「山の日」の本当の意味【完全版】
今年に入り、中学生や高校生、高専の学生と話したり、仕事をしたりすることが、多くなったので感じることを書きます。日本中いや世界中の中学生高校生に伝わってほしいと思います。
今日は「山の日」という祝日であることも高校生に教えてもらいました。
前回や今回参加している学生若者向け事業開発者支援プログラムには、様々なプロジェクトがあり、北海道函館というド田舎出身の僕の学生の頃では考えられない体験や経験をしています。彼らは学校が夏休みの期間、このオフィスで連日徹夜しているのですが、それが僕らでいう学園祭の準備や部活の合宿レベルじゃないんですよ。そこらのIT企業の新規事業レベルかそれ以上のことをしているんです。しかもそれは労働ではなく、創造なのでお金をもらわなくても、時間が決まってなくてもモチベーションが下がらずできるんですよ。
若者の成長を阻害する要因は、「労働による対価」「労働時間」なんです。逆説的ですけどそうなんです。それにとらわれてしまうと長期的にはその考えがない人に負けます。これらを「主体性」に変換できるかがキーなのですが、学生はまさにこれなんです。本当の意味でのプロジェクト。
さらに一流の大人向けに何度もプレゼンしているので、もう伝える力やコミュニケーション能力も鍛えられて鍛えられて半端じゃないんですよ。
そして彼らにアイディアや事業を始めたきっかけについて話を聞いてみると、プログラミングに出会ったきっかけは友達とかね、親からPC買ってもらったとかね。完全に環境によるものなんですよ。
やはり今やインターネットの時代で、誰でも情報を得られるといっても、アクセスできる端末を保持していなければ無理じゃないですか。このラストワンマイルの情報格差というのはなかなか縮まらないんです。
格差というのがどこに現れているかというと、やはり「都市と地方」です。この事業開発プログラムというのも多くは東京ばかりで、いっても大阪ぐらいです。つまりそこの周りに住んでいる学生しかなかなか享受できないんですよ。逆の立場なら、企業側がこういうプログラムを開始して、学生があまりいないような田舎でやってもしょうがないので当たり前と言えば当たり前ですが。
この場合だと、どうしても地方で生まれ育った学生が、上記の観点に限定した場合は、経験や体験するチャンスが不足するので不利になります。「自然に囲まれた環境で生まれ育って良いこともある!」と言う人もいるんですが、それはだいたい大人になって何か成し遂げた人が、過去を再定義している場合が多いのです。
ここで時代とともに変わったものと反対に、変わっていないものもあります。それが「受験」です。「受験」で出題される問題って、全国の学生にも公開されていますね。ネットじゃなくても赤本でも、青本でも、グリーン本でも。図書館にも置いてあります。「受験」する人によって、問題が変わるとか、中国みたいに受験する人によって合格点が違うとかそういうのがないじゃないですか。国立や私立の一般試験では間違いなく同じです。受験する際に必要なものと言えば、未だに鉛筆と消しゴム。PCが必要であればそこに差が生まれますが、鉛筆は誰でも貸してくれます。くれたりします。
はっきり言ってしまって、地方の田舎で生まれ育ってしまったら、まずしのごの言わずに、東大か京大を目指して勉強した方がいいです。もう悪いことはいいません。それだけでいいです。そこに入ってから得られるチャンスが圧倒的に大きいからです。君が技術もなく、突き詰めたい研究分野や、親も企業勤めか何かなら、まず受験勉強するのをおすすめします。さらに片親で生まれ育ったら、100%大学にフォーカス。よく家が貧しいので大学に行けなかったという話があるのですが、国立の大学なら無料になる場合も多いし、奨学金はあるし、東京や京都に出てきたら働き口はたくさんあるので絶対いけるから。結果からいうと、大学に行かずして働いて得られるお金と、大学に行きながら得られる金なら後者の方が圧倒的に大きいです。そしてその差は社会人になるどどんどん開いていきます。
重大の事実というか真実ですが、大学受験以降で、全ての人が受験する資格を得られて、かつ鉛筆で書いた文字だけで、平等な結果が得られる制度に出会うことは、死ぬまで一生ないです。一生です。
これ以降、就職活動でも難関資格の試験であっても、オーディションでもコンテストでもなんでもだいたい何かしら不平等なことがつきまといます。
受験だけは、あなたを顔の容姿で落としません。あなたを親の収入で落としません。あなたが学生時代素行が悪かったり成績が悪かったとしても落としません。
そしてもっといってしまうと、最近ソーシャルの時代なので、FacebookやTwitterや、名刺管理アプリでその人の経歴を見ることができます。実は大企業行っても、官庁行っても、政界でも、弁護士などの士業であってもそれこそリスクを取るイメージのある起業家でもあっても、ベンチャーの経営者であっても、出身は同じような大学ばっかりなんですよ。驚きでしょ。リスク取ってる、取ってないとか言い合ってるんですけど、元は同じ大学なんですよ。完全にイデオロギーの違いだけで同じキャンパスで似たような授業受けて似たような居酒屋で騒いでただけなんですよ(笑)日本に1000以上の大学や短大や専門学校などあると思うのですが、限られた大学の出身者です。これは本当です。よくそういう人のインタビュー記事とか見ますが、幼少期の話とかの多くは後付けで、大学で自分の人生を決定する経験や情報や人脈を得てから行動した場合が圧倒的に多いです。その後もその人脈に基づいて行動していきます。
あなたが、発明家でもなく、スポーツもたいしたできず、病気もなく、ただ体が鈍っている、地方に住む学生であれば、より多くの選択肢に出会うためにも、大学受験に集中した方がいいです。恋愛もしなくていいです。恋愛は後からできるけど、人生決定づけるという意味での受験はできません。
そして、もし「受験」に失敗したとしても、その経験はなくならない。合格しなかったとしても、本気で勉強して得た知識はのちのち生きてくる。ぜんぜん無駄じゃない。「教養」の根幹となる受験勉強で得た知識は後々の人生でじわりじわりと効いてくるのを実感すると思う。
さあ、今日は「山の日」。
君は「山の日」の意味を知っているか。
まさか、国が7月に「海の日」があるから、8月に「山の日」をお盆休みに合わせて作ったなどというんじゃあるまいな。
ちげーよ。そんなことだと海で溺れて死んじまうぞ。
山は、海と違って、必ず「頂き」があるだろ。
そこを見つける日だ。
大人なら、山の日は、人生において、自分がどこの山を登っているのか、自分が登っている山は間違いないのか、そもそも頂きまでしっかりと登っているのか、遭難していないかなどと、自分の位置を再確認する日なんだ。
君がまだ学生なら、どの山を登るかを探す日でもある。
昔から「夏は受験の天王山」っていうじゃないか。
別に受験に限定しなくたっていいんだ。君がもし登る山をすでに決めているのであれば。
でももし君がどの山に登るか決めかねているなら、
今日からでも遅くはない。あの山のてっぺんまで登りつめよう。
いけるところまでどこまでいこう。