の状態と捉えることができます。つまり自分が考える最悪な状況というのはたいした悲観するような状況ではないということです。

 

しかし、自分がさまざまな事柄に触れ、それらを自分の血や肉になり、周りの事柄がある程度想定可能で悲観するようなことはないという確信に変わったとしてもそれはマイナスがなくなったということで、プラスを生み出すことはまだできないかもしれません。それは「石橋を叩いてみたけど、まだ渡れない」状態と言えるかもしれません。
 

次に、一歩を前へ出る時の心構えについてです。

ここで質問です。みなさんはキャンプに行ったことがありますか?

田舎出身の人は、少年時代は毎日がキャンプだったという人がいるかもしれません。子どもの頃、僕は夏はテントに冬はかまくらに住みたいと話していましたが今となっては完全に常軌を逸してますね...自分だけの基地を見つけるのが好きだったのです。

 

キャンプで火をおこしたことはありますか?

木を敷いて、そこに木を突き刺して擦り、煙が立ってきたから紙をくべるやつです。そうです。あれです。

 

あの体験というのは、少年時代、僕の中では非常に記憶に残っています。木という道端に落ちていて、家を立てる時にも使う、一見安全でなんの変哲もないものから、なぜ火のような強大なかつ恐ろしい存在が生まれるのか?我々人間は2人で擦り合わせても火は生まれないですよね。「おい!やばい!火事だ!」となったら怖くてハグすらできないですよね。
 

あの火が生まれる瞬間の「摩擦」。あれこそが人生で大事だと思うのです。摩擦があるから、そこから強く燃え上がる、今まで見たこともないような力が生まれると。
 

摩擦というのは、自分の人生においては、自分と異なる意見のことかもしれないし、自分と異なる文化に触れることかもしれないし、自分と異なる環境に身を置くことかもしれない。その摩擦は、危機をもたらすかもしれない。自分はそれを排除してしまうかもしれないし、逆に排除されてしまうかもしれない。それを取り込んで自分の糧にできるかもしれないし、混ぜ合わせて新たな何かを生み出すかもしれない。
 

その摩擦、摩擦の1つ1つが、子どもの頃、細長い木で何度も擦り合わせていたあの動作と重なりますよね。決して1回では火はつかないし、もしかしたら火がつかないまま諦めてしまうかもしれない。ライターもチャッカマンもない時代。なんとかああしよう、こうしようと木の長さを変えたり、木を削ったり、早く擦ってみたりと、摩擦をうまく扱おうと工夫してみるでしょう。
 

ここまで来るとわかることがあります。悲観がなくなったとして、次に起こすのは「摩擦」なんです。

この摩擦を起こさないことには、火を生み出すことはできないのです。


「摩擦」は、他の何にも触れずにいては起こすことはできません。1度や2度ではなく何度も何度も摩擦を起こさないとその先の火は生まれないのです。毎日の日常生活で摩擦が起きる瞬間はどれほどあるでしょうか。
 

やっとのことで火が生み出すことができて、ある程度の大きさになれば、燃え上がるのはそれほど難しいことではありません。逆に消す方が難しいでしょう。その大きくなった火、つまり炎というのは、夢や成功に向かう情熱のようなものかもしれないし、何か事業の成長のようなものかもしれないし、何か幸せのようなものと置き換えられるものかもしれません。
 

そう考えると、自分の中に火が生まれるまで何度も何度も擦り合わせること、最初に何度も何度も摩擦を起こそうとすることが難しいのです。それこそが自分の意志で、自分で考え選択しやるべきところなのです。
 

「若者よ海外に出よ」とかつて書いたのも、この「摩擦」の起こし方の具体例にすぎません。摩擦を起こせるなら、新興国で異質な体験をせずとも、どんな体験でもいいのです。今目の前にいる外国人の観光客に道案内をすることも草の根の異文化交流という観点からは良いかもしれません。
 

若ければ若いほど、自分の周りには知らないこと異質なことがたくさんある。そこから一歩前へ、摩擦を怖がるな。安住するな。怖い時は、悲観の程度を知りさえすれば、怖いものは実は自分の頭が勝手に作り出しているもので、大したことではないんだよ。

人生って楽しくなってきましたね。

 

Just do it!You can do it!
 

10代、20代、30代、いや死ぬまでいけるなら絶対いっとけ!

この調子で、いけるところまでどこまでもいこう!