ライバルの存在 | 主体性こそ集大成-Beyond the Borders-

ライバルの存在

みなさんには「ライバル」がいますか?

そのライバルを嫉んだり羨んだりしたことはありますか?



実は僕には1人いるんですけどね、「妬む」と「羨む」ことは最近ずっとないのですが、この小説を読んで、あの時の非常に懐かしい気持ちが呼び起されました。

「あぁそういえば俺はあの時なぜベンチャー企業に行ったかというと、ライブドアでもサイバーエージェントでもなく、アイツと同じ条件で戦えば絶対勝てないと思ったからだったんだ。実は。」とかね。非常に劣等感からの妬み羨みでしたね。

「アイツのおかげで、入社して諦められないと思ったし、会社に入ることより、社会に出ることを考えることができて、圧倒的に独走できたんだ。」とかね。


大人になれば、妬みや羨みってまったくなくなりますよね。だって、1人1人が叶えるべき「夢」の大きさや方向性が違うことに気づくから。ものさしが同じにならないから。自分こそがライバル以外には考えようがない。もっというと自分の「寿命」こそがライバル(笑)短いからね。他の人にかまってる暇がない。主体性を無限大∞にしないとゴールまで間に合わないよね。


話をもどすと、仲の良い人によく話してますが、そのライバルとはまた30年後ぐらいに再び相見える気がするんです。今までも何度もありますからね。その偶然が。その時までにでっかくなっとかないとこの小説みたく差がつきすぎ「敬語」を使って話すことになるかもしれん。死んでもイヤだ。なーんてね。そんな小さなことはどうでもいいんですけどね。

おまえの成功を祈ってる。






小説を読むことはめったにないのですが、去年いつか貧しいが将来のある若者に光(メガネ)を届けるために書いたブログ『影と光』を読んだ人が次にこの小説を読んだと教えてくれました。非常に運命と宿命について考えさせられます。